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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2001年9月

う~ん、睡眠のパターンがめちゃくちゃだ。21:00に眠剤をもらって寝たはいいが、やはり何回か夜中に目を覚ます。寝つくのにはいつもより時間がかかったが、これは眠剤を飲むのがいつもより遅いから当然だろう。寝るとき腹が痛かったのも関係あるかもしれない。夜中にやはり寒さを感じたと思ったら、窓が開いていた。と言うか自分が寝る前開けたんだった。寝るときは少し暑かったのだが、夜中になると急激に気温が下がるので困ったものだ。窓を閉め、使用していなかったタオルケットをかぶってもう一度寝る。が、それを含めて3回くらい目が覚めた。寒さを感じてなかったらもう少し続けて眠れていたのかな?結局5:00に起きてホールに出てきた。すでにホールの半分は電気がついていて、喫煙所には大勢の人が集まっている。

体重を量ると、昨日より1キロ近く増えてるが、これくらいは変動して当たり前だろう。トイレで携帯からメールチェックし、コーヒーをいれる。6:00が近くなると喫煙所には誰もいなくなってしまった。みんなフライングして洗面するのだ。今日はいい天気だ。一昨日に引き続き、もう一度自宅に戻らないといけないが、雨だったら憂鬱なところだった。私も洗面を済ます。コーヒーを飲んで顔を洗ったら、かなり頭がすっきりしてきた。今日は調子が良さそうだ。

自分の中で何かが変わり始めている。それを実感している。最近になって、急にコンピュータ関係の雑誌を読み出したのもその兆候だ。もともと好きなジャンルの本とは言え、少し前まではなかなか開くことができなかった。自分の心を癒やす本ばかり求めていた。が、今はそれだけではものたりない。本を読むという作業は、本の内容にもよるが、結構神経を使うことも多い。「癒やし系」の本なら読めるが、コンピュータ関係の本は神経を使うので読めなかった。それが今では読めるようになり、しかも楽しいと感じている。何かが変わり始めている。

朝食後、一人で散歩に行ってオカリナを吹く。自分の好きな曲を何曲か吹いたあと、しばらく即興で適当に吹く。その後は、「竹田の子守歌」をゆっくり優しく吹いて、いきなりテンポアップし、即興でジャズっぽくアレンジして吹いた後、また元の通りゆっくり優しく吹いた。これは一つ「オカリナのレパ」というか「ネタ」ができたような気がする。私が8月に出ることになっていたアマチュア音楽家のコンサートが1月にも出る。1月には出たいと思っているが、その中の一つとしようかな。

外出までの空き時間、外出してからバスの中、そして運良く座れた電車でずっと「続・マーフィーの法則」を読んでいたら、ちょうど降りる駅に着く寸前で読み終えた。久々に読んだが、やっぱおもしろい。この間は何気なくKさんに「理屈で説明つかないことは、これは法則なんだって思えばなんか納得できますよ」と何気なく言ったのだが、読んでみて自分で改めて納得した。Kさんとの会話がなかったらマーフィーの法則なんてずっと忘れていただろうに。不思議なものだ。

電車に乗って自分の家へ。とりあえずP-in Comp@ctとCFカードが入った袋を探すと、ああやっぱり置き忘れていた。全くもう、こんな大事なものを忘れるなんて、以前なら考えられないことだ。やはり少し頭がにぶっているのか。出かける前の「忘れ物チェック」はいつも入念にやっていたのに。それさえあればもう安心。とりあえず家で時間をつぶす。

忘れ物はないな、と思って再び病院へ戻る。家から歩いて駅まで行ってから、「あ、帽子忘れた」そう、かぶってきたお気に入りのJcak Wolfskinの帽子を置き忘れてきた。まあいいや。忘れたといっても自宅にだし、これからはそんなに暑くないだろうから。それにしても、前と同様、また忘れ物をしてしまったこと自体ちょっとショックを受ける。まだ頭のネジがゆるんでいるようだ。

ちょうど電車が来たので、乗ってから定期購読している「山と渓谷」を開こうとする。ちょうど10月号が家に届いていたので、デイバックに入れた、入れた、入れたはずなのに、あれれない。待てよ、10月号と入れ替えようと思って持ってきた9月号をデイパックから出したのは覚えているが、うん、よく考えると10月号を入れた記憶はない。はぁ、また忘れちったよ~。

乗り換え駅に着く。ちょうど昼飯どきだ。何を食べようかな。外食したからにはうまいものを食わなければ。迷った末、「石焼き牛カルビビビンバ」を食す。うむ、うんま~い。これでまた病院の食事がしばらくまずくなってしまう。

