TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2003年3月

今日はなんとか11時半くらいから動くことができた。今日はヴォーカルアンサンブルAがピアノの発表会に賛助出演する。最初は私も出演する予定だったが、2月の練習を2回とも休んでしまったため、辞退した。普段は肉声で響きのいい場所でやっているが、今日はグリーンホール相模大野の多目的ホール。ここは「多目的」とうたっているだけあって、音響は非常にデッドだ。そういうわけでヴォーカルアンサンブルAは久々にマイクを使ってのステージだった。客席で聞いていたが、ちゃんとPAを操作してバランスを調整してもらっているため、マイクを使用しても違和感がなかった。

終演後、聞きに来ていたジョイントコンサート関連の友人も一緒に喫茶「Danke」でお茶をする。ここは久々に来るが、コーヒーがおいしい。久々にみんなとおしゃべりして帰ってきたら19時半くらいだったが、帰ってくるとぐわ〜っと疲れが一気に出てきた。首、肩が異常にこって痛い。おさまっていた腹痛が再発。なんなんだ、いったい。まだまだ体が弱っているし、知らないうちに気も張っていたのだろう。明日はゆっくり休もう。

今日は予報どおり一日雨。夕方まで寝ていたような気がする。ずっと寝ていたわけではないが、起きたり寝たりを繰り返していた。そんなに寝たのに夜になるとまた眠たくなってきた。昨日の夜は眠剤を飲んでもなかなか眠れなかったのに、安定しない。昼の方が自然に眠ってしまう不自然さは相変わらずだ。

腹痛がおさまらない。治ったと思ったらぶり返している。昔から腹を壊しやすく、腹痛を起こすのは珍しくない。あまりに痛くて夜中にタクシーで救急病院に行ったことも2度ほどあった。しかし、いつもまともな診察をしてくれない。「腹が痛いんです」そう訴えても「そう」と言うだけで、触診すらしないこともほとんどだ。「じゃあ薬出しておきますから」いつもそれで終わりだ。腹痛くらいで病院来てるんじゃねーよ、そう言わんばかりに冷たくあしらわれている気がする。だから腹痛で病院に行くのはなんか嫌なのだ。市販の薬を飲んでしのいでいる。彼女は心配して「病院行ってよ〜」と言うが、腹痛に関しては病院に行くのは気がすすまない。しかしまあ、今回は月曜くらいから続いているので、来週になってもまだ続いていたら近くの医者にでも行ってみるか。

夜、テレビを観ていたら「ザ・ジャッジ」で「仕事が忙しすぎてうつ病になった場合の慰謝料は」というテーマを取り上げていた。慰謝料の額はともかく、そのケースの再現ビデオをみていると昔の自分を思い出す。テレビでやっているほど極端なわけではなかったが、だんだん追い詰められていくさまが発病した頃の自分の姿と重なるのだ。あの頃は自分で自分がどういう状態になっているのか全くわからなかった。「うつ病」という病気があるということすら知らなくて、どこに相談すればいいのかもわからず、ずっと一人で抱えて悩んでいた。最初にしかるべきところに相談して早期に手を打っていれば、こんなに長期化して今頃こんなふうに毎日寝てばかりの生活を送ることもなかったかもしれない、今頃また復帰してばりばり働いていたかもしれないのに、そう思う。今日のテレビでは「こういう傾向がある人はうつ病の可能性があります」と自己チェックをやっていたが、今みてみると、最初の頃はすべての項目にあてはまっていたことがよくわかる。あの頃、これを観ていれば。後悔ばかりしてもしかたがない。目を先に向けなければ。しかし、つい思考が後ろ向きになってしまう。いかんいかん。

3月に入ったというのに、今日はえらく寒かった。いつまで寒いつもりやねん、と誰に言ってるのかわからぬ文句をつぶやく。春一番も吹いたし暦の上ではもう春らしいが、本当に暖かくなるのはいつ頃なのだろう。寒いと体も心も縮こまってしまう。

今日はなんとか診察へ行けた。とは言っても11時半の予約には間に合わなかった。いつものごとく二度寝してしまって、起きたのが11時半くらいだったので、どうしようもない。14時に予約が入っている彼女と一緒に行った。先月と同じパターンか。

病院はいつもより混んでいるような気がした。季節の変わり目というのはやはり調子を崩しやすいのか。そう言えば去年も春先はえらい混んでいた。春になるとおかしな人が増えるというのは半ばあたっているのかもしれない。

