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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2012年11月

昨日は大阪から兄夫婦が来てくれた。兄はもともとその日に仕事か何かの関係で東京に来る予定だったのだが、奥様も私たちのことを心配して、久しぶりに会いたいということで、兄と一緒に来てくれた。

夜、久しぶりの中華街で食事をし、積もる話もあったので、長々とあれやこれや話をしているうちに、すっかり夜遅くになってしまった。久しぶりに夜中(と言っても21時くらいだが)に外を出歩いたが、えらく寒かった。兄が「やっぱり東京の方が寒いねんなあ」と思ったらしいが、昨日は特別寒かった。

私が自殺未遂をした、まさにその時の話をしたが、改めて考えるととても恐ろしい。頭が真っ白になり、

「死んだら誰かに迷惑がかかる」
「死んだら誰かが悲しむ」
「そもそも自殺なんてしてはいけない」

という当たり前のことが完全に頭の中から消えていた。しかし、今となってもっとも怖いのが、

「全く怖くなかった」

ということである。自分は自殺なんてしないと思っていたし、もし死にたくなっても、どうせ怖くてそんなことはできないだろう、と思っていた。しかし、あの日の、あの時の、あの瞬間は、全く怖くなかったのだ。

今、たとえばそのときの1/10の量の薬を前に出されて「救急車が外で待機しているから、飲んでみなよ」と言われたとしても、

「いやいやいや無理無理無理無理怖い怖い怖い怖い」

である。

「うつ病で自殺」というのが、「病気を苦にして自殺」ではなく、「死にたくなること自体が病気の症状」ということは、基礎知識として当たり前のように知っていたが、発病してから13年が経過して、まさか自分がそんな状態になるとは思ってもいなかった。

本当に恐ろしい病気である。

勤労感謝の日。

めちゃめちゃ働かされていた昔は、「勤労に感謝も何もあるか!」などと思っていた。

しかし、今になってわかった。働けることの喜びと、働きたくても働けないことの悔しさを。

当たり前のように働いている人は、そのことに感謝してほしい。

昼間、かまってちゃんから卒業しなくては、と書いたばかりなのに、夜になると寂しくなって、あちこちに電話したが誰も出ない。明日から3連休だし、みんな仕事をしているか小麦粉か何かなんだろう。

しかしその後、うちら夫婦を心配した義理の姉(兄の奥さん)から電話がかかってきて、色々と話を聞いてもらった。家族にも心配かけっぱなしで申し訳ない。義姉はとてもおしゃべりが好きで、自分もしゃべるのは好きなので、なんだかんだ結局1時間半くらいはお話をして、私が自殺未遂をした原因となったことも全部聞いてくれた。身内でもなかなか話せない内容なのだ。

よくそんなの、1人で抱えてたね~。ブログ見て「ショッキングなこと」って書いてあったけど、ショッキングどころではないわよ。

そうなのだ。それほど重い話で、誰にも相談できなかった。誰かに話だけでも聞いてもらうという発想すら頭に浮かばなかった。今日も話を聞いてもらって、かなり気が楽になった。改めて思ったが、相談相手が女性しか思い浮かばないのでなく、この話は女性目線で聞いてもらわないと自分が楽にはならないのだ。

でも、そろそろ本当にかまってちゃんから卒業しなくては。
あ、そう言えば今日はいい夫婦の日だった。

コミュニケーションに飢えていて、最近誰彼かまわずメールしたり電話している。
正直、ただの「うざい奴」に成り下がっている感がある。だんだん自分がかまってちゃんになっていく。

そろそろかまってちゃんから卒業しなくては。

こんなところで死んでたまるか。
まだまだやりたいことは星の数ほどある。
やらなければならないことは山ほどある。
自分を必要としてくれる人がいる。
自分を愛してくれる人がいる。

俺は死なない。

しかし、いつ何時、不慮の事故や病気で死ぬかわからない。

自分の葬式なんぞやってくれなくてもいいが、もし何か曲を流すなら、この曲を伝えたい。