昼飯を終えた後、また電車に乗るために歩く。今日は土曜日なので人混みも一昨日以上なのに、不思議とそんなにストレスを感じない。もうヒーリングのCDをかけなくても、騒音に耐えられる。耐えられるつもりでいて、後から疲れが出てくるかもしれないが、以前ならこの時点で疲れが出ていた。今日はかなり大丈夫だ。お気に入りの足裏マッサージの店の前を通ったとき、誘惑に駆られたが「別に疲れてないし」とぐっと我慢。無駄遣いもいけないだろう。しかし、目的の駅まではもう少し人混みの中を歩かなければならない。歩いているうちに、なんか少し疲れが見え隠れし始めた。いかん、そろそろ限界かな。そう思った私の体は、駅への入り口を無視してそのまま駅前のクイックマッサージの店に吸い込まれていった。

クイックマッサージを後にし、電車に乗り込んで座席を確保し、今これを書いている。ストレスが徐々にたまり始めている。すでにヒーリングのCDもかけており、このセンテンスを書き終えたら、しばらく目を閉じて休もう…。

駅についたら、バスの発車時刻まで時間があるので100円ショップをぶらぶらする。巾着袋をいくつか買った。アトピーの薬のストックなど、いくつかコンビニ袋にしまって引き出しに入れてあるのだが、どうも取り出すときにがさがさ音がするのが気にくわないので、布製の袋に入れることにした。探しているうちにあっという間に時間は過ぎ、バスに乗って帰ってきた。

病棟に戻ったが、あまり疲れは感じない。買ってきたり持って帰って来たものを整理する。いったん置いてから、少し休めばいいものを、全部片づけてしまってからでないと気が済まない。この性分をなんとかしないと、と思いつつ動かす手は止まらない。

夕食の放送がいつもより10分近く入った。えらく今日は早いな。土曜日で人が少ないせいか?ふりかけを持っていったら、今日は赤飯だった。「敬老の日だから」と看護婦は言うが、敬老の日だと何で赤飯なのかよくわからん。

シグマリオン2の新機能を発見した。と言うか、プレインストールされているソフトが前機種より増えていて、まだあまりよく見てなかったのだが、「P-in電波状態確認ユーティリティ」というのがあったのだ。P-inは普通のPHSと違って液晶表示がないので、電波が入るのかどうかわからない。それを、こいつの画面上から、通常の携帯やPHSの液晶表示と同じようにアンテナの絵で表示してくれるのだ。なかなかおもしろい。

今日は土曜日なので連絡会もない。外泊も多いので、ホールは閑散としている。毎週土曜日はこんなものだ。早くから卓球をやっている音がするので、私も乱入する。変な癖がついた素人相手にしばらく打ってたら、なんか自分のフォームが少し崩れてしまって、次にS君とやるときになかなか入らなかった。その直前にやったKさんが、ナックル気味の球ばかり返すので、少し持ち上げる癖がその時だけついてしまった。変な癖をもった素人を相手にするときに一番嫌なのがこれだ。自分のフォームまで崩れてしまう。卓球は早々に引き上げて、後は読書をすることにする。

20:30も過ぎた。もう少しやったら終わりにしよう。まだ洗面も済ませてないや。今日はそんなにストレスを感じなかったけど、ちゃんと眠れるかな?

ちくしょう、ぜんぜん寝た気がしない。20:30から5:30までの9時間の間、目を覚まして時計をみるたびに30分くらいしか進んでないし、おまけに夜中にくしゃみが連発して出て、喘息まで出た。これは、昨日寝ようとしたときに、スウェットだと暑かったので、上はTシャツだけで寝たせいだろう。夜中になって冷え込んできて、しかも寝相が悪いので布団はどっかへ行った状態。体がかなり冷えたためにくしゃみと喘息。ありがちなパターンだ。喘息が出たときは寝た状態だと苦しいので、しばらくベッドに座って落ち着くのを待ち、スウェットを改めて着込んだ。そのあとはくしゃみや喘息は落ち着いたものの、浅い眠りですぐに目を覚ます状態は変わりない。昨日のストレスは、こういう結果で出た。

トイレの個室に入って、携帯のi-modeからリモートメールを利用してメールチェック。携帯で読むとうざったいので、差出人とサブジェクトを見て、読む必要のありそうなメールだけ目を通す。1通、返事を出す必要のあるものがあった。i-modeで返事を書くのはめんどうだが、内容は短くてすむので、暇のあるときにゆっくり返事を書こう。

寝ぼけた頭を覚醒させるために、朝一番に濃いめのコーヒーをブラックで飲んだが、まだぼ~っとしている。ラジオ体操&服薬後、朝食までの20分、何か元気の出る音楽でも聴こう。「ACAPPELLA」の「Hymns」にした。聴きながら、昨日持ってきたウェンガーナイフで日経オープンシステムの記事をスクラップしていく。やはり切れ味は抜群だ。こういう単純作業は寝ぼけた頭を覚醒させるのに効果的かもしれない。

