TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2001年8月

昨日、かなり大きな鬱が入ったため、眠れるか心配だったが、案の定睡眠障害はひどくなった。21:00の消灯後、いったんは寝たが23:00頃だろうか?目が覚め、その時はそのまま眠れたが、0:00頃目が覚め、眠れなくなったので0:30頃追加眠剤をもらって飲んだ。それでいったんは眠ったものの、2:30にまた目が覚め、かなり目がさえていて眠れそうになかったので、2回目の眠剤をもらった。喫煙所で一服しようとすると、何人か先客がいる。昨日他の看護婦と一緒に騒いでいた看護士さんががいて「昨日はご迷惑をおかけしました」と謝ってくれた。「あの後すごい鬱が来たんですよ」そう言うと「あれでパワーを使い果たしてしまったのかもしれませんね」と看護士は言った。

2回目の眠剤は効かなかった。眠気は来ず、じっと横になって夜が明けるのを待つ。この時間帯が一番つらい。普段は気にならない他の人のいびきが気になる。私の部屋はいびきがすごいのだ。4:00頃、ホールに行って煙草を吸いながらぼ~っとする。やたら口が渇く。多分、薬の副作用だろう。他にも薬の副作用で、ろれつがまわらなくなったり、手が震えたりする人もいる。

5:00になった。ポットが準備されたので、コーヒーを入れる準備をしてお湯が沸くのを待つ。昨日買ったビン入りのコーヒーフレッシュを開けたら、栓抜きでないと開けられないキャップがついていた。看護士にお願いして栓抜きを借り、無事コーヒーを飲む。朝一番の一杯はうまい。

夜が明けるまでTさんやS君と話をしていた。二人とも昨日は落ちていたらしい。Tさんはまたリスカをやってしまったそうだ。今度はヘアピンで。「それも取り上げられちゃった」寂しそうな目で彼女はつぶやく。S君は同居しているお兄さんが、病気のことを全く理解してくれていなく、電話で「早く退院して働け」と言われてから落ちたらしい。理解のない人と一緒に暮らすのでは絶対によくならない。「退院しても、兄とは一緒に住みたくない」S君は言うが、私もその方がいいと思う。

ずっと頭はぼんやりしているのに、こういう日記は書けるというのは不思議なものだ。頭の中に浮かんだことが、勝手に指が動いて文字になる。ネット族の習性というものなのか。

ストレッチも今日は全くやる気が起こらない。ラジオ体操をのろのろやる。

朝食はほとんど食べられなかった。昨日の夕食もほとんど食べてないのに、ぜんぜん空腹感がない。何を食べても味がしない。

調子が悪い。ベッドに横になってヒーリングのCDを聴きながら休む。目を閉じていると、何も見えてないはずの視界の右端からいきなりYさんが現れて手を伸ばしてきた。びっくりして目を開ける。いつもと何も変わりのない病室が見える。あれは幻覚だったのか。調子が悪い。またじっと横になる。

少し調子があがってきたので、暖かいコーヒーを入れ、喫煙所に行く。コーヒーを飲みながら話をしていると、しだいに調子が戻ってきた。そのうちに作業療法の時間が迫ってきたので準備をする。バンダナを頭に巻き、タオルを用意し、昨日買った粉末のVAAMをペットボトルに溶かす。畳で入念にストレッチを行い、作業棟へ。

とりあえずエアロバイクにまたがって「体力測定」コースで漕ぐ。なんだか表示されている心拍数が低いような気がする。漕ぎながら作業療法士にそう言うと、「そのマシンだけセンサーがなんかおかしいようなんですよ。奥にあるマシンなら新しいので、そっちの方がいいかもしれません」とのこと。やり始めてしまったものはしかたがない。そのマシンで体力測定を行った結果、「10段階中の10。非常に優れている」おいおい、そんなはずはないだろ。今までどれだけトレーニングをさぼっていたと思ってるんだ。やはりこのマシンはおかしいらしい。20分ほど休んでから、奥にある新しいマシンでもう一度試してみることにする。お、私が通っていたジムにあったのと同じ機種だ。これなら以前と比較しやすい。さっそく体力測定コースで漕ぐ。結果はなんと「6段階中の1。非常に劣る」がーん、なんじゃそりゃあ。そこまで体力は落ちてるのか?やはりさっき漕いだばかりなので息があがってるのか、本当にそこまで落ちてるのか。プリントアウトされた結果を見ると、評価値72W。むむ、今から一年くらい前は150Wだったのに。

この作業棟、昨日は気がつかなかったが、他にもいろいろなものがある。マッサージチェアもあれば、ギターもある。体脂肪計もあるのでこれから最初に測定しよう。そうそう、カルテを作るんだった。すっかり忘れていた。病棟に戻ってきて、ハンドヘルドPCに付属のPocket Excelでさっそくカルテを作り、今日の分を記入する。

昨日は調子が悪かったことだし、今日はこれくらいで終わりにする。無理は禁物だ。病棟に戻ると看護婦さんに呼びとめられた。今日の早朝に、昨日アトピーが少しひどくなったという話を看護士に話しておいたら、婦人科の先生が皮膚科もみてくれるというので、話をしておいてもらうことになっていたのだが、今まで皮膚科に通院していたのであれば、できればそちらに行ってほしいということだ。まあ、今日になっておさまったし、外出か外泊のついでにでも行くことにしよう。

部屋に戻ると、先週Kさんが退院して空になっていたベッドに新しい患者さんが入ってきている。挨拶してからの彼の最初の言葉が「私、いびきかくんです。すみません」おいおい、最初の一言がそれかよ。と言うことは、相当すごいいびきなのだろうか。やだなあ、ただでさえ睡眠障害なのに、これで眠れなかったら入院している意味が全くない。とりあえず今夜はどんな感じか様子見だ。もしひどいようだったら、耳栓でも用意しよう。外出すると疲れるし、しばらくはあまり外に出たくないので、誰かに宅配便ででも送ってもらうことにしようかな。

この新しく入ったNさん、周りに寝ている人がいるというのにでかい声でしゃべりかけてくる。単にそういう性格なのか。前にいたKさんがすごくおとなしい人だったし、病室の他の人もおとなしい人ばかりなので、ちょっとこれから先が心配だ。

