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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2001年9月

昨日は消灯後、22:30、つまり眠りの1サイクルでいったん目が覚めたが、追加眠剤はもらわずにまた寝たら、朝の5時過ぎまで眠れた。最近はよく眠れているような気がする。

ホールに出ていくと、外は暴風雨で荒れ狂う海が見える。台風が来ているのだ。Kさんが今日外出するというのに折り畳み傘しか持ってないと言う。ほとんどの患者がそうだ。「病院の置き傘借りていったらいいんじゃないですか?」そう言うと「I看護士が処分しちゃったのよ」と言う。なんだなんだ、そんな話、一言も聞いてないぞ、と言うと「いつだかの連絡会、じゃなかった食事中かな、Iさんがみんなの前で言っていたよ」と教えてくれた。そんな、一回言うだけじゃその場にいない人には伝わらないじゃないか。多分私が外泊していたときに言ったのだろう。もし私が名前を書かずに傘を置いていたら、知らずに処分されてしまっていたところだった。「そうとわかっていたら、一番いい置き傘に自分の名前書いておいたのに」そう言うと、TさんもKさんも「あ、そりゃいいね」と笑ってくれた。ちょうどそのときにI看護士が来たので、「置き傘処分の件、私は知らなかったんですけど、一回言うだけじゃなくて、せっかくホワイトボードにお知らせ欄があるんだから、そこに書いておいてくれたらよかったのに。もし私が自分の傘を名前を書かずに置きっぱなしにしてたら、知らずに処分されてしまってところでしたよ」そう言うと、I看護士は「あ、失礼しました」と謝ってくれた。これからはもう少し患者の立場にたって、どんなことにしろ「より良い方法」を考えてくれるかな。

朝食後、喫煙所で眠剤の話になった。私が「最近はよく眠れるようになったのに、朝ぼ~っとしてることが多い」と言うと、「それは、眠剤が残っているんじゃないですか?」そう言われた。そうだ、眠剤には「残る」という作用があるのだ。私は今まで睡眠障害がひどくて、眠剤もどんどん増えて、追加眠剤をもらっても眠れず、ということもあったため「残る」ということを経験したことはなかったが、睡眠障害が緩和されてきて、今は逆にぐっすり眠れる代わりに眠剤が残っているのかもしれない。主治医と相談したいが、水曜日までいないという。困ったものだ。分裂症でサイレース(ロヒプノール)を10年以上服用しているSさんが、睡眠薬依存症の話をしてくれた。2~3日わざと眠剤を飲まずに、自然に眠気が来るのを待っていたら、手が震えたりしてきたそうだ。依存症の禁断症状らしい。彼は通常1mg処方されるサイレースを、2mg~4mg飲んでいる。同じくサイレースを10年服用しているYさんも、眠剤を飲まなかったときに幻聴が聞こえたらしい。私も聞いていて少々不安だが、医者は「依存症にならないように量は考えてだしてますから」と言っていた。確かに、私の場合7錠も眠剤を飲んでいるとはいえ、純粋な眠剤だけでなく、睡眠誘導効果のある安定剤や抗鬱剤も混ざっている。一種類の薬の量を増やすのでなく、そうやっていろいろな薬を混ぜているので、依存症にはなりにくい、とは思う。ただ、サイレースはハルシオン同様、今の日本では最も一般的に使われている眠剤の一つだが、依存性が強く、アメリカでは使用禁止になっているらしい。逆に抗鬱剤であるSSRIなんかは、ずっとアメリカで使われていて日本では使用が認められてなかったのに、去年になって日本でも処方されるようになった。この辺のギャップはなんだろう。日本は薬の扱い方に関して、まだまだアメリカに遅れをとっているということか。それにしても、こういうときこそ主治医に相談したいのに、水曜日までいないというのは残念だ。しかも、木曜日は私は外出予定にしている。木曜日の16:00以降に主治医に時間を取ってもらえればいいのだが。

雨風がひどいので散歩もできない。「こころの処方箋」を読み進めようかと思ったが、頭がぼ~っとして内容が頭に入ってこない。おとなしく作業療法の時間まで休むことにしよう。何か音楽をかけながら。だが、この後は眠るのでなく運動するので、単なる癒し系の曲よりも、多少元気な曲の方がいい。山下達郎の「On the street corner I」をかけることにした。

アダルト・チャイルド関係の本を売店で買ってきた。今までは借りた本を読んでいたが、自分でマーキングしたり書き込みをしたり付箋を貼ったりしたいので、結局自分で買うことにし、借りてる本は返した。ただ、この本は慎重に読み進めなければならない。この間も「原家族ワーク」をやってる途中で、すごく気が滅入ってきて、そして猛烈な腹痛が始まり、次の日の午前中まで軽い鬱状態が続いた。カウンセラーと相談しながら読み進めていこうと思っている。この本も、自己変革を行うのに大きな手助けとなってくれることだろう。

作業棟へ体力トレーニングに行く。またもや平常時心拍数が高く、100を軽くオーバーしている。体調が悪いときは、なぜ心拍数があがるのだろうか。酸素の供給が追いつかないのか?眠剤が残っていて、体がまだ眠っているのであれば、逆に心拍数は低くなってもいいような気がする。この辺はよくわからないが、なにか複雑なメカニズムでそうなっているのだろう。その状態で体力テストを行うと、「6段階中の1。非常に劣る」と出た。トホホ。体調によってこんなに結果に差が出るのだったら、毎週月曜日に体力テストを行っている意味がない。やるなら毎回体力テストやろうかな。とりあえず今日はそのテスト結果で出てきた数値を基準に設定して、20分1セットだけエアロバイクを漕いだ。その後は腹筋。この間より多い回数をこなせた。

ぺちゃくちゃしゃべりながら猛烈にエアロバイクを漕いでいるいつものおばさんが、隣のおじさんに「水は飲んじゃダメ。漕ぎ終わってから飲みなさい!」」と、また間違ったことを言ってる。それは昔の話で、今の運動生理学では否定されている、ということをそのおばさんに教えてあげようかと思ったが、下手に反感を買うと嫌だったので、作業療法士に言ってみた。「あのおばさん、水飲むなって言ってますけど、今は違いますよね」作業療法士は、「うん、それはわかってるんだけどね。でもスポーツ選手や、本格的なトレーニングをする人達と違って、あのおばさん達の運動量くらいだと、たいした汗はかいてないし、漕ぎ終わった後にちゃんと水飲んでるから大丈夫だよ。下手に口出しても、あのくらいの年代だと反感を買うかもしれないし、言う方も言われる方もそれなりに納得しているんだからいいんじゃない?」なるほど、ちゃんとそこまで考えているのだ。この辺はさすがプロだな。直接言わないでよかった。ここでは「患者同士ができるだけ直接関わり合いになることを避ける」ことに気をつけないといけない、ということを改めて認識した。