朝食後、久しぶりに一人で丘へオカリナを吹きにいく。調子が悪いときは一人で吹きたい。もともと自分のために吹いているのだから。オーディエンスがいると緊張するし、リクエストなどと言って自分の吹きたくないものも吹かなければならない。目を閉じて、頭に浮かんだメロディーを適当に奏でる。

散歩のついでにデイケア棟に寄り、そこのトイレの個室で今朝のメールの返信を書いて出す。「事情により隠し持っている携帯から送信します」という文言で始めたが、彼が公開していた頃の日記を読んでいたとしたら、「どうやって隠し持てたのだろう?」と不思議に思うかもしれない。

病棟に戻って喫煙所に行ったらKさんがいたので、マーフィーの法則を貸してあげた。私は続編の方を読むことにしよう。続編の方が私にはおもしろい。1冊目はアメリカで出版された本を和訳したもので、アメリカの諺をもじったりしたものもあってわかりにくいところがあるけど、続編は本編を受けて日本人が作った法則を収録しているからだ。

「続・マーフィーの法則」を読みながら、ふと心拍数を自分で計ってみた。106だった。やはり調子が悪いときは平常時心拍数が高い。午後になれば回復してくると思うのに、作業療法は午前中しかできないのが残念だ。でも、いい状態の数値だけみて安心するより、悪い状態の数値をみて安心する方がベターだろう。

作業棟へ体力トレーニングへ行く。どうせ今日もはじめから心拍数が高くて調子が悪いから、体力テストをやってもレベル1だろう。そう思いつつ、体力テストのメニューを選んでエアロバイクを漕いだところ、以下のような結果が表示された。
 エラー→5
 エラー→HR0.66%
なんじゃいこりゃ。エアロバイクの取説があったので調べてみると、エラー5とは「体力テストの結果がマイナス値になる」ということで、つまり「6段階中の0未満」てことだ。おいおい、そんなに今の俺には体力がないのか、しゃーねーなぁ。ちなみにHR0.66%というのは、体力テスト中の脈拍検出エラー率で、0.66%ということは、ほぼ正確に心拍数を検出していることなので、不整脈などによる影響ではない。これを漕いでるときは実際にそれだけの体力だったのだ。

少し休んでから、気を取り直してもう一度心拍数を計ってみる。さっきより少し低い。朝は調子が悪いけど、昼に向けてだんだん調子はあがっていくはずだ。もう一度体力テストをやってみると、今度は「6段階中の2。やや劣る」と違う結果が出た。多分、午後にやるとまた違うんだろうな。

調子がよくなったので、昼から読書。というか、新たに会社から送られてきた日経オープンシステムの記事を読む。5回連載の3回目から5回目を読んでから、あらためて1回目を読むのも変な気分だったが、ま、別にいいだろう。

と、名前を呼ばれて目が覚めた。「パラマウント楽な状態(手動)」で読んでいたのだが、いつのまにか眠りこけていた。そんな体勢でも眠ってしまう、というのはやはり睡眠が足りてないのであろう。

入浴を挟んで2回分の記事を読み、続けて日経バイトの特集記事「サーバに不正侵入されたら」を読む。けっこう長い記事で、前半がUNIX編、後半がWindows編だ。やっとUNIX編を読み終えた。日経オープンシステムの記事はアプリ系の話だったが、今度はインフラ系の話だ。私はどちらかと言うと社内ではインフラ系の人間で、UNIXもWindows系もシステム管理はずっとやっていたので、このあたりの記事もとても興味深く読めた。でも、インフラは疲れるんだよね~。なかなか目に見えなくて評価されにくい仕事なんだ。「アプリもやりたい」とずっと主張していたのだが、インフラはシステムに関するテクニカルな知識が必要で、実際にできる人間が限られているため、他の人間にはなかなか振れない、ということでずっとインフラをやっていた。

入院する直前は、現場から離れて「部門における生産性向上」という、部門横断的なテーマを進めていたが、それはそれでやりがいがあった。なんせ、これはインフラからアプリ、特に様々な開発言語に精通していないと全体が見渡せないからだ。自分にはうってつけの仕事だと思って、とても楽しくやっていたのに、病気でストップしたのがとても残念だ。インフラからアプリ開発まで、エンジニアとしての技術力には自信がある。だが、この業界の技術の進歩はとても速い。復職したときに技術的についていけるように、現場から離れてもこの類の雑誌なんかで知識をつけなくては。でも、義務感でやっているわけではない。読んでいておもしろいから読んでいるだけである。根っからのコンピュータ好きなんだな、やっぱ。ところで日経バイトを読んでいると、ときどきアルバイト情報誌と間違えられるのは、いたしかたないことだろう。

