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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2004年5月

先週まで毎週末に土、日、月と2泊3日で外泊訓練をしていたのだが、今週から3泊4日になった。今日は外泊初日で家に戻ってきたのだ。あと何回か外泊して病院の外での生活を落ち着いて送れることを確認し、退院する予定だ。

入院中に書き溜めた今までの経緯などを元に、自分のHPの「カミングアウト宣言」の部分をリニューアルした。タイトルを「自律神経失調症/うつ病」から「躁鬱病」に変え、内容もかなり細かいものになった。

今夜は知人がやっているアカペラグループのライブに行く予定なのだ。楽しみなのだが、体がもつか心配である。

今日、会社へ行って人事部の人と面接してきた。

自分の直近の状態を伝え、そして人事部の人から復職に向けての手続きについて説明された。自分が思っていた以上にいくつものステップがあり、自分も慎重にしないといけないが、会社側もかなり慎重にしているようだった。

まず、今は入院中なので、退院したらその時点での診断書を持って、もう一度人事部の人と面接をしなければならない。そしてその次に会社の産業医(心療内科)と面接をしなければならない。最後に自分が復帰する部署の部長と面接をしなければいけない。これらをクリアして、やっと復職できる。復職時には会社所定の書式の診断書を主治医に書いてもらわないといけないが、これがものすごく細かいことまで書くようになっているらしいのだ。と言うのも診断書の書式を医者にまかせると、おおざっぱすぎて、具体的にどういう場合に、何をどんな風に気をつけたらいいのか、とにかくそういう細かいところまで患者(社員)の情報がほしい、というわけである。社員のことを本当によく考えている証拠である。順調に行けば復職は夏真っ盛りの8月頃か。

しかし、復帰しても自分はもう前のようにばりばり働けない。病気が完治して戻ってきたのではなく、こころの病というハンディキャップを背負って戻ってくることになった、だからその点の配慮をお願いしたい、そういうことを人事部に正直に話した。精神障害者保険福祉手帳を申請したことも話した。うちの会社は障害者をたくさん雇用している。精神障害者に関しては企業の雇用義務はない。(身体障害者と知的障害者に関しては、企業は従業員の数に応じて一定数の障害者を雇用しないといけなく、一定数に満たない分はペナルティを払わなければならない、という法律があるが、精神障害者はまだ蚊帳の外である)しかし、うちの会社は2年ほど前に精神障害者を対象に10人の募集をかけた、というくらい進んでいるのだ。こういうハンディキャップを持ってしまった社員を受け入れてほしい、という願いは通じるはずだ。

とにかく、今は焦らずにゆっくりと回復を待つのみである。まだちょっと躁気味で、下手すると突っ走ろうとする傾向がある。

5月11日火曜日のことである。久々に8時間も熟睡できて朝目覚めたら、体が軽く、心も穏やかで、数年ぶりに心にかかっていた霧が晴れたような気がした。元気になっていろんな人と話すようになり、以前のように頭が速く回転し、話をしていても言葉がぽんぽん出てくるようになった。そしてその状態は先週いっぱい続いた。今までとは違う。これは一歩前進した。今度こそいけるかも。そんな感じだ。今の調子が続けば早くて今月いっぱい、遅くとも来月いっぱいには退院できる見通しである。そして退院して1ヶ月くらい様子を見て復職できそうである。明後日の火曜日に会社に行って、復職に向けて人事部と面接をする予定である。

しかしながらこういう病気は再発性が高い。今回よくなったからと言って、いつまた調子を崩すかわからない。いくら自分で気をつけていても、季節の変わり目などにホルモンのバランスが崩れたりして調子が悪くなることはいくらでもあることだそうだ。いつ爆発するかわからない爆弾を抱え込んでしまったようなものだ。だから私はもう以前の私ではない。前の私には戻れないのだ。今まで「なんとかしてこの病気が治らないかなあ、いつになったら治るのかなあ」と思っていたが、これからは「治そう」というのではなく、「うまく病気とつきあって生きていこう」、そういう考え方になった。

そして私は「精神障害者保険福祉手帳」を取ることになった。主治医に書いてもらった診断書を持って明日区役所に行って手続きをしてくるつもりだ。つまりそれは、「こころの病気」というハンディキャップを持った「精神障害者」として生きていくことになったことを意味する。なった、というか自分で選択したのだが。