ホールに行くと、何かビデオを見ているようだ。少年が更正していくドラマらしい。私も今度何かビデオを持って行こうかな。いっこく堂が好きで、ライブのDVDを4本持っていると以前Eさんに話したら、見たいと言ってたので今度ダビングして持ってこよう。もうすぐ昼食の時間だ。昨日の夕食も今朝の朝食もほとんど食べられなかったが、ようやく食欲が出てきた。

Nさんは閉鎖病棟から移ってきたらしい。話を聞いていると、やはり閉鎖の方が制限がはるかに厳しい。所持品はすべてチェックされ、危ないものはすべて取り上げられる。ライターを持ってないので貸して、と私に言ったくらいだ。こちらはそこまではやらない。自己申告か、何かやらかしたときに取り上げられる。私は最初に「携帯電話は持ってますか?」と聞かれたときに、正直に「はい」と答えてしまったために取り上げられてしまったが、隠れて使っている人はたくさんいる。こちらでは入浴は週3回だが、閉鎖病棟では2回らしい。これはなぜなんだろうか。病棟外に出るのも制限されている。うちは開放病棟だから、一時間以内なら病院の敷地内のどこにでも一人で行っていい。だが閉鎖病棟では、外に出られるのは週2回、30分以内、2人の監視つきらしい。「でも設備はいいんですよ」とNさんは言う。「なんせ扉が二重ロックですから」そりゃ「厳重」って言うんだよ。

このNさん、ちょっとやっかいなことがわかってきた。とにかく話しかけてくるのである。さっきも注意したのに、寝ている人がいるにもかかわらず、また話しかけてくる。私も静かに本を読みたいと思って本を広げたところなのに、そんなことおかまいなしに話しかけてくる。無視するのもなんだし、答えて喋ってると寝ている人に迷惑だ。ホールに行って本を読むことにしたが、ホールはテレビがついてたり、みんながおしゃべりしていて、やっぱり集中できない。だめもとで耳栓が売ってないか売店に行ってみたら、ちゃんと売っていた。「けっこう売れるんですよ」と売店のおばちゃんは言う。他人のいびきで悩まされている人は結構いるってことだ。耳栓を試してみたが、結構具合がいい。これで安眠できるかな。

しばらくして部屋に戻てみると、Nさん自身が寝ている。ほっと一息、と思ったのも束の間。彼のいびきである。予想どおりすさまじい。さっそく耳栓の出番だ~。使用感としては、完全に聞こえなくなるってことはないが、まあ緩和されるかな。しかし低い周波数の音波が重低音のように響いてくる。

みんな今日は暇らしく、喫煙所に大勢集まって延々と話をしていた。なぜか駄菓子の話とか、昔遊んだ遊びとか、「これ知ってる?」「あ~、あったあった」という会話で盛り上がった。年代は多少幅があるものの、子供の頃の娯楽はそんなに変わらないらしい。もっとも、今の子供はどうか知らないが。

夕食後も喫煙所でおしゃべりの続き。薬の副作用でろれつの回らなくなったKさんが必死に早口言葉の訓練をしている。「ブスバスガイドバスガス爆発」けっこうみんな言えてない。「看護婦さんて参勤交代なんだっけ」S君がおおぼけをかます。それを言うなら「三交代」だよ。江戸時代の大名行列じゃねーんだから。たわいのないお喋りは続き、夜は更けていく。

20:00 眠剤を飲んで就寝準備。今日入ったNさんと新兵器の耳栓、どちらが勝つだろうか。

最近寝つきがいい。これは薬の効果かもしれないが、前はベッドに横になって寝ようとしても全く眠りに入れず、1時間も2時間も3時間もじっとしていたものだ。

昨日は21:00の消灯後にすぐに寝てしまったが、また0:00に中途覚醒。もう一度寝ようと思ったが眠れず、0:30に追加眠剤をもらいにいく。その後は眠れたが、2:30にまた目が覚める。また寝ようとしたが、またまた眠れず、規定の3:00より少し前に2回目の追加眠剤をもらって飲む。その後は眠れて4:30起床。中途覚醒が2回というのはずいぶん進歩したものだ。最初は最低でも5回、多いときは10回くらい一晩に目が覚めていたのに。

喫煙所に行き、早朝覚醒組といつものぼそぼそしゃべり。ポットが出てくるのを待ってコーヒーを入れる。病院の売店で買った小さなビンのコーヒーはもう残り少ないし、クリープはなくなってしまった。今日の午後に買い物に行くので大きなのを買ってこようかと思ったが、かさばるのでやめよう。身のまわりのスペースは限られているからできるだけコンパクトな方がいい。クリープはやめてフレッシュを買ってこようっと。

朝のストレッチは今日は気が乗らないのでパスして、ちんたらラジオ体操をする。ストレッチは日課にしてたのだが、「毎日必ずやらなきゃ」と思うと、また自分で自分をしばってしまう。誰に迷惑をかけるわけでもなし、気が乗らないときはやらないでいいのだ、と最近思えるようになってきた。この調子で気楽にものを考える心の癖をつけよう。

今日から作業療法が始まる。作業療法は、この病棟は月・火・金の9:30~11:30で、「体力作り」「木工」「陶芸」「皮細工」「ピアノ」の中から自分で種目を選ぶ。曜日ごとに変えてもいいし、途中で他の種目に変えてもいいらしい。最初はそれぞれの種目を実際にやっているところを見学し、その後でどれにするか決めさせられたが、とりあえず私は全部「体力作り」にした。「陶芸」を見学して、ろくろを回しているのを見ておもしろそうだなと思って、それも選ぼうと思ったのだが、台数が限られていて、今は定員いっぱいらしい。ピアノも一台しかないので同じだ。作業療法士に「さっそくやってみますか?」と言われたので、さっそくエアロバイクをこぐ。思えば今から一年前は週に3回くらいジムに通って、ピーク時には心拍数150で一時間はこげたものだが、今はすっかり衰えていることだろう。とりあえず定心拍数コースで心拍数を135にセットし、20分漕いだ。消費カロリー96.7。どれくらい落ちているのか、ジムのカルテがないとわからないが、思ったよりも体力は落ちてないような気がする。ここでは自分でカルテを作ることにしよう。2時間もやってられないのだが、作業場が空いていれば途中から木工などをやってもいいらしい。いつも自分の部屋に雑誌が散乱しているので、マガジンラックでも作るか。