なんと、アメリカのテロ事件で私に直接被害が及んでいることが発覚した。私の主治医がアメリカに出張に行っていて、飛行機が飛ばないためまだ帰ってこれないそうなのだ。カウンセリングの件と、眠剤を変えてからの状況などを伝えて今後の治療方針を相談したいので、面談を先週末から依頼していたのだが、「水曜日まで病院には来ません」としか聞いていなかったので、木曜日以降に面談できると思っていた。看護婦さんに状況を聞くと、本人から2回連絡は入ったが、いつ帰ってこれるかはまだわからないとのこと。まあ、そりゃそうだろう。カウンセリングは医師を通じてしか依頼できないが、主治医以外の医師を通じてでもOKなのか聞いてみたら、ちょうど別の医師がいて、「カウンセリングは向く人と向かない人がいて、向かない人はかえって病状を悪化させることもあります。なので、本人の状態を一番把握している主治医でないとカウンセリングの依頼はできません」と説明された。ま、あせらず待つことにしよう。

あいからわず普通の調子で連絡会の司会を務めるが、書いてある通りに読むだけではどうも物足りない。と思いつつ、今日も普通にやってしまった。明日は土曜日なので連絡会は休み。残りは日曜日の1回だけだ。最後くらい何か一発かましてやりたいなぁ。いきなり出だしで「みなさんこんばんは。平成13年9月16日、日曜日の連絡会を終了します」といきなり終わらせてしまう、と言うのを思いついたが、怒られるかな、やっぱ。それよりもこれだけの人数を前にして場が凍りつくと困る。やるなら「マジボケ」したふりをしないといかんな。

夜は3日ぶりに卓球したが、S君はなかなか手強くなってきて、2戦して2敗してしまった。うむ、なかなか見切れないサーブがある。あと、構えに隙がなくなってきて、サーブのときにどこにどういう球を出すかかなり迷う。でも読まれていることもあって、2球目からドライブを打たれることもある。サーブは短いのが鉄則で、長いのは意表を突くときにしか使わないのだが、どうも長いサーブを出してしまう癖がついている。

また腹が痛い。ずっと整腸剤を飲んでいたが、飲んでも下痢が止まらないので出してもらうのをやめた。やめたからと言ってよくなるものでもないのだが。

最近は眠剤が効き出すのが早くなってきて、20:30頃には寝てしまうことが多い。眠剤は効いてきたときに寝ないといけない。そのタイミングを逃すと、もう眠れなくなってしまうからだ。20:30というのはいくらなんでも早いので、21:00に就寝できるように、20:30に飲んでもいいか看護婦に尋ねると、21:00に飲む人が何人かいるので、それにあわせてほしいと言われた。それでもいいや。飲んですぐに横になれば、効いてきたときに眠れる。そもそも21:00でも実際の生活と比べると早いのだから。ということで、今後は21:00に飲むことにした。

ということで、今日は20:00には便通の回数だけ書いて、スウェットに着替えて就寝準備。スウェットも暑いけど冷えて昨日みたいになるのは嫌なので我慢しよう。

さて、明日も外出だ。ところで、本当にP-in Comp@ctとCFカードが家にあるか少し心配。本当はデイバックに入れたけど、何かを取り出す拍子に、それらを入れた袋を落としてしまった可能性もあるからだ。でも、そういうマイナス思考はいけない。そのときはそのときだ。去年読んだカーネギーの名著「道は開ける」に、「最悪の事態を想定し、それに耐える覚悟があらかじめできていれば、何も怖くない」と書いてあったが、そうなのだ。そういえばカーネギーの2冊も何度も繰り返し読みたい本だった。明日持って来よう。ベッドの周りが本だらけになるなぁ。

寝る前までは「自分の内面を磨く」ための本を読むことにする。今は例の「宗教関係」の本を読んでるが、発行されたのが昭和37年と古くて、文体や例えが古いのはいいとして、やはり同じことを何度もいろんな表現で繰り返し書いているのが鬱陶しい。「信者」として読むのでなく、「どういう思想か」ということだけを知りたいだけの私にとっては苦痛なことこの上ない。「要点だけ箇条書きでまとめろ」と言いたくなる。

そろそろ21:00が近づいてきた。眠剤をもらって寝ることにしよう。

昨日はぐっすり、とはいかなかった。20:30には就寝して、2:00頃には目を覚まし、その後何回も目を覚まして、3:00過ぎからは、眠いのに眠れず、結局4:00前にはホールに出てきた。出てきたときは少しぼんやりしてるかな、と思ったが、すぐに頭がすっきりしてきた。