私がエアロバイクを漕いでいる横でMちゃんが血圧を計っている。「ねぇ、これ低いかな」の声に私が振り向くと、血圧計の表示は、上が83、下が49。「すごく低いんじゃない、それ。大丈夫」という私に対して「血圧上げる薬、飲んでるんだけどな」と言っているが、薬を飲んでその値なのか。血圧は高すぎるともちろん良くないが、低すぎるのも多分よくないのだろう。低すぎる場合、どういう影響があるのだろうか。

エアロバイクを20分1セットだけで済ませたので時間が余った。今日は雨で散歩にも行けなかったので、オカリナを吹けなかった。この作業棟でなら吹いていいかな、ピアノも弾いてることだし。そう思って作業療法士に「オカリナ吹いていいですか」と聞くと、ピアノのところか、その隣の部屋なら吹いてもいいという。ピアノのところはすぐ横でみんながエアロバイクを漕いでいて、「ピ、ピ、ピ」というピッチ音が気になるので、隣の部屋で吹いた。誰か聞いているかもしれない、というか聞こえているだろうが、周りに誰もいないと自由に吹けて楽しい。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、この人の書いたことには共感がもてる。いろいろなトピックについて書いてあるが、すべてに共通していることは「決して断定していない」ことだ。これは、「○○は△△だ」と断定した文章よりも信頼できる。著者も書いているが、心の問題は複雑で、決して「これはこうだ」と断定できるようなことはありえない。だからこそ、別に断定口調を避けて反論されたときの責任逃れをしているわけでなく、本当に断定できないからそう書いてあるのだ。逆に、心の問題について触れた文章で断定口調のものがあれば、それは警戒して読まなければならないだろう。

夕方の薬を飲んだ後、リラックス体操&自律訓練法をやった。この時間に行うのが日課になってきた。別に毎日やっているわけではないが。「毎日やらないといけない」と思いこんでしまうと、それはまたそれで自分を縛ってしまう。他に用事がなかったらできるだけ続けよう、それくらいの気持ちで楽にやっている。やると、やはり気持ちいい。

「日経コンピュータ」が病院に送られてきた。ちょこっと目を通す。前に会社から送ってもらったのもぜんぜん読んでない。1日2記事ずつくらいは目を通していこう。それはそうと、3誌の継続の購読料をまだ払ってない。早く払わねば。

連絡会の司会を務める。司会と言ってもノートに書いてある通り読むだけだ。関西弁でやろうか迷ったが、とりあえず普通にした。最後の日だけ「いたちの最後っ屁」みたくやってみようかな。「皆さんからのご意見、ご感想などありましたらお願いします。はーい」と言って即座に自分で手を挙げて意見を言ったりしてみた。いや、ジョークではなくて、本当に意見があったのだが。午前中トイレに行ったときに、ちょうど掃除が終わった後だったようなのだが、トイレのスリッパがびしょびしょに濡れていたので困りました。掃除の人は気をつけてください。それだけの意見だ。

夜は「こころの処方箋」を読み進め、その後はまた卓球した。Kさんはなかなか悪い癖が抜けない。S君と勝負したが負けてしまった。S君は本来の実力を発揮してきたようだ。今までは素人相手に手を抜いてばかりいたので、手を抜く癖がついていて、私と対戦するときもなんとなく隙だらけだったのが、構えに隙がなくなってきた。それに、マジで読みが難しいサーブを出してきて、それにかなり苦しめられている。うん、好敵手になってきて、これからがおもしろそうだ。

これを書いてるうちに20:00になった。眠剤を飲む。今日もよく眠れるといいが、翌朝また眠剤が残るかな?ま、残っても昼頃には回復することがわかってきたので、あまり心配しないようにしよう。

昨日は腹痛が大変だった。腹が痛くてまともに歯を磨くこともできず、就寝前に看護婦さんに何とかならならいか相談したら、ちょうど当直の医者がいて、下痢止めをもらうことができた。おかげで昨日の日記の最後は尻切れトンボだ。

でも、睡眠はとれた。21:00就寝で、起きたら3:00だった。6時間も連続で寝ていたことになる。喫煙所に行ってみるとMちゃんがいる。戻って来たはいいが、昨日からずっと元気がない。「何かショックなことがあったの?」そう聞くとうなずく。その後はまた眠くなってきたので再び病室に戻って寝た。5:30くらいまではまた眠り、うとうとしたまどろみの状態を感じつつ、6:00の起床を知らせる放送で起きて、着替えて洗面を済ました。最近睡眠は取れているのにだるい、そういう日が多い。腹痛はまだ少し残っている。これはやはり「原家族ワーク」をやったせいか。

だるい。朝からこんなにだるい。というか少し鬱が入っている。ここへ入院してきたときのように、朝から調子が悪い。最近こういう傾向が続いている。なぜだろう。睡眠は以前よりも取れているのに。朝食後もすぐ横になり、9:00過ぎまで寝ていた。起きてきてあったかいコーヒーをいれ、喫煙所で煙草を吸いながら飲む。少しは体が目覚めてきただろうか。

MちゃんがHさんを探している。が、Hさんは外泊でもう出ていってしまった。Tさんが「何の用事なの?」と聞くと「携帯取り上げられちゃったので、借りたかった」そう、彼女はここに再入院する条件として「携帯電話は使わない」ということを約束させられた。それまで携帯を隠し持っていたことは、医師は知らなかったと思うが、親はもちろん知っていた。隠し持つことに荷担していたのだから。しかし、今後はそういう条件が提示されたため、親も荷担することはできない。こっそり携帯を渡す、ということをしてくれない。それで、Mちゃんは誰か隠し持っている人から借りたいのだろう。実は、他にも隠し持っている人は知っているが、私は言わない。再入院の条件が「携帯を使わない」ということは、「携帯を使うことが、病気の治療の妨げになる」という医師の判断なのだろうから、私がMちゃんに携帯を持っている人を教えるということは、「Mちゃんの治療の妨げになる行為に荷担する」ことになるからだ。Tさんは言う。「公衆電話からかけりゃいいじゃない」そうなのだ。公衆電話ならOKと医師は言ったらしい。なぜ携帯がだめで公衆電話がOKなのか、それは私にはわからない。

10:40頃、一人でオカリナを吹きに行く。一人で吹きたかった。もともとオカリナを吹くのは誰のためでもない、自分のため、自分を癒すためなのだから。人が聞いていると緊張する。それが自分にとってストレスになる。

