お葬式って、なんでこんなにお金かかるんだろう。
母が亡くなったのが夜中の10時頃だったのに、0時くらいにはもう葬儀屋が病院に来ていたらしい。まるで死体に群がるハゲタカみたいだ。父とともに打ち合わせをしていた兄曰く、「本人抜き、遺族抜き」のビジネスライクな葬儀屋の説明。お棺はどのタイプにしますか、お花はどうされますか、これだったらウン万円、これだったらウン十万円。でもせっかくの最後のセレモニーだから故人のためにもなんたらかんたら。テレビ番組でやっていたが、葬式にこんなにお金がかかるのは日本くらいなものらしい。
もちろん、自治体にお願いすればウン百万円も出さずに安価に葬儀を執り行なうことはできるし、生前から母も自分が死んだらそれでいいと言っていた。でも、病院と葬儀屋はおそらくつるんでいて、誰かが死亡したら自動的に葬儀屋が来るようになっていて、その後は放心した遺族の心につけこんで少しでも高い葬儀を出させるのが彼らの仕事なのだろう。なんだかばかばかしい。
でも、父も母もいろいろなつきあいが多くて、たくさんの弔問客も来てくれた。それはそれでよかったのかもしれない。たくさんの花に囲まれてお棺に入っているおかんは、たくさんの人を見て喜んだのだろうか、それとも「こんな金かけなくてもいいのに」と怒ったのだろうか。
平野元官房長官(鳩山政権時代の人ね)から弔電をいただいたり、その代理の方も告別式に出席していただいた。実は平野氏の地元で近所なのだ。知ってはいたが、弔電をいただいた方の名前を司会者が読み上げているときにはちょっとびっくりした。
それにしても、なんか変わったお葬式だったなあ。お坊さんの読経も変わってたし(後にお坊さんが喉を痛めていたためだと判明)、告別式の前に親族一同で記念写真を撮ったりしたし。お葬式で記念写真ってはじめてだ。おかんも写ってるかな。