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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2012年12月

今日は朝から団地の清掃。基本的に月に1回だが、秋以降は3ヶ月に2回というペース。毎回「朝ちゃんと起きて7時半に行けるかな」と心配になるのだが、今のところ皆勤である。欠席すると1,000円のペナルティが課せられる。

いつもは朝がしんどいのに、こういう「絶対」とまではいかないが、義務的なことに対してはきちんと朝ちゃんと起きれる。起きれるけどしんどい。しんどいけど起きれる。これを毎日、と言われると途端にプレッシャーになって、しんどくて起きれない、に変わってしまう。この境界線はどの辺りなのだろう。

1時間ほど団地の周りの落ち葉を竹ぼうきや熊手でかき集め、先月伐採して乾かしておいた大量の木の枝を、ばきばき折っては束ねていく。こうやって体を動かして、木のぬくもり(冷たかったが)を感じていると、山を登っていた頃を思い出す。まあ、山は逃げないから歳をとってからまた登ればいいさ。

一仕事終えて帰宅し、朝食を食べて一息ついてから選挙の投票へ。投票所がこの団地の自治会館なので、歩いて100メートルほど、もちろん走っても100メートルほどの近さ。いい天気だし、投票所が近いし、この団地の住人は低所得者層なので政治に不満を抱いている人は大いにいるだろうし、この団地に限っては投票率が高いのではないだろうか、と勝手に想像した。

自分はいわゆる無党派層である。今回はどこへ投票するか検討する精神的余裕もなかった上に、政党が乱立して何がなんやら。消去法で決めようとしたら全部消えて、でも投票に行かないのは、国民に与えられたわずかばかりの参政権を自ら放棄することになるので、とりあえず選挙公報に軽く目を通してから、ベストでもベターでもなく、ワーストでもない候補者と政党に投票した。

市議会議員の補欠選挙も同時にあったのだが、こちらは全くもって何を判断基準にすればいいかわからないので、選挙公報に「趣味:登山」と書いている候補に投票した。山に登る人に悪い人はいない。ああ、なんていい加減な自分。

最高裁判所裁判官については、日頃から「こんな人知らねー」だし、デフォルトで「信任」ということになっているし、なんでこんな制度になっているのか。憲法で規定されているから、というのは当然知っているのだが、そもそもこの憲法自体が今の時代に即しているのか。9条に関してはいろいろと議論されているが、他の条文はどうなのよ、と感じる。まあ、それよりも優先してさっさとやってほしいことは山ほどあるが。

このブログではあまり政治のことは書かないようにしたので、これ以上はやめておこう。「飲み屋で野球と政治の話はするな」というのをどこかで聞いたことがある。

先月にODしたときに、搬送された病院のお医者様が私のお薬手帳を見て、

「毎日がプチOD状態」

と言った。それくらい大量の薬を毎日毎日飲み続けている。

それなのに、全く状態がよくならないのはどういうことか。

先日おうちに来ていただいた友だちが、いろんな情報をくれた。そのうちの1つを紹介しておこう。

まず、日本の精神科医療では多剤投与が多く、どんどん薬が追加されていくのが当たり前(自分もその状態)だが、その方針が見直されつつあるらしい。

私は以前主治医に、

「欧米では基本的に単剤投与らしいですが、こんなにたくさんの薬は必要なのですか?」

と聞いてみたことがある。そのときの主治医の答えが、

「単剤で効果が出たらいいんだけどね。1種類で目立った効果がないから、他の薬と組み合わせるんだよね」

とのこと。効果がないなら他の薬を足すのではなく、単に変えればいいのでは?と思うのだが、それ以上つっこんでも仕方がないと思ったのでやめておいた。この先生は患者の話をよく聞いてくれる。聞いてくれるが、最後は薬を増やしたり変えたりするだけなのだ。

私の場合、抗鬱剤だけでも三環系を2種類と、SNRINaSSA、精神安定剤ではベンゾジアゼピン系を2種類、チエノジアゼピン系、そしてその他に抗てんかん薬、様々な系統の眠剤を服用している。いったいどの薬が効いていて、どの薬が効いてないのかさっぱりわからない。

薬を飲み忘れたら調子が悪くなることが多いのだが、それは薬の効果が切れたからか、それとも薬物依存の禁断症状なのかもわからない。こんなにたくさんの薬なんて意味がないと思ってても、急にやめることはできないのだ。

それが最近、日本うつ病学会で薬偏重の治療を改めるような指針が示されたらしい。読売新聞に記事が出ていたらしいが、それと同じ物がYOMIURI ONLINEに掲載されている。

「うつ病学会が治療指針・・・薬偏重やめ面接基本に」

この元ネタのガイドラインが、日本うつ病学会のサイトにある。これ自体はかなりのボリュームがあるので、私もまだ目を通せてはいない。

上のYOMIURI ONLINEでは、この他に、

「抗不安薬依存 深刻に」

の記事でもこの指針を紹介している。

しかしこれはまだ学会レベルの話。これが、お役所やらなにかしらのしがらみを乗り越えて、臨床レベルまで降りてくるのか。降りてくるとしても、いったい何年後になることやら。

だが、自分もただ手をこまねいているわけではない。「じゃあどうする」ということに関するヒントをいろいろ彼女から得たので、それはおいおい紹介していこう。

そう言えば彼女から聞いたものだけではなく、自分が以前から購読している「精神科医のブログ」にときどき登場するものもある。普通の精神科医では使わないようなものである。逆にこれについてなにか知ってないか、彼女に聞いてみようっと。

