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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2011年1月7日

119番がつながらなくなった原因って、ループによるブロードキャストスームだったの?

119番障害:職員ミスが原因 ケーブル接続誤る

ループによるネットワーク断のトラブルは前の職場でも何回か経験したが、一分一秒を争うような救急消防システムが、それくらいで止まっては困ると思うのだが。

一般のユーザは、一本のケーブルの両端を同じハブやルータに接続することが大きな障害を引き起こすなんてことは知らないだろう。システムはフールプルーフに構築しなくては。言うは易く行なうは難し、だけどね。

久々に夜中に眠れなくて起きてきた。最近睡眠は割と安定していたのに。

眠れないと、いろいろととりとめのないことを考えてしまう。さっきまで頭の中を回っていたのは、今後自分たちはどうやって生きていけばいいのだろうか、という漠然とした不安。その不安はいつもつきまとっているのだが、誰かに話したり相談したりすると、必ず最後は「生存権は基本的人権として憲法で保証されているから、なんとかなるんじゃないの?」とか、もっと具体的に「生活保護という制度もありますよ」とのお答えをいただく。

しかしながら、私は矛盾を感じるのだ。その矛盾についてさっきまで考えていた。

憲法第25条
 1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

2.は「努めなければならない」という、努力目標的な書き方で濁しているが、1.にははっきりと「健康で」という文言が入っており、「権利を有する」ときっぱり言い切っている。

しかしながら、「健康」ではない自分がここにいる。好きで健康を害したわけではないし、好きで病気になったわけでも好きで障害者になったわけでもない。それでも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」そうだ。文化的といえば、最低というほどでもないそこそこ文化的な生活を営んでいるが、健康ではない。これは憲法違反に他ならない。

まあ、揚げ足取りというか言いがかりというか、自分の言っていることがむちゃくちゃだということは認識している。でも、なんだかやりきれないのだ。眠剤を飲んでも眠れなく、そのくせ朝はつらい。ずっとしんどくて寝ている状態が続いて、どこが「健康で文化的」な生活なんだろう。