今日は珍しく分裂病のSさんがいる。Sさんは「分裂病」と診断されていながら、ものすごく自分のことを客観的に分析し、理路整然とものを話す。ぜんぜん分裂病には見えず、他の人からもそう言われるという。彼が通っていた開業医からも、「あなたはとても理路整然にものを話す」と言いつつ、診断では「分裂病」だったそうだ。彼は自分が本当に分裂病かどうか悩んでいるが、でも病名なんてどうだっていい、とにかく治ればいいんだ、そう言ってる。本当はどこからどこまでが何の病気か、なんて明確な境界線はない。でも医者は診断書を書くのに、何らかの病名を書かないといけない。理路整然と話はできるとは言え、「幻聴」「妄想」という分裂病特有の症状を示す限り、医者は「分裂病」と書かざるを得ないのだろうか。彼は20年くらい前から症状が出始め、いろいろ薬を試したそうだが、効果はなく、却って副作用の方が大きいので、今では眠剤だけ飲んでるそうだ。

外で雷が光ったと思ったら、雨が降ってきた。やだなあ、今日は外出なのに。ネットの天気予報サイトでチェックすると、今日いっぱいは降水確率10%となっているのだが。昨日の23:00時点の発表だから、6:00になればまたチェックしよう。

朝から外出の準備。今日は8:00には出るので、早めに準備をしよう。パジャマから普段着に着替えて、半袖のパジャマをデイパックに突っ込む。CFカードやP-in Comp@ctも巾着袋につめる。今使っているハンドヘルドPC「シグマリオン」の後継機種「シグマリオン2」がどうしてもほしくなったので、今日買ってくるつもりだ。シグマリオン2、売ってるかな~?すでに在庫切れの可能性が高いなあ。

どうしてもシグマリオン2がほしくなった理由は、今の私はこのマシンを「サブ」ではなく、普通のPC代わりに「メイン」として使っているため、かなりヘビーな使い方をしているからだ。今ではファイルシステムに割り当てたメモリの容量を気にしつつ使いながら、その一方で「メモリが足りません。アプリケーションを終了してください」というように実行時にもメモリ不足が発生する。それに、ときどき「あら、フリーズした?」と思うほど動作が遅いこともあり、本当にフリーズすることもある。

朝食前に体重を測定する。また最低記録更新だ。少しずつ痩せていきつつある。いい痩せ方だと思うので安心だ。腹も以前に比べるとかなりひっこんだ。4年くらい前だろうか。うつ病の前兆とも思える胃痛が始まったときの頃の話。胃腸科の病院に行って、仰向きに横になって触診を受けた後に、医者に「いつもおなかはこんな感じですか?」と聞くので、何かやっぱり悪いところがあったのか、と思いつつ「はい、こんな感じです」と答えると、「腹が…」なに、腹がどうしたんだ。なんだなんだ。「出てますね」なめとんのか、おい。

8:00になるのを待って外出。バスに乗る前から、なんだかしんどくなってきた。大丈夫かいな。バスに乗ってヒーリングのCDをかけ、目を閉じる。皮膚科の診察は9:00からだが、受付は8:30から。8:32に皮膚科に着いたら、すでに先客が4人ほどいた。話に聞くと、地元の人が診察券だけ出してそのままいったん家へ帰り、また来る、ということをしているそうなので、実際にはもっとたくさん先客がいるかもしれない。どうせ薬を出してもらうだけなので、「薬だけでお願いします」と言うと、「2回目なので薬だけ、というのはできません。診察でお願いします」と言われた。1回目も全く診察なんかしてないで、私の言いなりで医者は薬を出したんだけどなあ。ま、そんなことを受付の人に言ってもしかたない。ゆっくり音楽を聴きながら待つことにしよう。あせらずあせらず。

と思ったら10分くらいで呼ばれた。まだ9時前なのに診察を開始しているようだ。良心的な病院だな。医者は2人いて、前回は女性の医者だった。「前回の女性の先生は、まだ来てないのですが、院長先生でもいいですか?」看護婦が聞くが、そんなのどっちでもいいから「はい、いいですよ」と答える。

あらためて医師にいろいろ説明し、薬さえあれば自分はコントロールできる旨を告げる。「普段かゆくなって掻くときも、爪を立てずに指の腹でこすった方がまだましですよ。そういう癖をつけておくと、寝てる間に無意識に掻いてしまうときも、爪を立てずに指でこするようになりますよ」それはいいことを聞いた。やはりいろんな医者にかかると、少しずついいことを教えられる。少しずつ悪いことも教えられている可能性もあるが。