グランドのベンチに座って一人でオカリナを吹いていると、S君がやってきて隣に座る。「調子悪いですか?」と尋ねる彼にうつむいて「調子、悪い」それだけ答える。「一人になりたいですか?」と聞くので「うん」と答える。「じゃあ、たばこ吸ったら行きますから」そう言って彼はたばこを吸って行ってしまった。私はその間一人うなだれていた。彼が去った後、またオカリナを吹き始めた。自分の好きな曲を自由に、そして、どんな曲でもない、自分の心にうかんだメロディーを好きなように即興で吹く。もともと私は何かの曲を吹く、というより、そのときの自分を表現するために、自分の中の何かを外へ出すために、自由にオカリナを吹くのが好きだった。最初の頃、そう、オカリナを吹き始めた頃はずっとそうしていた。

河合隼雄の「こころの処方箋」を読み始める。以前、駅前の本屋で買ってからまだ読んでなかった本だ。河合隼雄の本は、カウンセリング関係の本なら何冊か読んだが、実際に悩みを持った人向けの本は始めて読む。この本も何かの救いになってくれるだろうか。本だけに頼ってはいけないが、読むことによって開けてくる道もきっとあるだろう。

読んでいると、卓球をしている音が聞こえてくる。少し元気が出てきたのと、今なら汗をかいても3時にシャワーを浴びれるので、マイラケットを持ってホールに出ていく。S君とKさんの勝負が終わるのを待って、S君と軽く打ち合った後、試合をするが、2セットとも負けてしまった。いつもより集中力も運動能力も衰えているようだが、まあ、それはそんなものだろう。調子が悪いのはわかっているのだから。大事なのは、今自分にできることを、自分のペースでやることだ。少し汗をかいたくらいでやめておいた。無理は禁物だから。

S君とKさんの試合を見ているとき、Y看護婦が来て「あら、起きました?」さっき病室を巡回しているときに、私が寝ていると思ったらしい。別に眠っていたわけではないのだが。特に様子を聞いたりするわけではないが、ちょっと様子を見にきていただけだという。ついでなので、聞いてみた。「この病院でカウンセラーにカウンセリングをお願いすることはできるんですか?」昨日の「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の中でやった「原家族ワーク」で、自分が書き出したことは必ず誰かと共有してください、そう書いてあったのだが、誰と共有すればいいかわからない。そこで、カウンセリングを受けて、カウンセラーと共有できないか相談しようと思ったのだ。看護婦によると、医者からの依頼でカウンセラーにお願いすることは可能だが、私の主治医は水曜日まで用事があって病院に来ないらしい。木曜日以降に面談をして、カウンセリングをお願いしよう。今現在患っているの「うつ病」を治すだけでなく、またそういう病気に陥らないようにするためには、自分の中で何かを変えなくてはいけない。この本はそのきっかけになるかもしれないし、そのためにはカウンセリングも有効な手段だと思うから。

会社でも、産業カウンセラーにお願いして2年くらいカウンセリングを続けていた。それで、少しは自分のことが客観的にわかり、どうすればいいかわかっていった。だが、状態はまた悪化した。会社のカウンセラーにその旨を告げて「いったいどうすればいいでしょう」と相談しても、「どうすればいいか、前も言ったでしょ」としか言わない。会社のカウンセラーとは、もういくらカウンセリングをしても煮詰まってしまっている。今度はこの病院のカウンセラーとうまくいくといいのだが。

煙草を吸おうとホールに出ていくと、I看護士に呼び止められて、「来週一週間の連絡会の司会、お願いできるかな?」と聞かれた。司会と言ってもノートに書いてあることを読むだけで、たいしたことはない。「あ、いいっすよ」そう答えてから、冗談で「でも私がやると、関西弁でやりますよ」と言ってやったら「あ、たまにはそういうのも、いいんじゃないですか」と言った。ほんとかな?明日の連絡会の直前に、そのときにいる看護婦か看護士に聞いてみて、いいと言ったら本当にやってみよう。

この日記を書いてると、S君が「カラオケやりますよ」と声をかけてきた。もう13:30か。調子があがってきたので参加する。今日はけっこう歌った。「桃色吐息」を歌ったら、えらく低音の渋い?吐息になってしまったので、キーを変えずに2番をオクターブ上げて歌ったら、「器用だね~」と言われた。まあ、だてにヴォイトレは受けてない。あ、今はほんとに受けてない。また受けたいなあ。

同室のYさんが、私がこのハンドヘルドPCでネットをやっていることを知って、KさんのHPを見たいという。Kさんは私の一つ年上の会社員で、3年ほど前に自分のHPを作ってみたものの、それから全く更新していないという。HPを作る人は、最初はおもしろがって作るがそのままほったらかしにしてしまう人が多い。HPはマメに更新しないと誰も見てくれなくなる。だから、HPを立ち上げるという場合、最初はいいのだが、その後コンテンツを随時更新していくという「マメさ」が必要である。世の中にはそういう「デッド」なHPがごろごろ転がっている。そういう私も、自分のメインのHPはそれに近い状態である。自分が管理している、内輪のHPはマメに更新しているのだが。

話がそれたが、YさんがKさんに「HPのアドレス教えて」と聞くと、Kさん自身覚えてないという。「でも、たいした内容じゃないっすよ」そういうが、Yさんが見たいというので、HPのタイトル名から私が検索して見せてあげた。「○○のホームページ」というタイトルがあって、顔写真があって、自己紹介が2行くらいあって、次のページをクリックすると、いきなり「ご意見、ご感想をお願いします」というアンケートのページに飛ぶ。それだけのHPだった。本当にたいした内容じゃなかった。ほとんどコンテンツも何もないのに、「ご意見、ご感想を」と言われても、「なんじゃこりゃ」と言うしかないだろうが。ちなみにそのHPのアクセスカウンタは、3年かかって306だった。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、かなりいいことが書いてある。読んだからすぐに自分の問題が解決されるわけではないが、いろいろなことに対する「こころ構え」の基本的なところに関して、これからの自分のものの考え方の指針にできるだろう。繰り返し読み返したい本の一つの仲間入りだ。河合隼雄の文章はとても読みやすくて、文章の書き手としても参考になる。

昼間に卓球をやったとき、汗をかいてもそんなにかゆくならなかったので、夜も久々に卓球をする。かなり調子は戻っている。久々に思い切り卓球ができて嬉しかった。また上り調子になっていってくれるといいが。