昨日は眠りが浅かったようで、作業療法の説明を受けるまで頭がぼ~っとしていたが、エアロバイクを漕いですっきりした。うむ、「作業療法」の効果ありか。それにしても汗をかいた。初日は見学だけと聞いていたのでタオルも飲み物も持ってきていない。私は汗かきで、エアロバイクを漕いでると汗が額から垂れてきて目に入るので、いつもバンダナをまいていた。これからはタオルとバンダナとペットボトル持参で行こう。

ピアノをEさんが弾いていて、「ちょっと弾く?」と言うので弾かせてもらう。ピアノは幼稚園から中学一年まで習ってたが、もうぜんぜん指が動かない。「別れの曲」を弾こうとしても数小節でもう忘れてしまっているし、「エリーゼのために」すら途中から弾けなくなっている。ずっと続けておけばよかった。

作業療法士の人をよく見ると、私も使っている、登山者が愛用しているカシオのプロトレックを腕にはめている。さらにTシャツはモンベルだ。「山に登るんですか?」と聞いたら、「いや、私はパラグライダー専門です」だと言う。パラならうちの山岳会にもやる人はいるし、ときどき体験講習会もやるらしいので、私も一度やってみたいと思っている。

この作業療法棟には、他にもスーファミがあったり雀卓があったり、本がいっぱい置いてあったり、いろいろ遊べそうなものがあり、作業療法の時間内なら自由に使っていいそうだ。私はゲームはやらない人間だが、TさんとS君がテトリス2をやっていた。ゲームをやることも「作業療法」になるのかな?

Yさんから「丘で歌を歌わないで」と注意された。なんでも、海との間の道路までまる聞こえらしい。自分の声がそんなに飛んでいるとは思わなかった。裏山の方のグランドなら、周りに誰もいないので、そこなら別にかまわないらしい。「オカリナはいいんだけどね、歌はちょっと」ということらしい。これからはそっちで歌うことにしよう。それはそうと、自分自身が悪いのを、別にきつい口調でもなく注意されて、想像以上に自分がへこんで鬱に入りかけるのを感じ、驚いた。自分の心はこんなに弱ってるのか。

午後からは外出して買い物に行く。駅前のドラッグストアやスーパーに行って、売店や日用品を買う。その次は本屋に行ってぶらぶらブラウジング。本屋ブラウジングは楽しみの一つだ。その後、駅前に100円ショップがあったので、そこでもブラウジング。ちょっとしたものを買いこむ。と言っても全部で315円だったが。

その後、一時間に2本しかないバスを待つ間、喫茶店でこれを書いてるが、思いのほか自分が疲れていることに気がついた。人混みの中をうろうろすると、気が疲れるのだ。前に外泊したときと同じだ。病棟にいると感じないが、やはり色々な外部刺激に対して、神経がうまく順応してくれないのだろうか。バスの時間までここで目を閉じて神経を休めることにしよう。

バスに乗る前に、銀行に寄ってお金をおろし、さらに今日はサマージャンボ宝くじの当選金払い戻し開始日なので、駅構内の宝くじ売り場に行って調べてもらう。みごとに末等しかあたらなかった。一昨年は5万円当たったのに。もっともその時は躁状態で、職場のみんなで飲みに行ってぱーっと使ってしまったけど。上司や部長にまでおごってやったのはあれが最初で最後だろう。

病棟に戻るとちょうど主治医が来ていて、「ちょっと話をしよう」と言うので、最近の睡眠の状況と、少しのことですぐへこむ、鬱になりそうになる、人混みに出たらものすごく疲れた、そういうことを伝えた。「まだまだ様子見が必要だね」そう言われた。ついでに今飲んでいる薬の名前を確かめた。抗鬱剤はトレドミン、安定剤はソラナックスだった。

疲れたのでベッドで横になって休んでいたら、ホールの方がやたら騒がしい。あまりのうるささにホールに行ってみると、看護婦まで総出で高校野球を見て盛り上がっている。あきれ果てた。試合の山場が過ぎたらしく、看護婦がナースステーションに戻ったのを見計らって、私は「一言言いたいんですけど」とナースステーションに入って行き、

「僕は今日外出してすごく疲れたので部屋で休んでたんですけど、あんまりうるさいから見てみたら、看護婦さんまでみんな騒いでるじゃないですか。休んでいる患者もいるというのに、看護婦がそんなに騒いでいいんですか?」

そう言った。高校野球の興奮でまだにぎわっていたナースステーションは一瞬にして凍りつき、みんな無表情になって「すみません」と小さな声で言った。「言いたいことはそれだけです」そう言って私は病室に戻った。

そして大きな鬱がやってきた。

無気力。無気力。無気力。

自分の存在が自分から遊離する。

ヒーリングのCDを聴きながら、ひたすら耐える、耐える、耐える。

夕食の時間を過ぎても私が来ないので看護婦が呼びに来たが、「鬱が来てます。動けません」そう言うのが精一杯だった。

ピークが過ぎた。動けるようだ。私はのろのろとホールへ行き、とっておいてくれた夕食の盆を受けとって自分の席についた。が、ほとんど食べられずに残してしまった。のろのろと喫煙所に行き、のろのろと煙草を吸い、のろのろと病室へ帰っていくうちにだんだん回復してきた。

本調子でないものの、ようやく安定してきたので喫煙所へ行ってみんなと話をする。ここへ来てからこんなに落ちたのははじめてで、「ぜんぜん病気に見えない」と言った人もいるくらいなので、みんな驚いたようだ。Tさんはものすごく心配してくれた。この落差が怖いのだ。さっきまで元気だったりしても、ふとしたきっかけで落ちて行く。今日は、外出前に注意を受けて少しへこんだこと、そのまま外出して疲れ果ててしまったこと、戻ってきて休みたいのにみんなうるさくて落ち着けなかったこと、そして普段あまり人に強く出ない私が頭に来て看護婦に文句を言ったこと、これらが積み重なって、どん底に落ちてしまった。

少し調子が上がり気味のときは、自分の好きなこと、特に体を動かすことがいい。初心者相手に軽く卓球をやっているうちに、すっきりしてきて、だいぶ落ち着いた。気がつくと自分が食事したときの箸も洗ってなかった。それほど思考能力も落ちていたのだ。

