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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2005年7月11日

昨日は22時40分頃に寝たのだが、なかなか寝付けない上に喘息が出てきて苦しくなった。1時間くらいして、これはまずいと思って気管支拡張剤の吸入を行い、追加眠剤を飲んで牛乳も飲んで寝た。その後はすぐに眠れたようだ。昼間あまり動いていないとは言え、なんで普段の眠剤では寝付けないのだろうか。ハルシオン2錠にベンザリン1錠を飲んでいるのだが。ハルシオンは超短期型なので速攻に効くはずなのだが。

そして今朝は6時40分くらいに起きた。まあまあかな。目覚めはすっきり、というわけでもなく眠けが残っているが、もう一度寝ると寝過ごしそうでやばい。なんとかがんばって起きて朝食を作って食べる。でもそのままソファで寝てしまった。彼女に起こされて時計を見ると、いかんもう行く時間だ。慌てて会社に行った。

会社が終わって病院へ行く。18時の予約で18時ちょうどくらいに着いたが、2時間くらい待たされた。しかし、部長に言われたことなど、いろいろ話すことがあって20分くらい医者と話した。じっくり話を聞いてくれるいい先生なのだ。待たされるのはしかたがない。

それにしてもいろんなところで話が食い違っている。「健康状態が完全に回復したこと」これが仮出社の条件だった。そしてそのために、「週5日、1日7時間半の定時勤務ができること」とと言う医者の診断書を会社に提出する必要がある、と言うことでそういう診断書を書いてもらい、私は職場復帰した。しかし、「健康状態が完全に回復したこと」と「週5日、1日7時間半の定時勤務ができること」はイコールではない。しかし部長は、私が仮出社を始めるにあたって「健康状態が完全に回復した」という前提でめんどうを見てくれ、と人事部から言われたという。だから部長は私が完治したと思っている。それなのに、さらに3ヶ月間は残業を禁止、という診断が出たため「なんでやねん」と思っている。

そう言う話を主治医としたのだが「こういう病気は完全に治った、ということは難しいし、負荷が重くなったらまたいつ悪化するかわからない。今は順調に思えるが、経過を見ながら慎重に対処していかないといけない」と主治医は言う。それは患者である私はわかりきっているのだ。しかし部長はわかってない。「必要があれば上司と一緒に来てくれたら説明しますよ」と主治医は言うが、多分部長もそんな暇はないし、そもそも病気のことについて理解しようという姿勢は見られない。部長が知りたいのは「私がいつになったら他の社員と同じようにこきつかえるのか」なのだ。病気の詳しいことなんか知ったこっちゃない。「無理なら無理」でそれでいいから、それを知りたい。そうじゃないと私をどのチームのどのプロジェクトに組み入れることもできないのだ。

「部長は、あと3ヶ月経ったら今度こそ残業禁止の制限がとれるのか。どういう条件でその制限が解除されるのか、それを知りたいと言ってます」そう話すと、主治医曰く「3ヶ月、この夏を調子を崩さずに乗り切ったら、最初は1時間とか2時間とかから残業をしてもいいでしょう」とのこと。あくまでも慎重路線だ。これを部長に伝えたら、またぼやくだろう。その顔が想像できるが、しかし医者がそう言っている以上、そう伝えるしかない。

今日主治医と話をしていて、この先生は業界のことについて詳しいなあと思っていたら、なんと病院の休診日である木曜日に、この先生はあるソフトウェア会社の産業医として勤務している、と言うのだ。それは道理で詳しいはずだ。この業界の厳しさを知っている。だからこそ、慎重な診断をくだしたのだ。

とりあえず、また部長と、そして人事部と話をしなくてはなるまい。もう私は今週の仕事すら片づき始めているのだ。そして私に与える仕事がなくなってきている状態だ。