最近ネガティブなことばかり書いているが、上のタイトルの下に書いている通り、この日記は、
「心と体の模様を記録した雑記帳」
である。だから、鬱のときはとことん鬱の気分を書く。
適当に読み流してくれれば幸いである。
最近ネガティブなことばかり書いているが、上のタイトルの下に書いている通り、この日記は、
「心と体の模様を記録した雑記帳」
である。だから、鬱のときはとことん鬱の気分を書く。
適当に読み流してくれれば幸いである。
昔通院していた病院で、心理療法士によるカウンセリングを2年くらい受けていた。
そこで開いたパンドラの箱。心理療法士は最初に語った。
これからあなたのパンドラの箱を開けていきます。それは、あなたにとっては苦難かもしれません。しかし、それを乗り越えないと、自分は変わりません。人から指摘されたことは、自分で変えられないのです。あなた自身が自分で気づいたこと、それが重要なのです。そしてそれが自分を変えるきっかけになります。そして、そのパンドラの箱を閉じるのも私の役目です。
私が自分自身で目をつぶっていた、あるいは考えないようにしてきた、そして超自我に支配されて自分自身でも見えなくなっていた、自分の心の奥底の自分の本心。「○○しなければならない」でなく、「○○したい」という自分の欲求。
それらが少しずつ引き出されてきた。
カウンセリングのたびに、私は苦悩した。苦しい修行だった。自分を変えるためのカウンセリングは、決して「癒される」ものではない。自分を変えるには、自分の内面ととことん向き合うプロセスが必要で、心理療法士はその手助けをしているだけである。
しかし、その心理療法士は、自分自身の健康問題でドクターストップがかかり、病院を辞めてしまった。後任のカウンセラーは来なかった。カウンセリングは信頼関係が重要である。今さら他の病院の門戸を開いてカウンセラーを探す気はなかった。
いつの間にか、パンドラの箱は勝手に閉まってしまった。自分は再び自分の心に蓋をした。
ここ最近、貯金ももう底が見えてきているのに、未だに自分の体調が回復せず働けるめどがたたない自分、焦りばかりが先走る自分。明るい未来が見えず、過去のことを振り返って懐かしんでいるだけの自分。そして過去のトラウマに未だに囚われている自分。
そうしてパンドラの箱がまた開いてしまった。
「あの時には、あんなことを考えていたのか」
「あの時にあんなことをしたのは、こういう理由だったのか」
「あの時からずっと悩んでいるのは、こういう自分がいたからなのか」
次から次へと頭の中に浮かんできて、そして消えない。
自分は苦悩するばかり。
前を向くことを拒否し、後ろを向いてばかりで、だからと言って何も変わらない、何も解決しない、ただ苦しむだけの毎日。
パンドラの箱を閉めるのは、自分自身しかない。
鬱はそれを手助けしているのか、はたまた遮っているのか。自分の中に潜むチャーチルの黒い犬が笑っている。
わけもわからず自己嫌悪。
何がどうというわけでもなく、ひたすら自己嫌悪。
自分の中では、「憂鬱」と「鬱」は明らかに別物。
「鬱」ってどんな感じ?と聞かれても、なかなか言葉で表現できない。
あえて言うなら、「自己嫌悪の塊」というところか。
とにかく、自分を否定しないと気が済まない。
自分で自分を徹底的に責める。
自分の存在を許せなくなる。
それでも生きていかなくてはならない。
どんなに辛くても、人生を放棄してはいけない残酷な運命。
生きることは、権利なのか義務なのか。
わけもなく気分が落ち込んでいる。
いや、わけはいろいろあるのだが、今の気分の落ち込みは、
これと言った具体的な何かが理由というわけではない。
ただただ、気分が落ち込んでいる。
離人感がする。人に説明できない、なんとも嫌な感覚だ。解離の一種らしいが。
これが鬱というものなのだ。
わけもなく死にたくなる。
これが鬱というものなのだ。
昨日、友だちと何回もメールをやり取りして見えてきた自分。
それは、あまりにも過去の出来事に囚われている自分の醜い姿。
そして、妻の過去のことにも執着し、憤慨している自分の醜い姿。
やっぱり死にたい。
それは、鬱の症状でもなんでもなく、未来に背を向けて過去のことばかり懐かしみ、ただただ郷愁に浸る自分を否定した結果、生まれた感情。いや、生まれたというより、自覚していなかっただけかもしれない感情。
前にも後ろにも行けない以上、この場から消え去りたいというネガティブな願望。
自分の存在を抹消することで、社会的に自分の存在をアピールする虚しい自己満足。
自分は、今の自分は、やはり現実を受け入れることができない。
だけど、
死んだら迷惑をかけてしまう人がたくさんいる。
死んだら悲しんでくれる人もいるかもしれない。
だから、自分は「希死念慮」とともに生きていく。
「絶対自殺をすることはない」とはもう思っていない。
「やっぱり死にたいけど、絶対に死んではならない」
肝に銘じて生きていくことにする。
絶望的な未来に乾杯。