今日はデイケアに行けないとか行かないとかいったレベルではなかった。
なんと、14時過ぎまでぐっすり寝ていたのだ。当然そんな時間に起きて行けるはずもない。と言っても14時まで一度も目を覚まさなかったわけではない。いつもは4時とか5時くらいに一度目が覚めていったんは起きるものの、6時くらいに調子が悪くなってまた寝てしまう。今日は起きたら6時頃で、朝食を食べてから異様に眠たいのでまた寝てしまった。8時頃携帯が鳴った。実は、以前に彼女と電話で話をしたらスイッチが切り替わったようにデイケアに行けたときのことを思い出して、そのパターンを試してみようと思って昨日彼女にモーニングコールを頼んでおいたのだ。が、何を話したか覚えてないが、完全に寝ぼけていて二言三言話しただけで切って(切れて?)しまった。そしてその後14時過ぎまで爆睡していた。電話で自分が何を話したのか、あとから彼女に聞くと「何を言ってるのか全く聞き取れなかったけど、寝ぼけてると思って切った」そうだ。これだけ見事に寝過ごしてしまうと自分でもあきれるしかない。昨日は別に疲れが残ることをしたわけではない。眠剤が効き過ぎたのだろう、そう思って開き直ろう。今週も実質ほとんどデイケアには参加できなかった。また来週しきりなおしだ。
月別アーカイブ: 2002年11月
爆睡
診察も行けず
今日は診察の日だった。が、行かなかった。いや、これは行けなかった、と書くべきだろう。
デイケアは休んでも別に支障はない。カウンセリングは行くのが原則だが、行かなかったとしても一回休みになるだけですぐに何がどうなる、ということはない。もちろんカウンセラーに迷惑はかけてしまうが。しかし、診察をすっぽかすと薬がきれてしまう。最低でも薬はもらいに行かないといけないのだ。だから休んではいけない。にもかかわらず今日は体が動かなかった。
しかたなく、今日は彼女に薬をもらいに行ってもらった。この手を使うのは2回目だ。本当なら自分で行って自分の口から状態を主治医に説明するべきなのだが、昨日から不調だったので「明日やばいかも」というのは感じていた。幸いなことに彼女も同じ主治医で同じ木曜日に通院で、彼女自身の診察もあったので、診察券を預けてついでに行ってもらった。家も近所で同じ主治医にかかっているので、こういうときは助かっている。実際は薬を出してもらうだけでなく、彼女から私の最近の状態について話してもらった。まあ、調子が悪いのだからしかたがないが、ちょっと気が滅入る。今日は完全に鬱だった。16時ころ、彼女が帰ってくるまで布団にくるまっていた。おとなしく浮き上がってくるのを待つか。
でも今日も休んだ
今日もデイケアは行かなかった。
朝はいつも通りである。3時くらいに一度目が覚めたがもう一度寝て、次に起きたら5時くらいだった。メールチェックをして朝食を食べて、そしてその後の記憶がない。確か、「今日は朝からデイケアに行くつもりだったけど、調子悪いからいいや。もし調子よくなったら行ったらいいし、ずっと悪かったらお休み」とどこかの時点で思った、ということだけ記憶している。結局14時頃まで寝ていたのだ。まあいいや。ここで開き直らずに「また行けなかったよよよ」と悔やんでいては、また思考がループしてしまう。一度ループにはまるとなかなか抜け出せない。調子が悪かったのは鬱だったのか鬱ではないのか、自分ではわからないけど、そういうことをいちいち考えるのもやめた。調子が悪かったのは事実なのだ。行けなかったのでなく、「行かなかった」のだ。自分で決めた選択肢にしたがっただけなのだ。でも実際14時くらいに食事をしようと外に出たら、またどこに行っていいやら何も決められなかったので、かる〜い鬱ってところだろうか。
15時くらいから気分が晴れてきたので、中島らもの「心が雨漏りする日には」を読み出した。著者の躁鬱病の体験記が軽妙な語り口で書かれており、思わず一気に読んでしまった。中嶋らもはだいぶ前に朝日新聞の日曜版に「明るい悩み相談室」を連載していた頃から好きだったが、こんなにも躁鬱が激しく、アルコール依存症も患っていて、精神病院に何回も入院していたとは知らなかった。中嶋らも自身、うつ病になる前に、精神医学には興味を持っていて、はじめて鬱になったときに、自ら病院に行ってうつ病と診断されて「やっぱりそうか」と思ったらしく、その場で「リタリンください」と言ったそうだ。ぶったまげてしまう。リタリンと言ったら最後の手段というか、効き目は強烈だが、ほとんど覚醒剤に近いような危ない薬で、相当重症で放っておくと自殺してしまうとか、ナルコレプシーの患者くらいにしか処方しないものなのだが。合法ドラッグとしても出回ってるらしく、中島らもも「筒井康隆はリタリンでラリってるらしい」というのを聞いて知ったらしい。
