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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年11月14日

昨晩は珍しく就寝時間を過ぎても喫煙所で話し込んでしまった。寝る前に、今日退院するYさんに「いろいろお世話になりました」と言うと、「あなたにとっておきの薬を授けましょう」と言うので話を聞くと「病気を治すもの、それは愛です」と仰る。奇しくも私がその直前まで読んでいた「精神病棟の二十年」の著者と同じことを言う。「愛して、恋して、そうすれば病気は治る」そうだ。私は愛に飢えているのかもしれない。友達は多いが、学生時代以来彼女はいない。Kさんがやってきて、Yさんの会話を聞いて「そうです」とうなずいていた。いろいろ私について、私がどう見えるか、そういうことを話してくれた。Yさんは「はまーさんはオールマイティーだから、もっと自分の弱さを見せなきゃだめ。そういう母性本能をくすぐるところがなければだめだよ」Kさんは「はまーさんはACでぽっかり穴の空いた状態だから、その穴を埋めてくれる人がいいよ」と言う。私はいろんな趣味をやっていて、自分が奥さんになるとしたら、多分ついていけないだろう、と言った。Yさんは「相手に合わせて自分のレベルをもっと落とさなきゃだめだよ」と言う。相手にできるだけあわせているつもりなのだがなぁ。Kさんは私が「心を閉ざしている」と言う。なぜそう見えるんだろうか。

寝たのは21:20頃。少し寝付くのには時間がかかったが、多分22:00の巡回までには眠りに入ったような気がする。その後、一度目が覚めたら23:30。1サイクルで目が覚めたようだ。その後はずっと寝ていて、目覚めて時計を見るともう5:00。もう一眠りしていると起床のアナウンス。「目覚めのヨーガ」をやって布団から出る。寒い寒い。だんだん布団から出るのがつらくなる。

今は16:00過ぎ。今まで日記を書けなかった。朝食後、退院するYさん、それからKさんと夕べの話の続きをした。途中でYさんは抜けて、Kさんと8:45前まで1時間以上喋っていた。今日は外出なので、あわててシーツ交換を済まし、外出の用意をして外出届を受け取り、外へ出る。バスに乗り、電車に乗って家路につく途中、どうにも不安定になってきた。YさんやKさんに言われたことがぐるぐる頭の中を駆けめぐって、少し落ち込んできたのだ。それで、この状態で部屋へ戻っても掃除なんかできやしないし、下手したら戻って来れなくなる。そう思って途中駅で引き返し、買い物もせずに病棟に戻ってきた。

私が予定より早く戻ってきたのと、暗い表情をしていたのだろう、N看護士が「何かあったの?」と聞くので「はい、少し」と答える。「話、聞こうか?」と言ってくれたので、やや迷ったが「じゃあ、少しだけお願いします」と言って診察室へ入り、事情を説明した。あまり細かくは触れなかったが、核心部分だけは伝えておいた。N看護士は「うん、話はわかった。なんにもできないけど」と言ったが、こういうときは胸の内を聞いてもらえるだけでも救われる。

電車に乗って不安定になってきたときに手帳に書いたメモを元に、言われたことと感じたことをここで書く。


私の話は難しいらしい。もっと相手のレベルにあわせて喋った方がよいと言うことだ。確かに私は趣味の話などが他の人から見るとマニアックに思えるかもしれないが、それでも今までずっと相手にあわせて喋っていたつもりだった。それでもそんなことを言われるというのは、私は相手のレベルというものがわかっていないのか。いったいどうしゃべればいいのだろうか。Yさんは「ディズニーランドのレベルまで落としなさい」と言う。ディズニーランドに行ったことがあるか、と聞かれて、一回だけある、と答えると、どう感じた、と聞かれたので「テーマパークとして非常によくできていると思った」と答えると、その分析的な考え方がいけないと言う。いや、いけないとは言わなかったが、それじゃ一緒にいる相手は疲れるそうだ。しかし、いきなりそこまで落とせと言われても自分には無理な話だ。自分を否定された感じがする。全否定でなく部分否定だが、自分の生き方、ものの考え方の根幹に関わる部分を否定された感が否めない。

今までみんな私の話を嫌々聞いていたのだろうか。聞いているふりをして聞き流していたのだろうか。私の存在はいったいなんなのだろう。「またごたく並べる奴が来た」そう思われていたのだろうか。みんなに不快感を与え続けていたのだとすると、それはとても心苦しい。今後、私はみんなとどうやって接していけばいいのだろう。彼らは私に「癒し系」になれ、と言うが、今まで私をよく知っている人は私を「癒し系」だと言ってくれた。何人もだ。学生時代の合唱団のHは「はまーがいるだけでなごむんだよなぁ」と言ってくれたし、中学の教師をしていた昔の合唱団のKさんは「特殊な存在感」と言ってくれた。座の中心にいるわけではないが、その場に必要な人、いてくれるとなんだか場がなごむ、みんながほっとする、そういう存在だと評してくれた。あの頃と今では私は変わってしまったのだろうか。それともここの病棟では私は「孤高の人」なのだろうか。相手との距離を測ることができないのだろうか。今まで測ってきたつもりなのに。