20:00眠剤を飲む。これだけ鬱が入った今日、果たして眠れるのだろうか…。

昨日は21:00前にもう眠気がきた。これは入院してはじめてだ。このチャンスにベッドに潜りこみ、眠りに入る。目が覚めると0:30。相変わらずこのくらいの時間に目が覚める。でもまた眠れそうだったのでそのまま寝る。今度は2:00過ぎに目が覚め、また眠れるかな、と思って寝ようとしたが、今度は眠れない。2:45に追加眠剤をもらって飲んだところ、ようやく眠れて4:45起床。少し頭がぼんやりしているが、「どうでっか?」「まあ、ぼちぼちでんな」というところだ。

暖かいものが飲みたいのでコーヒーを入れようとしたら、ポットに水を入れたばかりでまだ沸いてない。Tさんがポットの前でお湯が沸くのを待っていたので、隣に座って同じく待つ。その間Tさんと話をした。彼女は今は鬱と拒食症だが、過食のときの癖で、ものを食べるとすぐに吐いてしまい、ほとんど病院の食事を食べてない。カロリーメイトの缶やウィダー・イン・ゼリーなどの流動栄養食で栄養分を補っているが、体力がとても落ちているそうで、すぐに立ちくらみが起こるらしい。リストカットはもう何回もやって、病院に入ってもやったらしいが、その前は自殺未遂も2回したという。大量に薬を飲む、いわゆるODというやつである。本当に死のうとしてやったらしい。「でも、睡眠薬じゃ何百錠も飲まないと死なないんだよ」と、「完全自殺マニュアル」が発売されて話題になった頃に興味本位で読んだときの知識でしゃべると、「うん、だから完全自殺マニュアルに書いてある、死にやすい薬を飲むの」とこたえた。びっくりした。私は学生時代に興味本位で読んだだけだったが、本当に「自殺の手段を知るため」に読んで実行する人が、やはりいたのだ。病院では薬は服用ごとに一回分を手渡され、看護婦の目に見えるところで飲まなくてはならないので、ODをやる心配はない。「でも退院したらまたやっちゃうかも」そう言うので「じゃあ、病院みたいに薬を親に預かってもらって、飲むときだけ渡してもらったら?」そう言うと、「自分で買いに行っちゃうの」そこまでやってしまうものなのか。私は自殺未遂は、発作的に歩道橋から飛び降りようとしたことがあるくらいで、基本的に自殺願望はないので、そこまでして死にたい、という人の気持ちはやっぱりわからない。同じ鬱でも、自分より悪化した人の心理は自分でもわからないのだから、うつ病でない人にとって、うつ病を理解するのはやはり難しいだろう。

起床時間になり、洗面所にいくと、またTさんがいて、ドライヤーを使っていた。「それ、自分のドライヤー?」「そうだよ」「それは取り上げられないの?」「うん、首はつらないから」自殺願望でも、どんな方法でもいいから自殺したいというわけではないらしい。首を吊る人の場合は、電気コードのついたドライヤーをはじめ、ひも類は全部取り上げられる。

テレビで天気予報をやっている。いや、NHKだから「気象情報」だ。民放は「天気予報」と言ってるが、NHKは何年か前からか「気象情報」と言っている。なんだか言い逃れっぽいニュアンスを感じる。台風が上陸しそうだ。火曜から水曜にかけてが危ない。やだなあ、買い物くらい行きたかったのに、三段式のよれよれの折りたたみ傘しか持ってきてない。台風のときは外へ出なければいいが、普通の雨のときでも三段式の折りたたみでは、ちょっと風がふくとすぐに曲がってしまうし、小さいので必ず肩が濡れてしまう。外泊時にちゃんとした傘を取ってこようかと思ったが、退院時に持って帰るのも面倒だ。駅前の100円ショップに、割と使えそうなちゃんとした傘が売ってるらしいので、それを買って使い捨てにでもするか。それはともかく、縦走に行っている仲間が心配だ。

今日は晴れているのでお洗濯。ここの洗濯機は100円を入れて、ふたをしめてスイッチを押すとまず30秒間浴槽を洗浄し、その後タイマーが動き出して、そこで洗濯物と洗剤を入れる。だが今日、私は大失敗をしてしまった。浴槽の洗浄が終わってふたを開けたら、なんと他の人の洗濯物が入っていたのだ。洗濯が終わって取りに来てなかったらしい。あちゃ~やっちゃったと言う私の隣にいたKさんが、「あ~やっちゃたね」と言って、一緒にしぼるのを手伝ってくれた。Kさんも同じことをやったことがあるらしい。シャツやズボンからして、どうもP君の洗濯物らしい。P君に謝って、ちゃんとしぼったから、と言うと「うん」答えた。彼とはほとんどしゃべったことはない。彼は何の病気か知らないが、いつも無表情で、ほとんど誰とも会話をしないのだ。

朝食後、7:30になるのを待っていつもの丘に行ってオカリナを吹く。今日はいい天気で日差しがきついが、風が吹いているので気持ちがいい。洗濯が終了していたので中庭に干しに行く。今日はよく乾くだろう。

さっき洗濯で迷惑をかけてしまったP君が畳のところに座ってぼ~っとしている。看護婦さんが「P君、大丈夫?元気?」と聞いても全く動かず何も答えない。だが、私が「P君大丈夫かい?」と話しかけた瞬間、走って逃げて行ってしまった。彼に嫌われてしまったのか、ひどく精神状態を乱してしまったのだろうか。

私は看護婦に一部始終を話し、相談した。「私はP君の病気は知らないけど、私はP君にどう接すればいいのでしょうか」看護婦さんは、「話はわかりました。普通にしてくれていていいです」と言ってくれた。だが気になる。私自身、他の人が気にしないようなことが気になったりするたちであり、病気でもあるので、彼に対してもどう接すればいいのか非常に悩むのだが、本当に「普通にして」いていいのだろうか。

昨日、私が仕事がうまくいかなくてストレスを溜めていったことを書いたが、実はちょうどその頃、趣味でもストレスを抱えていた。所属していた合唱団の練習がつまらなかったのである。指揮者の指導方法に疑問を抱いていたのだ。練習中の注意が発声に関する指摘ばかりで、それもその頃私が個人レッスンを受けていたボイストレーナーとのやり方と反するものだった。誉めるということもしない。叱られてばかりだった。歌い手が楽しく歌えるような練習ではなく、歌い手の音楽性を向上させるような練習でもない。練習中はひたすら苦痛だった。練習後にみんなで食事に行っておしゃべりするのが楽しみで、それだけのために練習に行っていたようなものだ。