皮膚科を後にし、電車に乗る。うわ、すごい混雑だ。通勤ラッシュか?いやラッシュの時間帯は過ぎている。よく見ると「すごい混雑」というほどでもなく、まあ座席が全部埋まっていて立っている人がたくさんいるだけで、電車としては普通の状態だ。これを「すごい混雑」と一瞬思いこんでしまうほど、やはり自分は人混みにストレスを感じてしまっている。座れないので、吊革につかまり、ヒーリングのCDをかけ、じっと目を閉じたり窓の外を流れていく景色を眺めたりした。景色といっても、街並みが過ぎていくだけで、おもしろくもなんともない。

電車から降りてからがすごかった。電車に乗っているときよりもすさまじい騒音。思わずCDの音量を最大にする。いつも病院内では、普通に聞くときは音量レベル8、寝るときなどにはレベル3で聞いているのだが、ここではレベルを最大の25にしても、それが周りの騒音にかき消される。耳からもこんなに感覚刺激を受けていたのか。すさまじいストレスだ。

何はともあれまずシグマリオン2だ。DoCoMoショップが開くのを待ち、まずそこで携帯を解約し、シグマリオン2の販売価格を聞く。オープン価格なので、とりあえずここDoCoMoショップでの価格が定価と思っていいだろう。54,800円だった。次に、PCショップへ行くと、店頭の携帯電話のコーナーにいきなり「シグマリオン2」とでかでかと書いてある。一言目に「シグマリオン2在庫ありますか?」と聞くと「ありますよ」おお、あったあった。こっちで買った方が安いに違いない、と思いきや、ここでも54,800円だった。発売されて1週間もたってない。まだ値下げしてないのだ。どうせ他の店へ行っても同じだろう。まあ、DoCoMoショップと同じ値段だが、ここで買うと店のポイントがたまる。即決で買った。

ところで、さっき「携帯を解約し」と書いたが、これは別に自分がずっと使っている携帯を解約したわけではない。入院して間もない頃、P-in Comp@ctの接続がたびたび切れるのに業を煮やして、「PHSだと電波が弱くて携帯じゃないとだめだ」と思ったのだが、携帯は取り上げられてしまっていたので使えない。そこで外出したときに、型落ちした一番安い携帯を通信用に買って契約しておいたのだ。そこまでやるか?と思うが、毎日日記をアップすることにしていた私は、通信ができないと非常に困る。それで、入院期間中だけの契約のつもりで買っておいた。

だが今では「PHSでも確実に電波が入るポジション」を発見したので、無用の長物だ。基本料金だけかかるのもばかばかしいので、さっさと解約してしまえ、というわけで解約したのだが、解約後DoCoMoショップのお姉さまは「では、これはお返しします」と言って携帯を返してくれた。どうやら、「機種変更」でなく「解約」では本体は引き取られるわけではないらしい。契約後一定期間内だけの話かもしれない。電話番号は抜かれているので、これは使いものにならない…、と思いきや、意図せずして以前の日記に書いた「ダミーの携帯」が手に入ったことに気づく。これを何食わぬ顔して看護婦に返せば、自分の携帯は手元に残る。それは、外出時にいったん返してもらって今ポケットにあるのだから。充電は、今ではコンビニで携帯用の使い捨て充電器が売っている。しめしめ、だ。

話がそれたが、今はともかくシグマリオン2だ。はやる気持ちを抑えて家路を急ぐ。家に帰ってさっそくセットアップを開始。と言ってもWinCEのセットアップなんて1分くらいで終わる。後はデータの移行。まず旧機とPCを赤外線接続して、ActiveSyncの機能を使ってPocket OutlookのデータをPCに落とし込む。そして、今度は新機とPCを赤外線接続して、同様にしてPCから新機にOutlookのデータを落とし込む。次は旧機のデータファイルをCFカードにバックアップし、新機に差し替えて落とし込む。その他、通信やその他の設定などは、両機を並べて見比べながら行っていく。なんて、なんて楽しい作業なんだ。こんな作業が「ものすごく楽しい」私は、やはり「コンピュータ依存症」の入り口にいるのであろうか。

その合間に、テプラで自分の名前シールを増刷したり、Mちゃんの名前のシールを作ったり(彼女に頼まれた)、改めてこのシグマリオン2に貼る「充電許可取得済み」というシールを作って貼る。マーフィーの法則をかばんに入れる。そうそう、生保の約款も、再度確認したいのでかばんに入れる。そして次は長袖のパジャマ…、あれ、パジャマパジャマ、パジャマでお・じゃ・ま。何を言ってるんだ。長袖のパジャマが見あたらない。しまった冬物だから奥にしまっているか。取り出すのは面倒だが、せっかく半袖のパジャマを持って帰って来たのでなんとか取り出そう、という気は起こらず、どうせもうよれよれだったから、帰りに買って帰ろう。