私のように病気を抱えていると、いろんな人が「これが鬱に効くらしいよ」という話を持ってくる。アトピーがひどかったときもそうだった。「実際に誰々が治ったから」「偉い先生が薦めているから」などと、健康食品やらサプリメントやらなんとか還元水やら怪しいスピリチュアル系のものやら宗教やら、もう様々である。病気が病気だけに、うさんくさいものも多々ある。みんな善意で勧めてくれているのはわかるが、正直言って、

「ありがた迷惑」

以外の何物でもない。ネット上でのコミュニティでこういう話題が上がると、

「善意の押し売り」

という言葉が必ず出てくる。

いくら今の自分の状態が悪くて、医者にかかっているのに状態が好転しなくてじれったくても、人から勧められるものを次から次へと試せるかっつーの。そして、だいたいそういうものはお金がかかる。

一番最近に持ち込まれたバカみたいなやつは、プロテイン1キログラムで6,000円とか。これを毎日飲めば健康になること間違いなし、とのこと。資料をもらったが、一食15グラムずつ摂取と書いてあり、すなわち1日で45グラム、1ヶ月で1,350グラム。金額に換算すると8,100円。奥様もご病気ならご一緒に、と勧められたら(たいてい勧められる)、二人分で16,200円。もうアホとちゃうかと。そんなわけのわからないものに払う金などない!

こういうときに一番に頭を悩ませるのが、「どうやって波風立てずに丁重にお断りするか」ということである。向こうからしたら、せっかくいいものを紹介したのに、という気分になるのは当然だろうが、取捨選択する権利はこちらにもある。

私の場合、基本的には、

「現在、専門医の方針にしたがって治療中であり、他のものを併用すると、状態が良くなっても悪くなっても、どちらの何が原因なのかもわからなくなるので、今回のお話はご遠慮させていただき、今後また何かありましたら参考にさせて頂きます。」

という感じでお断りするのだが、なかなか相手も食い下がってくることが多く、「そう言わずに、とりあえず1ヶ月でも試してみませんか」と反撃する。正直、疲れる。最近は本当に経済危機なので、上のお断り文に加えて、「そういったものを試す金銭的な余裕はありません」とつけ加えるのだが、それでもしつこいと、

「誰々の病気がよくなったとか、何人の人がよくなったとか、よくなった人だけの情報は信頼できません。何人中何人がよくなったのでしょうか。薬の治験で例えれば、プラセボを用いた二重盲検法といった方法で、科学的で統計的に有意差があるという、効果の裏付けとなるデータをいただけないでしょうか」

と突っ込んだりする。

正直、最近こういうのが立て続けに来て、もううんざりである。なんでメンタルな病気の人を、メンタルに追い詰めるかなあ。

今日、友だちが家に来てくれて、いろいろお喋りをした。かつて自分が山岳会に所属していた頃の仲間で、すっかりご無沙汰だった。前に会ったのはいつだっけ、と思い返すと、2005年に山岳会の仲間が入院して、そのお見舞いに行った時に会ったかな、ということは7年ぶりだった。その頃の自分は山岳会を休会中で、その後退会したので、今まで会う機会がなかった。

しかし彼女は自分のブログを読んでくれているみたいで、久しぶりにお茶でもしようよ、とメールをくれて、家に来てもらった。前のアパートだと狭過ぎて、とてもお客様を招待することはできなかったけど、今の団地ではちゃんと人をお招きできるのが嬉しい。

彼女は、自分の印象では「何かオーラをまとっていて、物事の真贋を見抜く力」を持っている「不思議ちゃん」みたいな存在。話しているだけで心が癒される。私がいろいろ困っているところに女神のように降臨し、自分のためにいろんな情報を調べて教えてくれたり、いろんなアドバイスをくれた。4時間くらいお喋りしただろうか。あっという間に時間は過ぎ去った。

思えば、友だちとは電話で話しても、実際に会って話すこと自体がずいぶん久しぶりだった。それだけに今日はとても楽しかった。やはり自分、ずいぶんと「人とのつながり」に飢えていたようだ。

自分は本当に友だちには恵まれているなあ、とつくづく感じる。みんなが支えてくれている。だから、自分はここに立つことができる。ここに存在することができる。いくら感謝してもしきれない。遠くの親類より近くの他人とは正にこのことだろう。

何回でも書こう。

「友だちは財産である」

今日も昨日と同じように、午前中は低め安定。そんなにしんどくはなかった。
昨日は昼食中に通院日だったことを思い出して、それから急激に鬱に落ちた。

今日はその真逆のことが起こった。 昼食を食べてそれほど時間は経ってないとき、「悪魔の叫び」が聞こえてきた。

「や~きい~も~、い~しや~きいも~」

脊髄反射的に財布を手に取り、玄関を出て団地の階段を駆け下り、猛ダッシュ。自分、無類の焼き芋好きなのだ。しかも、石焼き芋は格別である。今まで何回も、この悪魔の叫びが聞こえるたびに意識を失い、気がつくと焼き芋を食べている自分がいた。

500円分くらいください」

駄菓子屋に来た子どものように、手に500円玉を握りしめて、その悪魔に渡した。するとその悪魔は、

「いっぱい余っているから、おまけするよ」

と言って、こんなにも石焼き芋をくれた。

 石焼き芋

 これで一週間は暮らせる。(んなこたーない)

動いたおかげで、体が軽くなった。
悪魔は実は天使だった。(SEKAI NO OWARIの歌詞みたいだな)

ありがとう、石焼き芋屋さん。