だが、私がヴォーカルアンサンブル活動を始め、アメリカのプロのヴォーカルアンサンブルグループを講師に招いて2泊3日で実施された講習会に参加したりしているうちに、こちらの方がだんぜん面白いと思い、私はその合唱団をやめた。やめたこと自体は別にかまわないと思ったが、やめ方がまずかった。仕事で正月も実家に帰れず、仕事のストレスでうつ病の前兆が起こりはじめ、すでにおかしくなりかけていた私は、合唱団のメンバーに「今の練習なんてぜんぜんおもしろくない。指揮者がだめだ。ヴォーカルアンサンブルは楽しいので、そっちだけにするよ」という内容のメールを送ってしまった。わざわざそんなこと言わずに静かにやめればいいのに、そのために私は合唱団の仲間からものすごく反感を買ってしまい、その結果たくさんの友人を失った。未だにその合唱団の演奏会を聴きに行って、終演後にロビーにいても、みんな私を無視する。自分のまいた種だから仕方がないが、精神的に参っていたとはいて、やってはやらないことをやってしまった。思えば、仲間にずいぶんと不快な思いをさせてしまっただろう、という自責の念は未だに強く、あんなに仲良く遊んでいた友達を裏切ってしまった自分が許せない。あの過ちは二度と繰り返してはいけない。これもまた自分で自分を許せないできごとの一つである。

昼飯を食べたらなんだか眠くなってしまった。昼に寝ると夜眠れなくなるので、できるだけ眠らないようにしようと思っているが、30分くらいの昼寝をするのはかえってよい、と聞く。しばしベッドに横になる。そのままうとうとして、気がつけば13:45。毎週土日は13:30から15:00までカラオケタイムなので、やってるかと思ってホールに行ったがやっていない。今日はなしなのかな、と思い部屋に戻って「山と渓谷」を読む。今月の特集は「e-登山」読んでみると、私も知らなかったソフトとかあって結構便利そうだ。私はデジタルムービーは持ってるがデジカメは持ってない。昔から写真を撮るという習慣がないので持ってないのだ。デジタルムービーは、自分がクライミングをやっているところを撮ってもらって、後から自分で見て研究するために買った。だが、今ではすっかり山行のお供となり、毎回の山行で写した映像からピックアップして、山岳会のHPにアップしている。最近のDVは小さくてとても便利だ。私は山に登るとき、大きめのウェストポーチを愛用しているが、その中にすっぽり収まる。機種はキヤノンのIXY DV。どの機種にしようかお店で迷ったとき、機能的にはどのメーカーのも同じようだったので「世界最小再軽量」ということで選んだ。山に持って行くには少しでも小さいほうがよい。

GPSも以前は誤差が大きくて山ではあまり使いものにならなかったが、2000年5月の米国防総省のSA解除で誤差が10メートル前後となり、かなり精度があがったので、持っているとかなり役に立ちそうだ。だが、GPSに頼った登山はおもしろくない。やはり自分で地図を読んでルートファインディングするところにおもしろみがある。でも、いざという時のために持っておくのも悪くはないかもしれない。最悪の場合、無線機とGPSさえ持っていれば、遭難しても無線で現在地の経度と緯度を伝えることによって、迅速な救助を得られるのではないか。

14:30頃ホールに行くと、今ごろカラオケの準備をしている。いつも仕切役の二人が二人とも寝ていたのだ。時間は15:00までなので30分しかないが、看護婦さんのはからいで15:30までさせてもらった。

その後、16:00の服薬を待って、いつもの丘へ歌を歌いに行く。歌集を1から順番にせめるのはやめて、ぱらぱらと見て気にいった曲を歌った。40分くらい歌って、ついでに洗濯物を取り込んで帰ってきたら、けっこう足が蚊にさされていた。

ところで今日の昼に「カラオケやってるかな?」と思ってホールに行ったときに、やってなくて、じゃあ煙草でも一服しようか、と思ったときに、喫煙所に誰もいなかったので、吸わずに戻ってきた。ここに来て煙草の本数が増えてしまったなあと思っていて、それは暇だから、と思っていたのだが、それだけでなく、そこで仲間と「おしゃべり」ができるからだということに気づいた。煙草を吸わない人は、別にどこに集まるというわけでもないが、吸う人は自然と喫煙所に集まってくる。そしてそこに一つのコミュニティが生まれる。その「仲間意識」ができていたのだ。私は煙草を吸いたいという理由だけでなく、そのコミュニティに加わるために喫煙所に行っているのだ、ということに気づいた。基本的には私は寂しがりやなのだろう。

夜、高校時代の部活仲間のIが面会に来てくれた。近くに住んでながら実はなかなか会う機会がなく、会ったのは去年の忘年会以来だった。彼も私と同じく最近山を歩いていて、山の話を含めていろいろな話題で盛り上がった。小さな観用植物を持ってきてくれた。「観用植物を一つ持って行こうと思っているけど、根っこのある植物は『根付く』と言ってお見舞いには適さないと奥さんに言われた。お前はそういうこと気にするか?」とわざわざ事前に連絡をくれていたのだが、そんなこと一向に気にしないのでお言葉に甘えた。Tちゃんが持ってきてくれた花がそろそろしおれてきた頃なので、入れ替わりにちょうどいい。やはり緑がそばにあると心がなごむ。

2日風呂に入ってないので頭がかゆい。20:00の服薬後、洗面所で頭を洗う。ちゃんとお湯も出る。どうせ長い入院になるだろうと思って、入院前にばっさり切ってきたので洗うのはとても楽だ。ドライヤーを使わなくてもすぐに乾く。でも、さすがに2週間を過ぎたので少し伸びてきたかな。

着替えて洗面して、いつものパターン。これから消灯まで本日最後のおしゃべりを楽しむことにしよう。

昨日も寝つきはよかった。0:30、1:30、2:30と3回中途覚醒があったが、割とよく眠れた方だった。昨日、一昨日は中途覚醒したら、なにがなんでも追加眠剤をもらいにいっちゃる、ということにしてたが、両日とも1回目の追加眠剤は効かなかったので、戦法を変えてみることにした。0:30に目が覚めたときは、目が覚めたものの熟睡感があり、また眠れそうなのでそのまま寝た。1:30に目が覚めたときも同じである。だが、2:30に目が覚めたときは、どうも1時間ごとに目が覚める状態になっていて、このままだとやばい、と思ったので追加眠剤をもらいに行った。その後、4:00までぐっすり眠れた。結局、途中で3回起きたものの、21:00から4:00まで7時間は熟睡できた感じなので、朝は頭がすっきりしている。いつものように4:00から喫煙所で早朝覚醒組によるひそひそ話。ひそひそ話といっても別にやばいことをしゃべっているわけでなく、まだ寝てる人がたくさんいるから、というだけだが。