夕方買い物に行ったら、築地直送の新鮮な魚を売っている魚屋で「鍋セット」がたたき値で売られていた。魚介類がたっぷり入ったセットはラベルには780円と書いてあるが、赤のマジックで300円と書き直されていた。こういう寒い日は鍋がいい。鍋セットをゲットして、白菜、しらたき、えりんぎ、えのきを買ってきてぶち込む。セットには蟹まで入っている。蟹やら魚やらきのこのだしが出てうまい。やはり冬は鍋に限る。うん、鍋がうまいからやっぱりまだ冬なのだ。明日はこの残った汁でうどんにする。それがまたおいしい。何でもない日常のささやかな楽しみである。明日は一日雨の予報。今から心はしょぼ〜ん。

朝早く起きたが朝食を食べてまた寝てしまった。いつもと同じである。

そして昼頃目が覚めた。今なら午後のプログラムには間に合わなくとも15時からの英検クラブには顔を出せる。そんなに調子は悪くなさそうだ。動けそうだ。そんな感じなのに、なぜか動かない。ぜんぜん動く気が起きない。なぜなんだろうか。行こうと思えば行けそうなのに、どうして行けないのか。こういう中途半端なときは自分でもどかしい。誰か首に縄をつけて引っ張ってくれれば行けそうなのだが、人に引っ張ってもらうのではだめだ。自分でなんとかしないと。

しかし健闘(していないが)むなしく、また寝てしまい、起きたら15時半。なぜなんだ。今日もいっぱい夢を見た。小学生の頃の友達やら職場の前の部署での先輩やら、いつものことではあるが懐かしい人が出てくる。スーツを着ようとしてどうしてもうまく着られない、というところで目が覚めた。何かを暗示しているのだろうか。「起きて行かないといけないのに動けない」という、そのまんまの夢を見ることも前は多かったが、もっと漠然とした「何かをしようとしているのに、うまくできない」夢もみるというのは、何か心理的に意味があるのだろうか。何かの強迫観念にとらわれているのだろうか。

夜、彼女と話をしていて、どういう脈絡だったか忘れたが「もし余命1年と言われたらどうする?」と聞かれた。「海外ボランティアでも行こうかな」と言うと、とても不思議そうな顔をしていた。自分だったら好きなところに行って好きなものを食べて過ごす、という。普通はそうなのだろうか。そんなことをしたらますます死ぬのが惜しくなるだけではないか。あと1年しか生きられないとわかった時点で、いつ死んでも惜しくないようなことをしよう、とは思わないのかなあ。治安が悪かったりたいへん貧しかったり、「自分も死んだらどうしよう」と思うような場所へ行って、たとえば地雷撤去なんかを手伝う、というようなことを私の場合まっさきに思いついた。どうせもうすぐ死ぬんだから多少無茶をしてもかまわない。どうせ死ぬんだったら、代わりに誰かに生き延びてほしいものだ。

今日も腹痛に悩まされた。5時前に起きたときはどうということはなかったのだが、朝食のコーンフレークを食べてしばらくすると、またまた腹が痛くなってきた。牛乳が悪かったのだろうか?痛む腹を抱えながらうんうん唸っているうちに寝てしまったらしい。起きたら12時半だった。すっかり寝てしまった。今日もデイケアはお休み。はあ、明日こそ。明日こそと毎日言っているような気がする。そういや明日は院内の病棟対抗バレーボール大会だ。去年私が退院した日がこのバレー大会の日だった。もう一年たつのか。あっというまに時は過ぎ去っていく。私はいつまでここで足踏みすればいいのだろうか。

いつものごとく昼食はパンを買ってきて食べたが、そのあとも少し腹が痛くなった。一緒に飲んだカフェラテが悪かったのだろうか?用事で出かけている彼女と横浜で落ち合い、ウィンドウショッピングをして帰ってきた。彼女は夕方から歯医者に行き、私は整形外科へ。小指の具合を見てもらうために週一で通わないといけない。ギプスを外してみると、曲がり方は以前ほどではないが、まだ少し曲がっている。この「少し」が元に戻るのに時間がかかるのだろうか。なんでも最後の「あと少し」が大変なものだ。もっとも、この指は完全には治らない、と最初に釘をさされているが。今の状態でも日常生活に支障はなさそうだし、ギプスが鬱陶しいから取ってしまいたいところだが、ここでギプスをやめると、またもっと曲がったままの状態に戻ってしまうのだろうか。