一通りの作業を終え、再び病院へ戻る。なぜか心が軽い。往路で通った人混みが、復路ではストレスに感じない。騒音もあまり気にならない。家に帰る途中はちょっと疲れたが、それによって少し「慣れ」てきたのか。そして家で「自分の好きなこと」をがんがんやっているうちに、精神的な安定さが増してきたのか。そう言えば、先日読んだばかりの「こころの処方箋」にも、「自分の好きなことをしているときには、エネルギーがいい方向に流れ、案外疲れないものだ」と書いてあった。そういう現象であろうか。ともかく、行くときのどんよりした気持ちはどこへ行ってしまったんだろう。

おっと、危ない危ない。思わず電車を乗り過ごすところだった。電車の中でこの日記を夢中になって書いているうちに、降りる駅に着いたことに、ドアが開く寸前くらいに気がついた。今度は駅ビルでお買い物。

買い物をしていると、まただんだん疲れてきた。いったん調子はよくなったものの、持続はしないようだ。買い物を終えてバスに乗る。だいぶ疲れが出てきたのがわかる。バス停につき、病棟に入り、病室へ帰った瞬間、どっと疲れが吹き出してきた。ああ、やはりまだまだだな。以前はましにはなったかもしれないが、まだまだだ。とにかく今日はゆっくり休もう。

と思ったら、YさんとRさんがでかい声で話している。同じ部屋でHさんが寝ているというのに。これじゃゆっくり休むこともできない。Yさんは、以前私とSさんが喋ってると「うるさい!」と怒鳴ったくせに。私が買ってきたものなどをのろのろと片づけている間もそのお喋りは続いていた。「Hさんが寝ているので、もう少し静かな声で話した方がいいんじゃないですか」私がそっと言うと、Yさんは「あ、すみません」と言って、本当に静かな声で話し出した。注意したらホールに行って会話してくれるかと思ったのだが、寝ている人がいても平気で話し続けるようだ。そもそも私に謝られてもしかたがない。あきらめてホールに行ってたばこを吸う。

16:00の服薬の時間になったので、コップを取りに病室へ戻ると、あきれたことに、今度はHさんが寝ているだけなく、Kさんが勉強しているというのに、2人のおしゃべりは続いていた。何を考えているのか、この2人は。何も考えていないのだろうか。

CDを聴きながらゆっくり休もうか、そう思ったとき、せっかく作ったテプラのシールと、CFカード&P-in Comp@ctを入れた袋を出すのを忘れていたのに気がついた。で、デイパックをあさるが、どうしても見つからない。しまった、家に忘れてきたか?およよ、P-in Comp@ctがなければ通信もできないし、CFカードがなければ、まだインストールしていないアプリケーションを入れられない。う~ん、困った。明日の外出届は出してないし、そもそも昨日の今日は疲れるので、あさってにでも何かの名目をつけて取りに帰ろう。そうだ、通信するなら、こういうときこそ隠し持てることになった携帯が役に立つではないか。は、は、は。P-in Comp@ctに比べて目立つので、見つからないようにしなければ。他の患者にも、だ。特にMちゃんには要注意だ。

あ、だめだ。携帯を使って通信しようと試みたが、こいつと携帯をつなぐケーブルも同じ袋に入れてあったので、やっぱり忘れてる。だみだこりゃ。しかし、携帯があれば、i-modeのリモートメール機能でメールチェックだけはできる。ふっふっふ、いろんな通信手段を持っているというのは便利なことだ。

疲れた頭で生保の約款を読み返す。1回の入院での保険金支払い限度は120日。つまり、4ヶ月を超えると保険金が支払われない。あせっちゃいかんが、お金の問題もそれはそれで心配だ。なんとか入院期間が4ヶ月以内で済めばいいが。その後、再入院した場合は、退院した日より180日経過していないと保険金は支払われないとも書いてある。復帰してから調子が悪くなっても、半年逃げ切ればいいのか、とふと思ったが、退院した後の逃げ道をはじめから考えているようなマイナス思考を自分がしていることに気がつき、これじゃいかんと思う。

Kさんに貸すつもりでもってきた「マーフィーの法則」、貸そうと思ったらKさんが見あたらない。読んだのはまだ学生時代だったか、内容を忘れているので、貸す前に自分で読み返そうと、ぼんやりした頭で読み出す。今読んでもなかなか愉快だ。何でも「こういう法則なんだ」で納得できたら頭の中で丸く収まるかもしれない。

20:00になって、寝ぼけた頭で眠剤を飲み、パジャマ代わりのスウェットに着替える。あ、あついぞ。スウェットはまだ暑かったか。上はTシャツで寝ようかな。今日は神経が疲れたが、それがどう睡眠に影響するか、きちんと観察しよう。