夜は喫煙所でACの話になる。私が昨日、「原家族ワーク」をやっていて落ちてきた話をすると、アルコール依存症で入院している中年女性のKさんが、自分の経験を語ってくれた。Kさんも、その本を読んでではないが、自分の過去の棚卸しをやったときに、部屋で一人でわんわん泣いたそうだ。看護婦さんがそれを見て、誰かにひどいことでも言われたかと思ったのか「話を聞きますよ」と言ってくれ、Kさんが「実はこういう理由で涙が出てきたんです」と説明すると、「よく気づきましたね。その『気づき』が大事なのですよ」と言ったそうだ。その看護婦さんは若かったが、自分自身が「機能不全家族」で育ち、苦しい思いをしてきて、そして早くにその「気づき」を体験し、看護婦の道を目指したらしい。そういう看護婦さんばかりだといいのだが。Kさんは言う。「自分の親や環境は変えられない。変えられるのは自分だけ」そう、そうなのだ。それは私もわかっているつもりだ。一昨年に受けた「タイムマネジメント」の研修でも講師が同じことを言っていた。「変えられるのは自分だけ。他の人に対しては、せいぜい『影響を与える』ことしかできない」「私も自分自身を変えていこうと思っているんですよ」私がそう言うと「1年も2年もかかるよ。でも、1日1日の積み重ねだからね。自分に対する『気づき』を経験すると、自分自身がこれからどうしていけばいいのかがわかってくる。でも、それを実行するのは難しい。1日1日の積み重ねで、1年も2年もかかって変えていかないといけないよ」Kさんはそう答える。私も入院中にどこまで自分を変えていけるかわからないし、多分、理想的な自分というものにはなることは一生かかってもできないかもしれない。どこかで見切りをつけて、うつ病の症状が治まって普通の社会生活ができるようになったとき、その「自己変革」を1日1日、積み重ねていけるだろうか。

20:00になって、眠剤を飲む。パジャマに着替えて就寝準備。そろそろ半袖の薄手のパジャマだと肌寒い。次の木曜日は皮膚科に通院するので、そのままいったん家に戻って、いろいろ秋物を取って来ようか。それができるかどうかわからないが、この間は駅前周辺の買い物で割と平気だったので、次のステップとして「電車を乗り継いで家へ帰る」ことを日帰りでやってみようと思っている。

眠剤を変えた効果だろうか。随分よく眠れたような気がする。21:00の消灯後、4:00前に目が覚めるまで、1回か2回、目が覚めただろうか覚えてない。1回くらい目が覚めて時間を確認した覚えはあるが、よく覚えていない。それだけよく眠れていたのだろう。

ホールへ出ていくと、TさんとIさんしかいない。全館の冷房が9月5日で切れてしまったため、窓を開けていたら今度は少し寒い。Iさんは鼻をすすっている。Tさんは自分と同じ病院からここを紹介されてきたのだが、そこの先生について「突き放したようなものの言い方するよね」と意見が一致。Tさんは何度もぶっ倒れて点滴をうけたが、そのうち「点滴依存症」にもなりかけたそうだ。それがないと不安だ、それがないと正常な自分を保てない、「それ」に該当するものは、どんなものだってありうる。

話しているとあくびが出てきた。充分睡眠をとったつもりだったが、まだ眠気が残っているのか?そう思ってもう一度病室に戻り、横になる。

朝食後もなんだかだるい。「眠い」のでなく「だるい」のだ。肌寒いので長袖を着てベッドに横になる。と、S君が「いっこく堂のビデオ見てもいいですか」と聞いてきたので一緒に見る。いっこく堂は本当にすごいと思う。今までの腹話術界では「絶対に無理」と言われていた口唇破裂音「バ行、パ行、マ行」を、口を動かさずに発音するのだから。いっこく堂は、「不可能」にあえて挑戦し、5年かけて独自の方法でそれを腹話術で発音する技術を会得したという。「不可能」に挑戦するという勇気は賞賛に値するだろう。単なる一劇団員から、「腹話術師」への転向。そして、それで食べていくための、まさに自分の人生をかけ、自分を追い込んでの努力の積み重ね。それは並大抵の努力ではなかったはずだ。

しばらくビデオを見ていると、いつも無表情でテレビを見ているP君がテレビのあたりをうろちょろしていた。と思ったら、ホール中のいすを動かしてぎいぎい音を立てだした。彼もまた一言も喋らない人だ。我々は、テレビを見たいことを彼がアピールしているのだと判断し、ビデオを止めてその場を去った。P君はその後だまってテレビを見ていた。

今日はずっとだらだらしている。元々土日は何の予定はないので暇なのだが、外出、外泊している人も多く、閑散としている。私もベッドでだらだら本を読む。

昼過ぎもだらだら。S君がいない。聞くところによると、急に外出したそうだ。外出届は一日前に出さないといけない。緊急で外出するときには医者、それも主治医の許可が必要だ。今日は土曜日なので当直しかいない。よく外出許可が出たものだ。よっぽど急な用事だったのか、と思っていたら、Tさんが「別に用事なんかないよ。急に外へ出たくなっただけよ」そう言っている。「看護婦には嘘をついて届けを出したのよ。帰ってきたら、なんて嘘をついたのか聞いてやろ」本当なのだろうか。

カラオケの音が聞こえている。ああ、CDを聞きながら少し寝ていたら、もうカラオケの時間になっている。S君もいないし、Eさんもいないし、今日は人が少ないなと思っていたら、2人の声が交代で聞こえてくる。2人でやってるのかな?ちょっと参加してこようかなぁ。でも、今日は別の病棟から新しめのディスクは借りてきてないしなあ。

ちょいとホールへ出て行ってみた。なんだ、4人くらいはいるじゃないか。他の病棟からディスクも借りてきているじゃないか。とりあえず、オフコースの「さよなら」を歌わせてもらう。順番待ちまで煙草を吸おうと喫煙所に行くとMちゃんが一人で座っている。元気なさそうだ。「元気、なさそうだね」「うん」、「いつも部屋では何してるの」「泣いてるか寝てる」そんなものなのか。他に気を紛らわすものはないのだろうか。「またやっちゃった」絆創膏が彼女の腕に貼られている。「部屋でやったの」「うん」彼女はまだまだ落ち着いていない。ここへ戻ってきた昨日はずっと元気に見えた。が、一晩寝たらもうこれだ。やはり大丈夫なのだろうか。心配はつきない。一曲歌ったが、だるいのでまた病室へ戻ってきた。夕方になったら散歩にでも行ってオカリナを吹こう。そう思いながら、CDを聞きながらまた横になる。

夕食前だというのに、外出から帰ってきたS君が喫煙所のテーブルに買ってきたお菓子を広げている。最近ここへのチェックが厳しいので、こっそり広げているが、そこまでしなくても、もうすぐ夕食だから連絡会の後にでもすりゃいいのに。あ、今日は土曜日だから連絡会はないや。それはともかく、最近チェックが厳しい。この間までは、喫煙所のテーブルに私物を置きっぱなしにしないでください、くらいだったのに、今は「ここでものを食べないでください」「人に食べ物をあげないでください」もうるさい。まるで動物園の「餌をあげないでください」みたいだ。「アルコール依存症や糖尿病で、食べたくても食べられない人もいるので、お菓子をみんなの前で広げたりすることはダメ」ということらしい。なので、昨日のMちゃんの再入院祝いも、看護婦の体制が薄くなる時間を狙い、看護婦の目を盗んでこっそりやった。なんかだんだん窮屈になってくる。