これからは障害者の立場から「こころのバリアフリー」を提唱していこうと考えている。退院して落ち着いたらもう一つHPを立ち上げようかなあとも思っている。精神的な病気を持った人にとっての一番の障壁(バリア)とは何か。それは「社会の人々の偏見、理解のなさ」である。車椅子の人には優しくできても、どうしてこころの病気の人には優しくできないのか。そういうことを綴っていこうかと思っている。

とりあえず今日は、彼女が仕事から帰ってきたら久しぶりに焼肉を食べに行くことにしているので、それが楽しみである。彼女の仕事が終わるまで、冬のソナタを見ていたところだ。実は先月ついに光ファイバーがうちに来たのだ。有線ブロードネットワークのBROAD-GATE01である。うちは無線LANだが、有線で実効速度を計測してみたら54Mbpsも出て超感激である。無線だとさすがに10数Mbpsに落ちるが、それでも充分である。そしてUSENが今、BROAD-GATE01加入者を対象に「冬のソナタ」全20編を無料配信しているのだ。それを観ていたのだが、Windows Media Player でノンフレームモードにすれば、まるで液晶画面がテレビになる。それで冬のソナタを観ていたのだ。みんな言っているが、はっきり言って「くっさ〜」というドラマである。しかしはまってしまいそう。

日記を書くのは久しぶりだ。調子が悪くて日記を書くのもしんどいというのもあったが、そもそも「1行でもいいから絶対毎日書かなくては」とかいう自分に対する制約、自由度のなさが調子を悪化させているかも、と思って無理に書かないようにしていたのだ。自分で自分の首を絞めていたのだ。

毎週末は外泊して家に戻っている。土曜日の昼前に帰って来て、月曜日の昼過ぎに病院に戻る。そんな感じでやっている。

今の状態は、4月の終わりに躁転して躁状態になっている。躁状態は鬱のまるで逆で、とにかく突っ走って突っ走って動き回って止まらなくなる。適度な休憩を入れることもなく、体がへとへとに疲れているのに自分で自分を止められない。制御不能なのだ。いろんなことがはかどるのはいいとして、体がぶっ倒れるまでやってしまう。

何とか自分をコントロールしようとして、今はタイマーを使っている。たとえば次の活動時間を50分とセットしておき、アラームが鳴ったら強制的にやっていることを休止して休む。そして今度は10分にアラームをセットし、それが鳴るまでは、早く続きがやりたくてうずうずしているのを我慢して体を休める。そんなことをやっているのだ。そんな機械に頼らずとも自分をコントロールできればいいが、まあ何もやらないよりかはましだろう。そうやって徐々に自分でできるようになっていけばいい。

病院の都合で4月から主治医が変更になった。この医者が当たりで、患者の状態に応じてダイナミックに薬を変えてきたりする。内科や外科などの普通の医療現場では、血液検査やレントゲンなど、客観的なデータを用いて医師は診断を下す。しかし精神科の場合、ほとんどの場合が自己申告の世界なのだ。診察といっても、患者が「ぜんぜん動けなくて、気分が落ち込んでいて」とか「ぜんぜん眠れなくて」とか話すのを聞いて医師は診断をくだす。

しかし、心の様子は見た目にも現れる。めつき、かおつき、姿勢、体の動きなどで心の状態がわかるのだ。そして、今度の主治医は患者のそういう点をよく観察している。入院病棟では、みんなでレクリエーションをやったりするが、今までの主治医はそういう場に顔を出すことはなかった。しかし、今度の主治医は顔を出すばかりか自ら参加したりする。そして、ただ参加するだけでなく、そこで患者の様子を事細かに観察しているのだ。私はこの先生についていくことに決めた。この先生が他の病院に移ったら、私も病院を移ろう。そう思わせるほどの名医だと思う。実際、看護師や他の患者からも評判がいい。

さてさて、昨日は友達の結婚式で疲れたのだが、なんとか自分をコントロールできて、チャペルの式から披露宴、二次会までもつことができた。めでたしめでたし。それでは今日はもう少ししたら病院に戻るのだ。