戦略的な休日
今日はデイケアに行かなかった。昨日のうちから行かないことに決めていたのだ。昨日の通院でかなり疲れたから反動が今日に来ることは予想していたし、明日水曜日の午前中のプログラムは卓球の練習なので、それに出られるように調整しようと考えた結果、今日は最初から休むことにした。
朝はいつも通り早く起きて朝食を食べ、そしてまた寝てしまった。いつもながらこの辺りの記憶があまり定かではない。昼頃まで寝ていたことは確かである。ネットで注文していたトライトーンのニューアルバムが12時過ぎに届き、その直後にバイトが休みの彼女から電話が入った。彼女と昼食を食べ、届いたばかりのCDを聴いたり、その他のCDをかけたりと自宅でまったりしていた。「映画でも見る?」と彼女に聞いたが、「なんだか疲れてそうだからいい」と言われた。自分では自覚していなかったが、疲れているように見えたらしい。実際、言われてみてはじめて疲れが残っていることに気付き、15時くらいから17時過ぎまで眠ってしまった。その間、彼女は私が買っていた中島らもの本を読んでいた。
夜も、夕食を食べてテレビを観ていると、また眠気が襲ってきた。まだ疲れが取れていないようだ。今日は休みにして正解だった。もっとも、最初から休みということにしていなくても、どっちみち行けなかっただろうが、「休み」と決めてしまっていたほうが確かに気が楽だ。明日は朝から張り切ってデイケアに行くのだ。卓球大会は来週だ。
3週間ぶりのカウンセリング
久々にデイケアに参加した。と言っても、最後に少し顔を出してミーティングと掃除をしただけだ。その後3週間ぶりにカウンセリングがあった。
昨日は「明日こそデイケアに行くぞ」と気合を入れて寝た。そして今日はまた朝5時頃起きて、そのときも「今日こそデイケアに行くぞ」と気合を入れていた。にもかかわらず、また横になってしまって、また寝てしまって、そしてまた夜が明けると動けなかったのはなぜだろうか。「今日も無理なのか」「どうしようもないなあ」そんなことを考えつつ、目覚めたら昼だった。12時半頃、なんとかトイレに立った。そしてそのとき「今なら動けるかも」という感覚を覚え、急いでしたくして外に出た。行ってしまえばこっちのものだ。なんとか病院までたどり着いてみせる。そう思って病院まで行った。行くだけでばてばてだった。
カウンセリングでは、日記をつけ始めたこと、それを自分で読み返してみて、動けない、デイケアに行けない日にはいくつかのパターンがあることに気付いたこと、彼女からの電話でスイッチが切り替わったように行ける日があったこと、思い切って一日休みにすると次の日に行けたこと、そんなことをとりとめもなく話した。
カウンセラーと自分との間で禅問答のようなやり取りが行われる。自分の心探しが始まる。毎度のことながら、かなり消耗する。これは自分にとってかなりきつい。カウンセラーから直接指摘されたこともあったが、自分で導き出した一つのキーワード、それは今まで何度も出てきたが、やはり「焦り」ということ。
今は「デイケアに行く」というのはmustではなくbetter、つまり会社と違って「行かなければならない」ものではなく「行った方がよい」レベルのものであるのに、行けないことに執着してしまい、悪循環に陥っている。
思い切って「今日は休み」と決めて休んだら次の日行けたこと、彼女から電話がかかってきて話したら気持ちが切り替わったこと、これを成功例とし、それを自分の持ち札として選択する、それでダメなら「今日は行かない」という選択をすればいいだけ。「日記には『行けなかった』でなく、『行かなかった』と書いてください」そんなことを言われた。
それにしても、そのカウンセリングの後、自宅まで1時間以上かけて戻るのはきつかった。