おじいさんがぼそぼそ歌を歌っている。どっかで聞いたことがある曲だけど、なんだったっけなあ、と思ってよく聞いてみると、慶応の学歌ではないか。懐かしい。と言っても私は別に慶応出身ではない。大学時代の合唱団で、有名な大学の学歌を遊びで歌っていたのでよく覚えているのだ。

9:00頃、病室にいたら卓球をやっている音が聞こえてきた。昨日教えたO嬢が、「一週間でA君に勝ちたい!」とS君相手に練習していた。私も加わって、S君と一緒にコーチする。バックハンドのサーブはけっこう決まるようになってきて、フォアの打ち方とショートを教える。やっているうちにさまになってきて、簡単な球を返してあげると、ラリーは続くようになってきた。だが彼女はまだフォアハンドのサーブを知らない。

卓球をやった後、妙に疲れた。そうだ、ここに入院して一週間は午前中は寝たきりで、徐々に調子があがってきているところだった。だけどまだ完全じゃない。今の自分は、何かにパワーを使った後、その反動が来ることをすっかり忘れていた。それで今まで、ちょっと調子がよくなったと思ったときに、今までの分を取り戻してやろう、とぐわ~っとなんでも一気にやろうとして、また調子を崩す、というパターンを繰り返していたのだった。ようやく調子があがってきたばかりの午前中に、いきなりこんなに動くのは不用意だった。昼食まで時間があるので、横になって心と体を休める。この辺は自分の状態を客観的に観察しながら、うまくコントロールしていかなくてはならない。今は恵まれた環境でストレスのない生活を送っているから、そういうコントロールをする余裕があるが、ストレスだらけの社会に復帰しても、同じように自分をうまくコントロールできるだろうか?

ちょうど昼食時に、大学の合唱団の同期のHとKが面会に来てくれた。お願いしていた山岳雑誌「山と渓谷」を持ってきてくれた。食事が終わるのを待ってもらって、しばらく病室で話し込む。なぜか話題は私の持っているWindowsCE端末と、Hの持っているザウルスの話に。病室には他に誰もいなかったのでそこでしゃべっていたが、Iさんが戻ってきてお休みモードに入ったので、外へ出ることにした。いつもの丘に案内してしばらくしゃべった後、暑いので日陰を探して散歩。病棟と病棟の間の廊下でまたしばらく話しこむ。今度はなぜかコンピュータウィルスの話やWindowsやMacの仕組みが話題に。なぜこういう話ばかりになったのだろう?散歩の規定時間である1時間がせまってきたので、2人に別れを告げ、病棟に戻る。

病棟に戻ると、週末のカラオケ大会をやっていた。いつもは古い演歌しかないが、今日は別の病棟から新しい曲の入ったディスクを借りてきたらしい。予約リストがいっぱい入っていたが、今戻ってきたということで、「次歌っていいよ」という言葉に甘えて、尾崎豊の「I Love You」を歌わせてもらった。「裏声がじょうず~」と看護婦さんが誉めてくれた。だてにヴォーカルアンサンブルをやってるわけではない。ヴォイス・パーカッションとヴォイス・トランペットを披露すると、うけてくれた。看護婦さんはアカペラが好きだそうだ。

大学時代の同期と後輩からメールが来ていたので返事を書く。最近、たくさんお見舞いメールをいただいて返事を書くのがなかなか追いつかない状態だ。とても嬉しい悲鳴をあげている。また「今まで誰にも言えなかったけど、自分もストレスでうつ病になりかけたことがあった。あの時はとても辛かった」という告白メールももらった。そうなんだ、苦しいんだけど、つらいんだけど、人に言えない。それでどんどん自分で悩みを抱え込んでいってしまうのが、悪循環の始まりなのだ。今はメールをもらうたびに「こんなに自分には頼れる仲間がいるんだ」と改めて実感する。「一人で頑張りすぎて、心が風邪をひいてしまった」自分にとって「支えてくれる」「見守ってくれる」仲間がいるということが実感できることがとても嬉しい。友達は一生の財産だ。さんざん迷ったが、カミングアウトしてよかったと思った。

土曜日は外泊が多く、夕食時も閑散としている。みんな家族の元へ帰るのだろう。帰るところがある人はうらやましい。私には帰るところがない。帰るところといえば、散らかって埃だらけの自分の部屋だけだ。医者は「一週間に一回くらいは外泊して、徐々に社会復帰の訓練をした方がいいかもしれないね」と言っていたが、あの部屋に戻って一人で一晩過ごす、というのは今の状態ではまだきついと思う。先週は眼科の検査のために外泊して、そのときは平気だったが、その次の日にものすごく疲れてしまった。一人でいることが精神状態を不安定にする。そのときは自分で気づいていなくても、それは後から襲ってくる。人混みの中を1時間歩いただけで疲れ果ててしまったのだから。しかし、いずれはあの部屋に戻って一人暮らしを再開し、ストレスフルな社会に復帰しなければならない。それを考えると、まだまだ道のりは遠いような気がする。

他の患者といろいろ話をしていて、「趣味をたくさんお持ちのようですね。趣味を持ってる人はうつ病になりにくいと聞きますが」と言われた。どうも一般的にはそうらしい。趣味がストレス発散になっているからだ。ではなぜ私の場合は趣味を楽しんでるのにうつ病になったのか。それは、一つには私の一番の趣味が「コンピュータ」であり、その一番の趣味を職業に選んでしまったから、ということかもしれない。私は趣味は持っていたが、仕事人間でもあったのだ。

小学生の頃からコンピュータでプログラムを作っていて、大学でも情報工学を専攻し、コンピュータを専門に勉強していた。会社に入ると即戦力扱いされて、ばんばん仕事を与えられて、それをこなしていった。が、あるときどうしても解決できない問題にぶちあたり、なんとか一人でそれを解決しようと頑張り、徹夜をくり返したり、かなり無茶をやったにもかかわらず、一向に問題は解決できなかった。一人で問題を抱え込んでしまうこと、そして自分の一番の得意分野であるコンピュータで解決できない問題にぶちあたった挫折感、そういうことが私の「心の風邪」をひきおこしていったのだ。

