先日友だちが「考えない練習」という本を紹介してくれた。調子が悪い上に、無駄に時間がある最近では、なんだか自分で余計なことを考えすぎて、勝手に悩んで勝手に苦しんでいるような気がする。そこで、紹介されたこの本を買って読んでみようとした。
しかし、1ページ読んだだけで限界。頭がオーバーヒート。と言うかそれ以上読むのを脳みそが拒否している。
それほどに自分の頭は錆び付いている。頭の中に常に白い霧がかかっているような感じで、思考能力がかなり落ちている。自分の専門分野であるIT関連の本や、新聞の記事などは読めるのだが、こういう「頭を使う」「考えさせられる」本が今は全く読めなくなっている。そう言えば最近何年も本を読んでいない。昔は暇があったら本屋に行って、おもしろそうな本があるととりあえず買って、いわゆる「積ん読」状態だったくらい、本の虫だったのに。
そして今日の朝から、また余計なことがぐるぐる頭の中で回りだした。
「自分は何のために生きているのだろうか」
今まで幾度と無く自分の中で繰り返されてきたこの疑問。
昨日の日記では、
この1ヶ月の間に、たくさんの人が自分のことを気にかけてくれていることを実感した。自分はまだ死んではならない。その人たちのためにも。
と書いた。では自分はその人達が悲しまないために生きているのか。それはただ「まだ死んでない」だけのような気がする。そんなことではない。
今、自分は何もしていない。働きもしていなければ、教育を受けているわけでもない。外に出ることも殆ど無く、ただ毎日を怠惰に過ごしているだけで、何の社会的貢献もしていない。誰かのために役に立っているわけでもない。
自分の中では、焦燥感や孤独感、無力感、失望感、罪悪感が混ざり合っている。
みんな平等に歳を重ねていく。自分の友だちは、仕事だったり育児だったり、歳とともにいろんな経験を積み、人間として成熟していく。そうして新しい経験で上書きされた頭の中では、昔のことは陰を潜めてゆく。
その一方で自分ときたら、何にもしていない日が多い。ひねもすのたりのたりしているばかり。何の社会的経験もつまずに、全く精神的な成長もなく、どんどん置いてけぼりにされていく焦燥感に孤独感。調子が悪くて何にもできない無力感と失望感。そんな自分を責め続ける罪悪感。ただただ郷愁に浸り、過去のことをどんどん思い出しては悔やんでいる。過ぎ去りし過去の記憶のほうが鮮明になってきている。
今、自分にできることをやればいい。人はそう言う。しかし、何もできないのだ。まず「外に出る」「体を動かす」ことが、精神的な快方につながり、好循環をもたらすことは重々承知している。わかっているけど、できないのだ。なぜできないかと問われると答えられない。あえて答えるとすると、
「そんな高いハードルを超える気力が今はない」
それだけしか今は言えない。ほんのちょっとの頑張りで、物事が良い方向に向かって行くかもしれないのに、なんにもできない。最近はテレビすら観ていない。新聞もあまり読んでない。ずっとゲームをやっている。もうニート以下である。
いつも同じことを考えて、堂々巡りになる。親からもらった大切な命である。1ヶ月前には自分で捨てようとしたものの、妻が救ってくれた命でもある。もう簡単に捨てることは許されない。では、自分は何のために生きているのだろうか。あるいは生かされているのだろうか。答えは見えない。とりあえず今、自分は何をどうすればよいのか。それが全く見えない。誰か教えて欲しい。
ということが毎日ぐるぐる頭の中を回っている。本気で「考えない練習」をしないと、何かが崩壊しそうだ。