ずっと借りっぱなしだった本「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の続きを読み始める。「現在うつ病などの治療中で現在の状態が安定していない人は、次を読み進めるのを待ってください」と書いてある。「大きな感情の揺れを伴うので」そう説明があるが、勇気を出して読み進めていった。

「読む」というより「原家族ワーク」という、自分が育った家族「原家族」がいったいどんな家族だったのか、どんな問題があったのか、「機能不全家族」なのか、それを探るために自分の子供の頃の記憶を呼び覚ます「作業」は、とてもつらかった。途中でとても気が滅入ってきて、泣きそうになった。この章の最初に書いてある「原家族ワークに入る前の3つの約束」の一つ「つらくなった無理をしない」にしたがって中断した。自分でも、こんなに昔のことが、次から次へと出てくることに、とても驚いていた。自覚していないトラウマをたくさん抱え込んでいたんではないのか。そう感じた。

自分が思って書き出したこと、それを添え、うちの家族に当てはまる部分にマーキングをして、家に送ろうかと思った。だけど、そうすべきか迷っている。まだ判断するべき時期ではないだろう。それはともかく、「書き出したことは必ず誰かとわかちあってください」とある。いったい誰と分かち合えばいいのだろうか。

気分転換に喫煙所に行って「あの本読んでたら、すごい気が滅入ってきたよ」そう言う。病院の売店にたくさん並んでいる本なので、みんな知ってるのだ。「あの、読んじゃいけないってとこ読んだの」「うん、読むっていうか、自分の子供の頃の記憶をひもといていく作業をやってるとさ、あんなこともあった、こんなこともあったって、何年も忘れていたようなことが次から次へと頭に浮かんできて、それ書いてるたびにだんだん気が滅入ってきてさ」そういう会話をしていると、今日はずっと元気がない無表情のMちゃんがすっと立ち上がって去っていった。彼女の心の傷に何か触れてしまったかもしれない。Yさんは、「読んじゃだめってとこは適当に流して読んじゃったよ。今さら過去がどうのこうの言ってもしょうがないじゃない」確かにそれはそうで、そのことはその本にもちゃんと書いてある。じゃあ、これから僕たちはどうしたらいいんだろう、それはその本の続編にある、と書いてあった。だから、今はつらくとも、時間をかけても、この一冊目を読んでいこう。それはそうとして、急に腹が痛くなってきてトイレに駆け込む。精神的な動揺は体にすぐ現れる。

喫煙所に煙草を吸いに行って、おなかが痛いという話をしたら、何回トイレに行ったかという話題になって、私が「Yさんいつも次の日の分まで書いてますね」と言うと「よく気がついたね。誰が言うだろうと思ってた」と言ってのける。彼は「快食快便」を豪語していて、常に安定しているため、書き忘れをしないように次の日の分を書いているそうだ。「看護婦に言われるかと思ったんだけど、看護婦は言わないんだよ」う~ん、あの表はちゃんとチェックしてるのか?いや、まあチェックしているのだろうけど、彼の場合は次の日の分を書いていても、毎日数字が1なので、特に問題視してなかっただけだろう。それにしてもまたおなかが痛くなってきた。記入した後にまたトイレにいった場合、どうすればいいんだろう?次の日に繰り越すのかな。

昨日もよく眠れた。追加眠剤をもらわずに、1、2回は目を覚ましたが、時間を確認した瞬間にすぐ寝入ってしまって、4:00くらいまで眠れた。熟睡感を感じる。

ホールへ出てくる。いつもならMちゃんもこの時間にはこの場所にいるのだが、今日からはいない。昨日はこれを書いているうちに去っていってしまったのか、まだ面談が続いていたのか、最後を見送ることもできなかった。「昨日まではMちゃんもいたのにね」私がそう言うと、Tさんが「Mちゃん、結局ここに戻ってくるそうよ」へっ???「医者と家族と本人と話し合った結果、結局そうなったんだって」なんだなんだ。Mちゃんが「どうしてもこの病院にいたい」と粘ったため、実はそういうことになったらしい。話が二転三転するが、彼女がまた戻ってくるというのは嬉しいという反面、「また問題を起こさないといいが」という懸念、そして自分が「巻き込まれる」ことを避けないといけない、という複雑な思いが頭をかけめぐる。一度自分の中で「訣別」したものが、あっと言う間に目の前に現れる。それはなんだか拍子抜けというか、肩すかしをくらったというか、とにかく今の私の心境は「嬉しい」と「心配」が入り交じっている。

充分睡眠はとったつもりなのに、なんだか気分はすぐれない。朝一番に、上に書いたような複雑な心理が頭を駆けめぐったせいであろうか。朝の散歩も行かず、無理をせずにベッドに横になる。作業療法の時間まで休もう。

メールチェックすると、昨日の晩に「また会う日まで」という件名でMちゃんに出したメールの返事が来ている。早朝に書いたようだ。「歌ってくれてありがとう。これからもオカリナ散歩しようね。」そう書いてある。「また会う日」がこんなに早く来るとは思わなかった。

作業棟で体力トレーニング。最初に心拍数を測定するが、またまたはじめから高い。しばらく休んでからもう一度計るが、やはり高い。どうやら調子が悪いときは、正常時心拍数がかなり高くなるようだ。無理は禁物なので、負荷を低めに設定し、年齢はさばを読まずに入力し、ただし時間は20分といつも通り。有酸素運動は少なくともこれくらい継続してやらないと意味がないからだ。漕いでる途中、Mちゃんが家族と一緒に作業棟にやってきた。「お帰り~」そう言うと、彼女は笑ってまた別の場所に行ってしまった。

病棟に戻ってからしばらく休んで喫煙所に行くと、「今晩Mちゃんの再入院祝いやるから」とTさんが100円ずつ集めてる。S君が午後外出したときにケーキを買ってくるらしい。100円くらい快く出すが、「再入院祝い」という言葉は、とても不思議に感じる。いや、もちろん転院が取りやめになってこの病院に残れた、という意味なので、本人を含め、みんなも喜んでいるのだが、本人にとってそれが本当にベストだったのかは誰もわからない。