外出していたKさんが戻ってきたとき、看護婦に呼ばれてナースステーションに入っていき、何やら話をしていた。と思ったら、また外に出て行った。その後しばらくKさんの姿が見当たらないな、と思ったら、19:30にようやく喫煙所に姿を見せた。外出時に酒を飲んできたため、しばらく外に放り出されていて18:30に病棟に入らせてもらったものの、アルコールの匂いが消えるまで部屋から一歩も出るな、ということだったらしい。ここにはアルコール依存症で入院している患者もいるため、院内はもちろん、院外でも飲酒は厳禁である。外に出されていたのもアルコールの匂いがするからだったそうだ。Kさんにはしばらく外出禁止例が出た。

私は酒があんまり強くなく、好きな方でもないのであまり心配はないが、別にアルコール依存症で入院しているわけでもない患者にとって、入院中いっさいの飲酒を禁止されるのはさぞかし辛いだろう。私は大学の一年のときに、急性アルコール中毒で救急車で運ばれた経験があり、つきあいで飲むときも無茶はしないことにしている。でも中には、「体質的にアルコールがだめな人間がいる」ということをどうしても理解できない人種がいる。いわゆる「俺の酒が飲めないのか」タイプの人間で、私がこの世で最も最低の人種だと思っている。そういう人間に出くわして飲酒を強要されたときは、「私は大学生のときに先輩に無理やり飲まされて、急性アル中で病院に運ばれたことがあります。もし私が死んだら、あなた私の親にどう言って謝りますか」と言ってつめよる。ここまで言うとさすがに相手はたいていひいてしまう。実はこちらは「してやったり」と思ってるのだ。

夜は卓球してまた汗をかいた。アトピーなので汗をかくたびに塗らしたタオルで体を拭き、シャツを取りかえる。けっこう面倒だが、自分の体はきちんと自分で管理しなければ。卓球は少しずつ勘を取り戻してきて、「腰でボールを運ぶ」感覚と、ドライブのひっかける感覚が戻ってきた。

20:00になった。また5種類の眠剤を飲んで、パジャマに着替えて洗面。その後消灯時間まで、ホールでおしゃべりを楽しむのが日課になっている。今日は人が少なくて寂しいだろうな。

昨晩は、その前の晩と状況は似ていたが、少しいまいちだった。

寝つきはよかったが、0:30頃目が覚めて追加眠剤をもらう。しかし寝れなくて、またハンドヘルドPCを取り出してはメールチェックなんかやってしまう。やはり眠れないので2:00くらいにまたもらいに行く。その後は眠れたが、4:00に目が覚めて、それから眠れない。ぐっすり眠ってたのならいいのだが、昨日と違って熟睡感がない。昨日、時間に遅れそうになって鬱が入りかけたり、その後に躁が入りかけた影響かもしれない。

もう眠れないので喫煙所に行ってみると、すでに7人くらいの人が集まってぼんやりしている。みんなつらいんだな。中年の女性のTさんと、精神障害者に対する差別の話題から始まって、いろんな方面の話をした。「自分はどうも几帳面で完璧主義らしく、それがこの病気の引きがねになったようなんですよ」と話すと、「うん、そう見えるよ」と言われた。入院してまだ二週間なのに、すでに周りの人からはそうとわかるほど顕著なのだろうか。家庭環境の話をすると、自分は典型的なアダルトチルドレンなんじゃないか、と言われた。アダルトチルドレンの本を3冊貸してくれた。

ラジオ体操をしているときにS君と「ラジオ体操って朝一でやるにはきついよね」とか話をしていると、あとから昨日「うるさい」と注意されたYさんから「お前らラジオ体操しながらしゃべりやがって、うるさいぞ」ときつい口調で言われた。みんな休んでいるときならともかく、覚醒させようとしている運動でしゃべるのは、そんなにいけないのだろうか。うるさいと気が散ってラジオ体操に集中できないのだろうか。ま、Yさんは昨日も看護婦さんとやりあったりしたらしく、みんなも「今日のYさんは機嫌が悪い」と言ってたので、あんまり気にしないようにしよう。でもああいうきつい口調でものを言われると、私はすぐにへこんでしまう。いや、普通の人なら「へこむ」程度だが、私はそれが鬱に進行する。

いつもの丘にいってオカリナを吹こうとすると、先客がいる。多分20代前半の男性だ。どうしようか迷ったが、まあ、誰の場所というわけでもないし、海を見ながら「ロッホ・ローモンド」「O,Waly Waly」「Voice of Time」を吹く。思わず後ろから拍手が来た。さっきの若者だったが、「心が疲れちゃってたんですが、何だか癒されました」と言ってくれた。まさかそんなことを言ってくれるとは思ってなかった。本当に「癒して」あげられたのなら嬉しい。自分自身を癒すために吹いているようなものなのに。彼は、下の階の病棟らしい。うちの病棟はうつ病が多いが、向こうは節食障害とアルコール依存症が多いらしい。彼は昔アルコール依存症を治すために二回入院し、その後うつになったそうだ。このパターンは結構多いそうだ。自分の中に抱え込んでいるものを吐きだすための手段を探していて、最近は詩を書いていると言っていた。「単に逃げ道を作ってるだけなんですけどね」彼は言う。いいではないか、逃げ道を作って。詩を書くなんて、なんて素敵な逃げ道だ。アルコールやドラッグなんかに逃げるよりよっぽどましだ。それに、それは決して「逃げてる」わけではないと思う。私も入院してからずいぶん日記を書いたが、自分の思っていることをそのまま吐きだして書くことによって、そこにもう一つの自分がいることに気づいた。自分の日記は自分の鏡なんだ。書くことによって自分を客観的に見つめることができる。

昼前に主治医が来てくれた。今までになかった短いサイクルの躁鬱の状態について相談しようとアポを取っていたのだ。昨日までのできごとを話すと、「多少アップダウンはあるが、躁というほどではない」ということだ。本当の躁状態とはもっと激しいらしい。まあ私の状態については、抗鬱剤の量も増やしてみたところだし、まだまだ継続して様子を見る必要があるらしい。

