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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2002年1月

昨日は眠剤を飲んだのが21:00直前だったのと、なんか興奮して頭の中を空想が駆けめぐって止まらなかったせいだろうか、寝付くのに時間がかかった。chemistryのCDを聴きながら寝ていたのだが、そもそもそれもよくなかったのかもしれないが、それを聴き終わってもまだ目が覚めていた。今日は追加眠剤かも、と思いつつ、でもその後すぐに寝付いたようだ。目が覚めたら4:00。けっこうよく寝ていたようだ。その後は眠れなかったので、途中からまたCDをかける。途中で切って5:20にホールに出てきた。

ヴォーカルアンサンブルの新年会に行く。Tちゃんの家に集まった。私は自分が持ってきてReal GroupのCDをかけてもらいながら、異常にハイテンションだった。のべつまくなしに喋りまくって、喋ってないときはCDにあわせて歌っていた。躁状態だった。また自分で気がつかなかった。

N氏に「CD、止めていい?ちょっといらいらしてきたんだけど」そう言われて我に返った。また躁状態に陥って人に迷惑をかけているのに気がつかなかった。またやってしまった。自責の念。自己嫌悪。そこから鬱は襲ってきた。そのまま落ち着くのを、精神的に安定するのをじっと待っていたが、あがってきそうになかった。周りが相変わらずはしゃいでいるこの雰囲気の中、自分はこのままいたら逆にどんどん沈んでいきそうだった。これはやばい、そう思ったとき、「鬱が来た。このままいくと動けなくなる」そう言って、新年会を中座した。震えが出てきた。そう、また震えだ。精神的に不安定になると出てくるこの震え。Tちゃんの旦那さんに駅まで送ってもらう車の中から始まった。寒くて震えているのではなく、不安定で震えていた。家になんとか帰り着いてもまだぶるぶる震えていた。

鬱は自覚できて、ある程度コントロールできるようになったけど、躁は自覚できない。コントロールできない。人に迷惑をかけても自分で気がつかなくて、後からそれに気づいて自分を責めてしまう。反動で鬱が来る。どうすればよいのだろう。今までは、躁状態に陥ること自体をコントロールしようとしていたが、そうではなく、その後に鬱状態に陥ることをコントロールするのが先かもしれない。

昨日はchemistryのCDを聴きながら寝た。寝付きはよかったが、1:00頃目が覚めた。その後、3:00頃から小刻みに目が覚めるようになり、再びchemistryのCDをかけると、また寝入ることができて、次は5:00に目が覚めた。なんかもう寝付けそうになかったので、再びCDをかけ、6:00までベッドの中にいた。起床の放送がかかる直前に起きて洗面した。

なんかぜんぜん日記を書く気がしない。もう19:30だ。今朝qmailのメールボックスの圧縮をしたら、メールが全部消えてしまった。ショックだった。どうやらテンポラリーファイルを作った後に、新しいメールボックスを作るメモリが残ってなくて、そこで終わってしまったらしい。圧縮できないならせめて元の状態に戻せ~、こんなのバグだ~。CFカードにバックアップを取ってたから12/31の時点にまでは戻ったのが幸いだった。

朝7:30頃起きた。夜中には一回だけ目が覚めた。起きてから朝食を買ってなかったことにきづく。顔を洗って朝の薬を飲んだり吸入した後、コートを着てコンビニに行く。朝は少し調子が低空飛行な感じがしたが、少しずつあがってきた。この間から乾燥機に入れっぱなしになっていた洗濯物をたたみ、新たにたまった洗濯をし、部屋の掃除をしているうちに9:30頃になった。家に電話してみた。父親が出たので、20分くらい話をした。1週間外泊して今日病院に戻ること、4日目に調子を崩したがなんとかもちなおしたことを話した。その後はいろいろ兄弟の状況を聞いたりした。

電車とバスで病院に戻った。長いようで短い年末年始の外泊だった。いろいろあったが秘密である。

夜、私が外泊に行った28日に入ったKBさんを交えて卓球した。彼は中学、高校と卓球をやっていたらしく、かなりうまい。また新しい卓球仲間が増えてうれしい。KNさんとも少し卓球した。