昼食後、喫煙所でMちゃんがつぶやく。「また、入院の挨拶するのかな」そう、ここでは連絡会の時に、入院してきた人、退院する人は一言挨拶する。昨日、彼女は泣きながら「皆さん、お世話になりました」そう挨拶したばかりだ。「一週間あいて、とかならまだしもさぁ、昨日の今日だから、どうするのかなぁ。これじゃ出戻りじゃん」Mちゃんは照れくさそうに言う。

私がベッドに寝転がって、昨日買ってきたコンピュータ雑誌を読んでいると、看護婦から「面会の方がいらっしゃいましたよ」と告げる。誰だ?今日誰か来るなんて聞いてないぞ?しかも平日だし。ホールに出ていってみると、両親だった。なんでいきなり来るんだ。外出とか外泊してるかもしれないのに、来るなら来るで連絡くらいしろっつーの。どうやら、父親が仕事の都合で近くに来るから、ついでに病院に寄ってみようと思い、それならとついでに母親もついてきたらしい。病院には昨日までに連絡を取って、13:00に私の主治医とアポを取って、面談をしていたそうだ。全く知らなかった。せっかく来たから、ということで私に会いに来た、ということだ。両親を前にして私の一言目は「来るなら連絡くらいしてよ」だった。

両親、特に父親とは話していて全くおもしろくない。相変わらず「うつ病」について正しく理解しているとは思えない話の内容、そして相手を全く無視したしゃべり方。話題が私の兄の現在の仕事の話になって、それがいかにも自分が手を貸してやったからうまくいってる、というような自慢げな口調で話し続ける。私が話に飽きてきて、全く横を向いてしまい、食べていたプリンの容器のシールをはがしたりして、いかにも興味がないような素振りをしても、全くそれを無視して、とにかく自分の言いたいことだけしゃべり続ける。私が母親と少し会話をしていると、その流れを全く無視し、いきなり会話に割り込んできて別の話をしゃべり続ける。この際だから私ははっきり言ってやった。

「なんで人が興味を持って聞いているかどうかを全く無視して一方的にしゃべるんだ?」

本人は「そんなつもりはない」としか言わない。そう、彼は自分の非を絶対に認めない。
そして、こうも言ってやった。

「自分の子供が4人いて、2人精神科にかかっていて、1人は全く社会に適応できなくて、残りの1人はまるで非常識な性格になった現実を見て、何が原因かわからないのか?」

両親は、「まあ、そりゃ、家庭環境が何か悪かったんだろうけど…」と、一応自覚しているようだ。だが、何がどう悪かったということはさっぱり自覚してないし、それについて調べたり考えたりしようともしていないようだ。兄弟4人が4人とも父親を嫌悪していて、話をするのを嫌がっている、という現実も最近になってようやく気づいたようだ。私はさらに続ける。

「僕はお父さんとお母さんが、仲のいい夫婦に見えたことはなかった。いつもお父さんは自分の非を認めずに、僕らから見たら明らかにお父さんが悪いと思うことも、ぜんぶお母さんに『お前が悪い』と言っていた。そしてお母さんも、いつも『はい、私が悪いんです』で済ましていた。僕の目からは、いつもお父さんがお母さんを虐待しているように見えた」

これには父親は驚いたようだ。子供の目に自分たち両親がどう映っているか、考えたこともなかったようだ。父親は言葉に詰まった。私は続ける。

「だから今どうしてくれ、というものじゃない。昔のことはどうにもできないから。でも、僕は今こうやってお父さんと話しているだけで、ものすごいストレスを感じている」

母親が私に言う。「今、お父さんやお母さんにできることは、何かない?」私はきっぱり言う。「二度とここには来ないでください」

2時間くらいしゃべっただろうか。本当にストレスでぶっとびそうになった。一応、病院の玄関まで両親を見送っていったが、二人から解放されて、やっと一息つけた。信頼できる両親の元で育った人が、心底うらやましいと思う。今から両親に対するトラウマ的感情を何とかしろ、と言われても、今の自分にはどうにもできない。父親の顔を見るだけで生理的な嫌悪感を感じるのだから。

私と同じうつ病で、一つ年上のKさんが、社会復帰に向けて体力をつけるために、これから毎日「1日12キロ歩け」と医者から言われたそうだ。彼はかなり体力が落ちていて、エアロバイクの体力テストでも「10段階中の2。かなり劣る」と出たそうだ。やはり体力は基本なのだろう。私もそのうち同じようなことを言われるのだろうか。私は幸いなことに体力はそんなに落ちてなく、人並みにはある。時速4キロで歩いたとしても、12キロだと3時間。山を登るのに較べれば平地を歩くのなんか楽勝だ、と言いたいところだが、平地の方が精神的につらいかもしれない。山を登っていると、体力的にはきついが、心は癒される。この辺で平地を歩くとなると、どこを歩くのだろう。ここから町の中へ出ていって、適当なところで引き返してくるか、どこか巡回してくるのか。どちらにしろ、「ただ平地を歩く」のを3時間続けるというのは精神的には苦痛かもしれない。だからこそ、社会復帰の訓練になるのかもしれないが。

新しい患者が閉鎖病棟から移ってきた。一見、どこも悪くなさそうに見える。話を聞くと、「風邪薬の飲み過ぎで幻覚が見えるようになった」ため、緊急入院し、閉鎖病棟に3週間いて、状態がよくなったのでこちらに移ってきたらしい。別に死のうとか思って風邪薬を飲んだ訳でなく、本当に風邪をひいて薬を飲んだが、なかなか良くならず、4日間寝込む間に飯も食わずに体が衰弱していくところに、治そうと思って風邪薬だけばんばん飲んだそうだ。こういうパターンもあるんだ。風邪薬だと言ってばかにはできない。そう言えば、風邪薬をビタミン剤だかなんだかと偽ってずっと飲ませ、ついに死に至らしめた事件もあった。閉鎖病棟に3週間で済んだのだから、ここも短期間で出られるだろう。こういう急性の患者にははじめて出くわした。

連絡会で入退院する患者の挨拶。だが、紹介されたのは閉鎖病棟から移ってきた彼だけだった。Mちゃんの転院とりやめは、もうみんなわかってることなので省略されたのだろうか。「せっかく言うこと考えていたのに、挨拶したかったな」Mちゃんはつぶやくが、顔は嬉しそうだ。

19:00から喫煙所でMちゃんの「再入院祝い」。S君が、外出届けを出してないのに散歩時間をごまかして散歩簿に記入し、駅前まで行って買ってきたケーキを出す。Mちゃん感激!と思いきや、うん、感激していた。が、みんなでびっくりさせようと思ってたのに、Tさんが「ケーキ用意してあるから」とつい口を滑らせてしまっていたため、実は知っていたらしい。でも、チョコレートに書かれた「Mちゃんへ」という一言に「じ~んときた」と言っている。昨日のこの時間はまるでお通夜のようだったのに、今はほんわか気分で、みんなでケーキを切りわけて食べる。糖尿病でケーキを食べられないおばあさんも、みんなを羨ましそうに見つつ、その場で一緒に祝っていた。向こうの方では、例の気の早いおじさんが、今日は40分も前から薬を待って並んでいる。