ただ、自分自身、自分が「躁」かなと思っているときの行動を後から冷静に考えると、明らかにおかしい。人を無視して機関銃のようにしゃべったり、周りで寝ている人がいるかも確かめずに大声で会話したり。これも「うつ病」「うつ状態」と同じように、ちょっと気分的にハイテンションなだけなのか、本当に躁状態なのか、厳密な境界線はないのだろう。私の場合、抗鬱剤を増やして数日たつので、それがちょうど効いてきて、ちょっとハイになっただけかもしれない。ちょうどい良い精神状態に着地させると言うのは、医師も薬剤師もやろうと思っても無理だろう。まあ、なんでもすぐ気にするのが私の悪い癖なので、あまり気にしないように努めよう。

今日はAさんが退院して行った。入院日数は52日。多分会社の部長クラスの人で、喫煙所で話をしているときに、いろいろと話をさせてもらって、含蓄のあるお言葉もいただいた。退院の挨拶は実に立派なものだった。一応、状態が安定したから退院するそうだが、この病院にいてどれくらい安定した状態が継続すれば退院するのだろうか。それは自分で決めるものなのか、医師が決めるものなのか。

ところで「安定」した状態にも「安定した安定」と「不安定な安定」があるそうだ。なんのこっちゃと思うが、「安定した安定」は、たとえば下に凸の曲線の最下部にボールがあるような状態で、少しバランスが崩れてボールが横へそれても、また元の状態へすぐ戻る。それに対して「不安定な安定」は、上に凸の曲線の最上部にボールがあるような状態で、一応ぎりぎり安定はしているが、少しでもバランスが崩れると、もう元には戻らずに転がり落ちてしまう。なんとか「安定した安定」状態にもっていきたいところだ。

昼食時に私が左手で箸を持っているのに気づいたS君と、左利きの話になる。私は完全な左利きで、お箸もペンも左でもつ。ただしフォークとナイフは右利きの人と同じ用に左でフォークを持つ。これの利点は、ライスを食べるときにフォークを持ちかえる必要がないことだ。左手で文字を書いていると、よく「器用だね~」と言われるが、左利きなんだから左手で字を書くのは当たり前だ。私に言わせれば、左利きの癖に右手で字を書くやつの方がよっぽど器用だ。

世の中のものはけっこう右利き用にできているものが多く、左利きの身としてはけっこう不便を感じているのだが、右利きの人はそれに気がつかない。たとえば自動改札。私はもう右で入れる癖をつけてしまったが、左手で苦労して入れている人もいる。鋏や缶切りなんかは割と有名なので、左利き用のものがあることは結構知られているようだが、他にもいろいろ左利き専用のグッズがある。以前、左利きグッズを扱っている通販を見つけたのでカタログを見てみたが、「こんなものまであるのか」と驚く。たとえば「すりばち」。すりばちに右も左もあるのか、と思うところだが、中のすじの角度が逆らしい。右手の人は時計回りでまわすが、左利きの人は逆にまわすから、それに対応している。急須は私が常々使いにくいと思っていたが、やはりカタログにあった。持ち手に対して注ぎ口が90度左についている普通の急須だと、左手で持つとバックハンドでお茶をいれないといかん。左利きも楽しめるトランプというのもあった。普通のトランプは左上と右下にマークがついてあって、右利きの人が普通にカードを広げるとちょうどマークが見えるようになっている。で、左利き仕様トランプというのは、それが逆についている、というわけではなく、四隅についている。そりゃ、左利きだけでトランプすることは普通ないだろうから。私はその通販で、鋏、カッター、包丁、アウトドア用ナイフ、扇子を買った。扇子も普通のやつだと左手では開きにくい。「Japan Southpaw Club」というインターネットのHPがあって、メーリングリストもある。たまにオフ会をやったり、「左利きだけの野球大会」というのをやってるらしい。ルールが普通と違って、打ったら3塁方向に走るそうだ。

なんだか最近どんどん日記が長くなってきている。というか、最初は本当に「精神科への入院の記録」のつもりだったのだが、暇なのでついつい関係ない話題をつらつらと書いてしまっているうちに、日記だかエッセイだかなんなんだか自分でもよくわからなくなってきた。まあ、「読み物としておもしろいので続けてください」と言うありがたいメールもいただいているし、しばらくこの路線で続けよう。

Tさんから借りた3冊の本のうち、「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」を読み始めた。「アダルト・チャイルド」とは、もともとアルコール依存症の親の元で育った子供のことで、そういう子供は親を助けるため、そして家庭が崩壊しないために必死に「いい子」になり、がんばるそうだ。今ではその解釈は拡大され、アルコール依存症の親がいる家庭だけでなく、「機能不全家族」や「感情を抑圧された家族」のもとで育った人たちのことらしい。読んでいくと、確かに自分にあてはまるようなことが多い。ところが、いきなりこんなことが書いてある。

「次章から私たちACが育った家族(原家族)を見つめ、探っていく『原家族ワーク』が始まります。(中略)もっとさしせまった、深刻な問題が目の前に立ちはだかっているのなら、まずそれを考えてみましょう。とくに次のような人は、次章からのページを開くのを待ってください」とあり、いくつかの箇条書きの一つに「うつなどの治療中で、現在の状態が安定していない人」

とある。おいおい、こっから先は読んじゃいかんのか。解説によると、ここから先は自分の育った家庭環境を紐解いていく作業で、非常に大きな感情の揺れを伴うため、精神状態が安定していない人が読むのは危険なそうだ。う~ん、読むべきか読まざるべきか。とりあえずそこでストップしてある。

夜、卓球は2、3回しかやったことないというO嬢が「卓球教えて」と言ってきた。「基本はいいから、とりあえず技を教えて」おいおい、そりゃむちゃな注文だ。バックハンドでサーブしている人を見て「あれがやりた~い」そうだ。あれがかっこいいらしい。サーブするんだったらとりあえずフォアから練習するのが普通だが、まあ遊びだし、注文にこたえて指導する。サーブだけできてもラリーにならないので、その次には一応基本のフォアハンドの打ち方を教える。こっちから打ちやすい球を出し、一球打つごとに「今のはラケットが上向きすぎ」とか「今のはタイミングが悪い」などと指導する。高校時代の部活を思いだす。

20:00寝る前のお薬。パジャマに着替えて寝る準備をする。今日の日記はここまでにしよう。