私にあう女性とは、私のいろんな趣味を完全に理解してついてきてくれる人か、それとも全てを許容して家で待っていてくれる人か、そのどちらかとKさんは言う。そして、女の子と喋るときは、そういうマニアックな話でなくて、「普通の話」をしなさいと言う。だが、私はいわゆる「普通の話」ができない。中学生の時にテレビの娯楽番組に嫌気がさして見なくなった私の生き方では、通常の人が興味を持っていることや知っているような「大衆的娯楽」に関する知識はない。人に話題をあわせるためだけに、自分の興味のないテレビを見るなんてまっぴらごめんだ。そこは自分の生き方の根幹に関わる。

Kさんも、直接私にそういう話をしないでほしかった。カウンセリングなどを通じて自分で気づいていくべきだったのかもしれないが、そういう自分の生き方の根幹に関する部分についてぐさりとダイレクトに「そうしないでこうしなさい」と言われると、非常につらい。もし自分が迷惑しているのであれば、他の困った患者の扱いと同様、私に直接言うのでなく、看護婦に言うとか、あるいは「この人はこういう人なんだ」でずっと流しておいてほしかった。この分では部屋に戻っても、まだまだ散らかった部屋に戻っても、掃除なんかできやしない。布団に潜り込んで寝たい。自己否定。どうすればいいかわからない困惑した心。迷走する精神状態。突発的なやり場のない怒り。切ないほどに憂いている魂。こみ上げる悲しみ。無性に悲しい。私はこれからどうやって人と接していけばいいのか。

ここの病院の人は私と住む世界が違うようだ。いや、私の方が違う世界に住んでいるようだ。大衆に迎合するということか。自分のレベルを落とすということは簡単なようで難しい。何も話せなくなる。

虚しい。何かが虚しい。自分の話に人がついていけなくなっているのに気がつかずに今まで自分が喋っていたことに対する虚しさなのか。伝えたいことが伝わっていなかった虚しさなのか、知らないうちに人に不快感を与えていたという罪の意識か、自分がしゃべっているときに、途中から自分は無視されていたのかという悲しさなのか、自分と同じレベルで話せる相手がいないという寂しさなのか。私にダイレクトにつきささる言葉を投げたKさんへの怒りなのか。もう自分のことは放っておいてほしい。言いたいことがあるなら直接言わないで看護婦を通してほしい。こみあげてくる、何か大きなマイナスの感情。やるせなさ。

私は心を閉ざしている、とKさんは言う。そうかもしれない。自分の本当の心を開放したらとんでもないことになる。本当は自分はプライドの塊だ。そとづらは「謙虚な人」を演じているつもりだが、一流大学卒であることや一流企業の社員であることを、心の中では誇りに思っている。本当は。

今までの自分の人生はいったい何だったのだろうか。これからもこうやって生きていく意味があるのだろうか。自分をだまし、人に無理矢理あわせ、だらだらと非生産性的に生きることが是というのか。今までの自分は何をどうやってきたのか。頭が混乱してきた。


昼食は食べることができたが、その前後、14:30くらいまではずっと寝ていた。少し外に出たい、オカリナを吹きたい。そう思って外に出た。今日は海が見える、この小さな山のピークで、ベンチのあるところで30分くらい吹いた。吹いているうちに気が晴れてきた。いろんな曲を吹いた後、コンサートで吹く曲を練習しているうちに、どうしても「竹田の子守歌」の即興の部分がしっくり行かないので、結局2コーラスで普通に終わらすことにし、代わりにロシア民謡の「ともしび」を入れることにした。通して時間を計ってみたりもした。

山から下りてくると、N看護士とうちの病棟の連中がソフトボールをやっているのでそのまま加わる。体を動かして、ますますすっきりした。病棟に戻ってきたときにはすっかり元気になっていた。元気になった私を見てSさんが「はまーさんは判断力があるなあ。引き返してきて正解だよ」そう言ってくれた。

夕食後、以前に買っておいた文庫本の小説「閉鎖病棟」を読み始める。これは精神科医であり作家でもある人が書いた小説で、先日読んだ「精神病棟の二十年」とは違ってフィクションである。最初に、病院に入院している何人かの患者の入院前のエピソードが独立した章立てで書いてあり、その後、舞台は病院での生活の記述に入る。まだ何も起こっていなくて平穏なところだが、精神科病棟の内部を告発したノンフィクションとは違ってフィクションの小説である以上、これから何らかの展開があるのだろう。

コーヒーをいれ、一服しにいく。卓球をやっているのを眺めていると、「やらない?」と誘われたのでマイラケットを持ってきて参戦する。だが、S君と勝負してもいまいち集中力に欠ける。精神的に不安定になった後遺症がまだ残っているようだった。その後、T看護婦を相手にするが、結構上手だ。20:00近くになって、T看護婦は「薬、薬」と言いながら仕事に戻って行ったので、Kさんが出てきて3回試合をした。

20:00に卓球をおしまいにして、普通なら病室に戻るところだが、テレビでハモネプをやっていたので20:20頃までそれを見ていた。今日は中部大会のスペシャルのようだが、かなりうまい。始めて3ヶ月という高校生のグループも結構うまかった。前回優勝したというグループもかなりうまかった。私もオンマイクの活動をやってみたいな、と思った。

さて、今日はいろいろありましたが、なんとか乗り切りました。明日もいい日でありますように。