その祝いの席には、いつもペンギンみたいなよちよち歩きで一言もしゃべらず、普段は煙草を吸っては帰って行くだけの、Kちゃんと呼ばれているお爺さんもいた。ヘッドギア3人衆、いや今では2人衆の1人で、入院歴は30年と言われている。いつもお菓子があると食べたがるので、歯がなくても食べられるものならあげていた。いつもKちゃんは何の表情も示さなくて、感情を失っているかのようだ。今日は歯のない口でケーキをもぐもぐやっている。てっきりケーキがあるのが目に入ってやって来たのだと思っていた。

だが、あとからS君から「Kちゃんが、小銭を持ってきて俺に手渡そうとするんだ」と聞いてみんなびっくりした。感情を失っていて、何もわかっていないようなお爺さんだと思っていたのに。「みんなでお金を出し合って買ったから、自分もお金を出さないと」そういうことがちゃんとわかっているのだ。この光景を見てTさんは泣き出してしまったそうだ。必死に「いいよいいよ」とお金を返そうとするS君に、どうしてもKちゃんは小銭を渡そうとするので、Tさんが「じゃあ、Kちゃんの気持ち、もらっておくよ」そう言って小銭を受け取り、看護婦に「Kちゃんのお金ですから」と言って預けたらしい。今回の祝いの席で、みんなが一番感動したのはKちゃんのその心遣いだった。

20:00になった。7粒の眠剤を見るたびに、「自分は大丈夫なのだろうか」不安がよぎるが、それを無理矢理払拭し、明日のために今日は寝る。

現在3:20。起きてきたところだが、不思議とすっきりしている。昨日、「目が覚めたら追加眠剤飲んじゃる!」と誓ったのが功を奏したのか、眠剤の種類を変えたのが効いたのか。とにかく、中途覚醒は2回だけである。はじめは22:30頃目が覚めて、追加眠剤もらわなくちゃ、と思った瞬間眠ってしまった。それだけすぐ寝入ってしまったので、割と深くは眠れていたんじゃないかな。1:00前に目が覚めたときは、速攻で眠剤もらいに行った。結果、3:10まで熟睡。トータルの睡眠時間は6:00と昨日より短いが、今の目覚めはとてもいい。やはり「深く眠る」ということが大切なようだ。これで薬に頼らずに済みたいのだが。

やはり早すぎたか、今日は喫煙室に誰もいない。一番乗りだ。薄明かりの下でこの日記を書いている私のそばに看護婦が来てこう言う。「そんなところでそんなことやってると目が悪くなりますよ。できれば眠れなくても部屋に戻って休んでおいてほしいんですけど」「でも、眠れないのにじっと横になっているの、つらいんですけど」「横になっているだけで、体は休まりますから」この看護婦は割とものわかりのいい人で、あまり反発するのもヤだったので、おとなしく部屋へ戻ることにした。が、布団を頭からすっぽりかぶってこれを書いている。暗くて手元が見えないが、いつのまにか、この小さなキーボードでもブラインドタッチができるようになっている。

5:00前にもう一度ホールに出ていくと、もうたくさんの人がコーヒーの準備をして待っている。どうやら今日は一人だけフライングしてしまったため、注意されたようだ。今日は採血・採尿があるが、5:30と言われてたので、トイレに行きたかったがずっと我慢していた。が、我慢しきれなくなって、5:15頃に「あの~、もう採尿いいですか?」と聞いたら「あ、いいですよ」ということで、やっとすっきり。採尿コップを手渡すと、「じゃ、ついでに採血やっちゃいましょうか」ということで血を抜かれる。昨日も書いたが、ここの看護婦は採血が下手だと聞いてたので覚悟していたが、今朝の担当の看護士Nさんはとても上手で、あっという間に終わった。「Nさんうまいですね~」「吸血鬼だから」「じゃあ女性専門ですね」などと冗談を飛ばす。私の血を見て「お、A型だね」「そんなことまでわかるんですか?」「わかるよ~、ベテランだから」ほんまかいな。後からみんなに聞いたら、「Nさんは採血一番うまいよ。他の看護婦さんがどうしてもうまくできないときは、Nさ~んって呼ぶそうだよ」ということらしい。今日はラッキーだった。

朝のひそひそ話でなぜか疑似?恋愛ごっこ。(あ、「疑似」と「ごっこ」は重複してるか)Mちゃんが、最近閉鎖病棟から移ってきたちょっとかっこいい青年K君に「ねえ、ラブレター書いてもいい?好きになっちゃった」といきなり告白。彼は「あ、いいっすよ」と軽く流してる。でもMちゃんは「でもKさんも好きなの。K君にふられたらKさんにラブレター書いていい?」とKさん本人に聞いている。Kさんも笑って「いいですよ、わたし安全牌で」と返している。まあ、冗談だとは思うが、Mちゃんは昨日の晩、急いで「ラブアディクション」(日本語に訳すと「恋愛依存症」なのかな?)について調べていた。ひょっとして、「マジ」が入っているかもしれない。後でHさんがMちゃんに注意する。「まじで惚れちゃだめだよ。この病院内では」

そう、この病院で看護婦や医者が気をつけていることは、「自殺を防ぐ」だけでなく「患者同士が恋愛関係に陥らないようにする」こともある。これは、自殺願望の患者同士がくっついたりすると、マジでやばいからである。過去にその関係の事件も起きたらしい。だから、患者を観察していてそういう関係になりそうな気配があると、二人の席を離したり、二人での散歩を許可しなかったりする。ここでは「プライバシー」はいろいろな面で制限される。この話は入院経験の豊富なHさんが教えてくれた。

今朝もみんなで散歩に行く。Mちゃんの姿が見えない。少ししてからHさんが来た。「Mちゃん来ないね」というと「K君と二人で海側の丘の方へ行ったみたいだよ」まぢまぢ?「それって、ちょっとやばいんじゃないですか?」私が聞くとHさんはこう答える。「あの二人は、俺が見る限りもう相当やばいよ。でも、あれくらいやばくなると、周りが何を言っても聞かないからね。なるようにしかならないんじゃない?」突き放したようなちょっと冷たい言葉だが、彼も私も自分の病気を治しに来ている。他の患者同士のもめ事や恋愛沙汰に下手に首を突っ込んで、看護婦の言う「巻き込まれる」状態になるのは避けたい。たとえ彼らが本気になろうとも、下手に首を突っ込むと、逆ギレされる可能性もあれば、またリスカに走られる可能性もある。彼女が調べていた「ラブアディクション」が頭をよぎる。彼女は、わざと別の依存症に自らを陥れることによって、今の不安から逃れようとしているのだろうか。

