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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年12月10日

昨日は22:00頃寝たが、中途半端なところで日記が終わっている。寝付きはよく、一度3:00頃目を覚ましただけで、次に目を覚ますともう6:30をまわっていた。よく寝た。やはり大部屋より一人で寝る方が落ち着く。

メールチェックすると、大学の合唱団の同期MLに、Hの家に15日に遊びに行くけど、まだメンバー募集というメールが来ていたので、速攻で出席することにして返事を出す。次の16日は最初はアマチュア無線の4級を受けようと思っていたが、なんかやる気がしなくなってやめようと思っていた。カウンセラーに言われた「本当に自分がやりたいのか」ということを考えると、「山に登るんだったら無線の免許は取るべきだ」ということから出てきた考えだということに気がついたから、とたんにやる気がなくなった。もちろん山に登るんだったら免許は取るべきで、せっかく入院していて暇もあるのだから、別に「ねばならない病」というほどのことでもないし、少しくらいがんばって受けてもいいのだが、心がいやいやを言っている。

あ、今日は月曜日だった。今日こそゴミを出さなきゃ、と思って時計を見ると8:30。やばい、もう行ってしまったか、と思いあわてて服を着て玄関から出てゴミ置き場の車停めを見る。みごとに跡形もない。すでに車が停まっている。はあ、また出し忘れちゃったよ。次はいつ出せるかなあ。

電車に乗って病棟に戻る。荷物の整理をしたりしているうちに、15:00前になったのでカウンセリングに行く。

今日は喘息の話から始まって、喫煙に対する「吸ってはいけない」と「吸いたい」という欲求の話になり、自分の「~したい」というので一つ自覚できるものを見つけたということを話す。上からの「ねばならない」と下からの「したい」を調整するのが自我の役目だが、この場合は「禁煙」は絶対的なルールであるからしたがわないといけない、そう言われた。

他にはとりとめもなく話が進んでいった。何を話せばいいかわからない。「自分で気づいたことは自分のものになる」と最初に言われたから「自分で何でもいいから気づかなきゃ」そういう「あせり」から来ると思われる義務的な心境になって、それが見つからないから何を話していいかわからない、そういうことを話した。単なる雑談でもいいんですよね、そう言うと「雑談でもぜんぜんかまわないです。それならそれで、そこに『今日は雑談したい』という自分がいる。それはなぜなのか、その日の心の状態によってまた変わってくる」そういうようなことを言われた。何でもいいんだ、話すことは。そう思って、残り少ない時間で、いくつか話をした。卓球を教えることが多くて、最近教えているうちに「人に教えることが自分は好き」ということに気がついたことを話したら、それは「自分を認めてもらいたい」という欲求で、そんなに高次なものではなく、基本的な三大欲求の上に来るくらいのものだ、と言われた。

最近同室に入ってMZさんが、人が本を読んでいようが日記を書いていようが、かまわず話しかけてきて困っている、見てて自分がじゃまをしていることに気がつかないものかなあ、ということを話すと、そういう人はそれが病気だからしかたがない、「今ちょっと本を読んでるんで」って断ればいいんですよ、そう言われた。「それができないんですよ。NOが言えないんです」そう言うと、「それって、さっきの『人に教えるのが好き』と同じなんだよね。裏返しなんです」と言われた。よく自分では飲み込めなかった。つまりは八方美人ということらしい。

病棟へ戻ってから、作業所帰りの人が風呂に入るのと一緒に風呂に入らせてもらった。入る前に見た夕焼けがとてもきれいだった。出たらすぐに夕食。夕食後、日記を書くが、またもやMZさんにつかまって30分以上話の相手をする。とほほ。