先日書いた今年の目標が、読み返してみると少しおかしかったので訂正。
「頑張る」と「無理をする」の区別
「頑張らない」と「無理をしない」の区別
を見極めることと、
「頑張る」と「頑張らない」の境界線
「無理をする」と「無理しない」の境界線
を見極めること、と訂正しておこう。
そして、その試練はしょっぱなからやってきた。
1/5の出勤の日、朝起きたらとてもしんどくて、朝食も食べずに薬だけ飲んで寝てしまった。
昼頃に目は覚めたが、まだしんどい。この状態から自分はどうすればいいのか。自分の体と心を冷静に観察する。
頭の中はもやもやとしてはいない。考える余裕がちゃんとある。
しかし、体はしんどい。だが、神経から来るしんどさは、体を動かすことによって抜けていくことが多い。
なんとか「起き上がってシャツ1枚着替える」という初動さえクリアしたら、会社に行けそうな気がする。
体がしんどくて起き上がれないときのおまじないを試してみる。
手のひらを握ったり開いたり、足の指をできるだけ早く動かしたり。
自分の体内のニューロンを伝って、全身の細胞に自分の意志を伝える。
そして膝と肘を曲げ伸ばしして、少しずつ体が活性化してきたときに、仰向けから横向きに、そしてうつぶせになり、四つん這いになり、なんとかやっと立つ。ここまで5分くらいかかった。
しかし、本当にこのまま会社に行って大丈夫なのか。これは「頑張っている」のか「無理をしている」のか。いや、区別するのは意味が無い。自分としては「頑張っている」ことは確かなのだ。それが「無理をしている」のかどうか。
そんなとき、あの人の声が聞こえた。
「ダイジョブダイジョブー、ダイジョブダイジョブー、ダイジョブダイジョブー」
「そんなの関係ねぇ」でブレイクした芸人、小島よしおの2~3年前のギャグである。
これで小島よしおは毎回すべるのだが、このフレーズ、自分にとっては勇気をくれるような気がする。
「ダイジョブダイジョブー、ダイジョブダイジョブー、ダイジョブダイジョブー」
アホみたいに自分でに暗示をかけるが如く、ずっとそれをぶつぶつと繰り返し呟きながら服を着替え、会社に行く準備をする。
そして、さあ会社に行こうとしたときに、やはりまた不安になる。このまま前に進んでいいものかどうか。
そんなとき、またあの人の声が聞こえた。
「マエマエマエ、マエマエマエ、マエマエマエ」
再び小島よしおの1~2年前のギャグである。これも本人は毎回すべるのだが、自分にとっては背中を後押しされているような気がする。
「マエマエマエ、マエマエマエ、マエマエマエ」
またもやぶつぶつと自分に暗示をかけるが如く呟きながら、家を出て会社に向かう。とにかく前へ進んでみればいい。やっぱりしんどければ途中で帰ってきたらいい。仕事中にしんどくなったら早退させてもらえばいい。そう思って、とりあえず前へ進んでみた。
そして、ちゃんと会社に着き、普通に仕事ができ、普通に帰ってこれた。疲れはしたが、ちゃんと勤務できた。
翌日の6日はそれほどしんどくなく、通院日だったので病院に寄ってから出社し、仕事をして無事帰ってこれた。診察では、少しずつだが状態が改善していることを話したら、サインバルタが効いているみたいですね、ということで、サインバルタを50ミリから60ミリへ、そしてジェイゾロフトを50ミリから25ミリへ変更。サインバルタはこれでマックスなので、次回にジェイゾロフトを完全に切るだろう。
そうしてとりあえず2日間乗り切って、なんとか3連休で骨休め。
小島よしおはこんなところで他人に貢献しているとは思ってもみないだろう。しかし、彼のフレーズは、
「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」
という、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が、信者をマインドコントロールするときに繰り返し言わせていた、「同じ言葉をテンポよく3回繰り返す」という点で似ている。
単純ではあるが、同じ言葉を繰り返し口にすることによって、マインドコントロールされていくのかもしれない。しかしそれは裏をかえせば、自分の頭でモノを考えなくなるということでもある。
だとすると、これらのフレーズもやたらめったら多用するのは危険かもしれない。冒頭に書いたように、冷静に自分の状態を観察し、区別すること、見極めることができなくなるかもしれないからである。頭も体もふらふらなまま外に出て車に轢かれたりしたら元も子もない。
まあ、これ以上深く考えるのはやめておこう。