今日は木曜日なので体育館レク。またドッジボールとバレーボールだ。今日は看護実習生も2人加わっている。ドッジボールは2回試合して、2回とも負けてしまった。最初にじゃんけんでチーム分けしたのだが、今日のチーム分けはどう考えても力の差がありすぎた。それを考慮して、後半のバレーボールはドッジボールのチームから力の差を均衡にするように適当にメンバーを入れ替えた。これが功を奏して、3セットマッチで、3セット目までもつれ込む大接戦となった。1セット目はうちのチームが負けたが、2セット目はデュースにもちこみ、19-17でこちらの勝利。3セット目は15-13で惜しくも負けてしまった。が、すがすがしかった。スポーツにしろゲームにしろ、「力の差がだいたい同じレベル」でやるのがおもしろい。そうでないと、一方的な試合や展開になってしまい、どっちも楽しめない。

途中の休憩では体育館の外側の入り口のところにみんな座って、煙草を吸ったりお茶を飲んだり。ここからも海が一望できて眺めはとてもいい。だいぶ涼しくなって、気持ちよい風が吹いていく。Mちゃんもレクに参加していて、私と少し離れたところに座っている。が、腕に生々しい新しい傷跡がある。またやったのか?普通リスカをやる人は包帯などを巻いて隠すと聞くが、彼女は堂々とさらしている。逆にみんなに「私はこれをやるのよ」と見てほしいのだろうか。元リストカッターのTさんは以前Mちゃんにこう言った。「みんなに見てほしいんでしょ。自分が切るところを見てほしいんじゃないの?」

昼食時、自分がじわじわと軽い鬱になっていくのを感じた。実は、外に出る練習として、1週間に1回は外出することにしようと思い、今日の午後から「駅前へ買い物」という目的で外出する届けを出していたのだ。昼飯を食べて、ちょっと一服してからでかけよう、そう思ってたのだが、「これから外出か」と思ったら、急に気が滅入ってきた。腹まで痛くなってきた。今は何とかその小康状態を保ちつつ、これを書きながら、不調を我慢して外出するべきか、無理しないで休むべきか悩んでいる。とりあえず、しばらく休んでから、調子がよくなれば外出することにしよう。

結局1時間ちょっと休んでから、大丈夫そうだったので、外出した。バスで駅まで行き、ドラッグストア、スーパー、衣料品店、100円ショップ、本屋を1時間強かけてまわった。今回はそんなに疲れはしなかったが、なぜかずっと汗をかいていた。暑いからではなく、冷や汗だ。どうしてもリラックスした状態にはなれない。病棟に帰るまで冷や汗は続いていた。最近疲れがあとから出てくる。今はまだ大丈夫だが、これから出てくるかもしれない。ちなみに買ったものは…、と羅列しようと思ったが、めんどくさいので省略。そろそろ早朝や晩は半袖だと肌寒くなってきたので、衣料品店ではカーディガンを買った。カーディガンくらい家に帰れば10枚でも20枚でもあるが、「家に帰る」という行為自体が、ここからは電車を乗り継いで1時間以上かけて行かないといけないので、まだ自分には無理だ。ちなみにこの段落には多少誇張した表現があることを追記しておく。

外出からの帰りのバスでA君にあった。「どこ行ってたの」「職安っすよ」「職安行ってるってことは、もう退院のめどがついてるんだ」「うん、もう退院っすね」彼が言うには、もう精神的には安定しているが、体力、それも持久力がないのが心配だという。一見スポーツマンっぽく見える彼だが、入院する前、半年間は一歩も家から外に出なかったという。今のこの病院での生活は「ぬるま湯」のようであり、少し何かやって、疲れたら休めばいいや、で済むが、社会に戻ると、なかなかそうはいかないのが現実だ。私も社会復帰するときには持久力も充分養ってからでないと危険かもしれない。

どうやら先日退院したA爺さんの入院歴は25年だったそうだ。ここにいる新米のI看護婦が産まれる前からここにいたことになる。四半世紀を過ごした病棟を去るとき、彼はどんな気持ちであったのだろう。

夕食を告げる放送が入り、私が廊下へ出ていくと、みんながざわめいている。S君が私に言う。「Mちゃん退院だって!!!」「えっ、いつ?」「今から、夕御飯食べたら行っちゃうんだって」さらにS君は言う。「他の病院に転院するんだって」なになになになになんだなんだなんだなんだなんでなんでなんでなんで。前から決まっていて本人は黙っていたのか?でも、ついこの間まで「いつになったら退院できるんだろう」と本人は言っていた。しかも、転院ということは、「退院可能なほど病気が回復した」わけではない。何らかの事情で「この病院で入院生活を続けるのは好ましくない」との判断があったはずだ。医者の判断なのか、本人の判断なのか、あるいは家族の判断なのか。それはわからない。今朝、病院内での恋愛沙汰がどうのこうのと書いたが、それに対して病院側が措置を取ったにしては早すぎる。本人には昨日あるいは数日前に告げられて、最後に少しだけ「恋愛ごっこ」をしてみたかっただけかもしれない。本人は「みんな、好きだったよ。ありがとう」としか言わない。真相は誰も知らない。

S君がみんなを集めている。「お別れ会やろうよ」だが急な話なので、たいしたことはできない。色紙もないので、ノートにみんな一言ずつメッセージを書いていく。みんな持ち寄ったお菓子を広げる。「最後に何かやってあげてよ」そう頼まれたので、看護婦さんにオカリナを吹いていいか尋ねたが、病棟内では休んでいる人もいるため、気持ちはわかるけどダメだと言う。オカリナがだめなので、小さな声で「今日の日はさようなら」を歌った。そう「今日の日は」「さようなら」だ。「また会う日まで」またきっと会えるよね。途中からみんな加わって一緒に歌う。みんな口数は少ない。何をどう言っていいかわからない。一番とまどっているのは本人だ。どうやら今日の昼に突然医者から言われたらしい。家族が迎えに来て、1時間くらい医者と面談をし、その後彼女も呼ばれて今でも三者面談をやっている。

20:00になった。7錠の眠剤を飲んで、就寝準備。今日は疲れた。決して調子は悪くなかったのだが、やはり外出して疲れたのと、帰ってきていきなりのニュースである。なんだかんだ言って私も彼女のことをだいぶ気にかけていたので、いきなり去っていくという事実にショックを隠しきれない。どうか転院先でリスカをやらないでほしい。一日も早くよくなってほしいと願っている。