TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年11月26日

昨日は寝付きが悪かった。眠気が来ないので時計を見たら21:50だったのを覚えている。結局何時頃寝付いたのか。何回か目を覚ましたような気もするが、定かではない。時計を見たのは4:00だった。その後からが長かった。浅い断続的な眠りを繰り返し、ずっと夢を見ていた。いい加減そろそろ朝だろうと思っていると電気がついた。看護婦がつけていったようだ。その後起床の放送が入った。すこしかったるかったが、軽く「目覚めのヨーガ」をやって、今日は起きれた。

風邪気味で少しだるさを感じる。朝食後は散歩にいかなかった。鼻水が出まくって箱ティッシュがなくなってしまったので売店で買ってきた。その後はCDを聴きながら寝ていた。

作業棟に行くかどうか迷ったが、やはり行ってしまった。汗をかいて体の熱を出したいというのもあった。なに、調子が悪くてしんどければ途中でやめればいいや。そう思った。体力テストは案の定「6段階中の2」と悪かったが、一般トレーニングに入ってから、機械が勝手に負荷をコントロールするだけでなく、自分でも増減ができることを発見して、ついつい勝手に負荷をあげてしまい、だいたい130W以上になるようにしてしまった。脈拍は160を超え、20歳という設定にもかかわらずアラームが出た。実年齢ならとっくにアラームが出ているはずだが、それにしてもあまりしんどさを感じないのはなぜだろう。終わったら消費カロリーは210kcalを超えていた。むりやり出した数字だが、今のところ体にそんなにダメージは感じない。大丈夫かな?後からダメージが来ないかな?今日はゆっくり休もう。

CDを聴きながら休んでいると、婦長さんが日経バイトを持ってきてくれた。さっそく読み始めた。ATOK大阪弁対応?なんのこっちゃ。話し言葉にできるだけ対応するために、方言シリーズ第一段だそうだ。IEに新しいセキュリティ・ホール。またかよ、てな感じだ。

新しい女の子が入ってきた。朝、作業棟で会った子で、卓球大会ではしゃいでいた子だ。閉鎖病棟から移ってきたという。キャピキャピした女の子で、まだ17歳だという。どうして同年代の女の子が入ってこないのか。

昼食後、日経バイトを読み進める。もうすぐカウンセリングだが、今日こそロールシャッハの結果が出てるか聞こう。

カウンセリングを受けてきた。話題は先週の「あせる」というところから始まり、そこから離れて、「退院のめどは考えていますか」という話題を出したときに、自分では1年計画に切り替えたときにあせりが少し消えた、というようなことを話した。そこからどういう展開になったかは詳しくは記憶にはないが、自分が外出したり外泊したときに疲れたり、それで鬱に陥ったりする、ということを話すと「それでなぜ疲れると自分では思いますか」「その疲れるのと鬱になる、というのの関係を自分ではどう思っていますか」そのような質問をされた。それに答えているうちに、自分は鬱に入りそうな兆候がわかり、それは「もう少し寝ていたい」という欲求として現れ、それが小さな時には自分でコントロールできる、そのような話をした。カウンセラーは「鬱はコントロールできるできないの問題ではなくて、なぜそれが出てくるかが問題」と話した。確かに、コントロール範囲ですんでいるからいいが、なぜそういう状態に陥る、あるいは陥りそうになるのか。そこが根本的なところだ。そして話は「コントロール」ということに移っていく。

カウンセラーの説明によると、フロイト説では人間の心の中には「超自我(スーパーエゴ)」「意識」「無意識」があるそうだ。「コントロール」の範囲にあるのはこの中の「意識」の部分である。「超自我」は社会的に上から押しつけられるもの、「ねばならない」「しなければならない」英語で言うとshouldで表現されるものだが、それが私の場合ものすごく強いらしい。それが「意識」と一体化しているという。そのため、「意識」が「超自我」に支配され、コントロールを失うのではないだろうか。

そして「超自我」と「意識」の一体化が強い分、自分の「無意識」からの突き上げが激しい。本来の自分の感情を抑えているわけだから。私が「会社に行かないといけない、でも体が動かない、えいやっと起きて会社に行く、という夢を10回くらい繰り返して見る」と話すと、それはものすごい「無意識」からの突き上げで、自分は相当「会社に行きたくない」そうだ。それは自分でも薄々感じていたが、そういう無意識の自分の感情に気づきながらそれを認めたくないと思って抑えることを「否定」、そしてそういう自分の無意識な面に気づきすらしないのは「否認」と言う。私はその夢を見て、「自分は相当脅迫観念が強いんだな」と思っていたが、それは「超自我」が強い、という意味だけでなく、「無意識」では相当会社に行きたくないと思っている、ということらしい。言われてみると、自分は会社に行きたくない、というのは気づいていたが、それを抑えつけていたかもしれない。そう話すと、精神分析ではこの辺りをかなり慎重に細かく扱う、とのことだ。

私の場合、「否認」なのか「否定」なのか、両方が混じっているようなことをカウンセラーは話していた。なぜそんなに超自我が強いのか、「ねばならない」が強いのか、その原因はこれからじっくり探っていくことになるだろう。とにかく当面の課題は、自分の「意識」を成長させること。今の自分の「意識」は「超自我」と一体化して、本当の自分を見失っている。それを日常の行動の中で見つけていかなければならない。おっとまた「ねばならない」が出た。見つけていこう。とにかく、「意識」の上下にある「超自我」と「無意識」の風通しをよくする必要がある。自分の本当の心はどこにあるのだろう。まだそこが未成熟なのだろう。

ロールシャッハの結果はカウンセラーのところには行かずに主治医のところに行くそうだ。心理分析の結果を精神科医が説明する、というのはなんだかちぐはぐな印象を受ける。分析した人が説明してくれるといいのだが。主治医は心理の方はどれだけわかっているのだろうか。

夕食までSさんと話をしたりして過ぎていく。夕食後は日経バイトを読み進め、ほとんど読んでしまった。まだ連載記事は一つ残っているが、18:30を過ぎたのでコーヒーをいれて一息つく。

そうこうしているうちに20:25になった。就寝準備しようっと。