昨日は少し寝付きが悪く、30分くらいかかったかもしれない。22:30頃いったん目が覚めたが、その後は3:00に目が覚め、その後15分おきくらいに目が覚めるパターンに入り、眠りも浅くなってきて、いつも通り4:00にホールに出てきた。そんなに頭はぼ~っとしていない。喫煙所には今日は2人しかいない。TさんとMちゃんだ。Mちゃんは元気がない。昨日は18:00から寝ていたそうだ。2人でずっとぼそぼそ話している。私は13通来ているメールに目を通し、アメリカで大変な事件が起こったことに驚いている。5:00くらいになると人数が増えてきた。昨日入院してきた女性もきた。左手に包帯じゃないけどなにか白い布を巻いている。リスカの跡を隠しているのだろうか。日の出はまだだ。だんだん遅くなる。

6:00になった。起床時間になったのでテレビをつけると、さっそくアメリカの飛行機激突事件をやっている。今日一日はずっとこのニュースだろう。21世紀最初の「世界的な大事件」だ。今世紀の行方を示唆するようで、なんだかそら恐ろしい。「大惨事世界大戦」にならなければよいが。

ラジオ体操前にちょこっと日経コンピュータの短い記事を一つ読む。この手の雑誌は次から次へと来るので、全部は読まずにいくつかの記事をピックアップして目を通し、どんどん捨てていこうと思っていたが、その前に「残しておきたい」記事だけは切り取ってスクラップしていくことにした。それにしても、100円ショップで買ったおもちゃみたいな鋏だとどうも切れ味が悪い。明日家にいったん戻る予定なので、ウェンガーナイフを持って来よう。コーヒー用ミルクの小瓶を買ったときも、プラスチックのキャップを外すと、栓がしてあって困った。そのときは看護婦さんから栓抜きを借りたが、ウェンガーナイフが一つあればたいていのことには困らない。もちろん私が持っているのはサウスポー仕様である。しかし精神科病棟としては、持ち込まれるのが嫌な最も危険な道具の一つだろう。

「捨てる」というのは難しい。「捨てる技術」について説明した本も最近よく出ているそうだが本当に難しい。情報が氾濫している今の世の中、自分が必要なものだけをピックアップして、それ以外のものは片っ端から捨てていかないと、オーバーフローしてしまう。その見極めができないため、「捨てる」ことができずに何もかもがどんどん溜まってくる。「捨てる」というのは、本当に勇気がいる作業だ。本当は私がやり始めたスクラップもあとから全然役に立たないかもしれない。だけど、今は「全部捨てる」勇気がないので、まあ精神安定剤みたいな気持ちでスクラップしている。

環境整備で臓器が、もとい雑巾が出てきたので、身の周りの拭き掃除をする。今日は体調もいいし、ちょっと気合いを入れてやってみようかな。そう思ったのがまずかったのか、私の「やめられない止まらない」病が出てきてしまった。ベッドの隅の小さな埃や汚れがえらく気に入って、もとい気になって、「どんな汚れも見逃すまい」という感じで徹底的に拭き始める。

そのとき、ベッドについている、とある装置を発見してしまった。そう、ここのベッドは「パラマウント楽なベッド(手動)」だったのだ。その装置(と言ってもレバーだが)をぐるぐる回すと、おうおう頭の部分がぐい~んと持ち上がる。もう一つのレバーをぐるぐる回すと足のところがぐい~んと持ち上がる。しまった、こんな機能がついてるなんて知らなかった。これからおおいに活用しよう。と思いつつ、ふと持ち上がったベッドの下を見てしまったのが運のつき。「ほこりです。ほこりです。ほこりほこり、ほこりなんです」うお~、埃の大群だ。狂ったように拭き始める。あ~ん、いつまでたっても終わらないよう。まだ埃がある。まだ汚れがある。まだある。まだある。まだまだある。本当に「やめられない止まらない」これがいい面で出ればいいのだが、悪い面で出ると最悪なのだ。うつ病になった原因も、こういう性格が関係しているのかもしれない。

なまじっか学生時代に清掃のバイトを2週間くらいやった経験が活きて、細かいところの汚れの落とし方までわかっているため、普通なら途中であきらめられるところも、あきらめられずに徹底的にやってしまう。学生時代は家庭教師のバイトもやったが、他にも短期や単発でいろいろなバイトをやった。サークルの行きつけになっていたカレー屋でずっとバイトしていたのはいい経験になった。他にも引越とか配送センターでの仕分けなど、いろいろやった。その頃の経験は、少しずつ活かせることだろう。

結局、40分かけて拭き掃除を終えた。いや、終えたというより、「疲れ切ってやめてしまった」という方が正しい。そう、この「疲れ切るまでやってしまう」のがダメなのだ。全くもう。自分でわかっているのに、自分のエネルギーを使い果たすまでとことんやってしまうのだ。その結果がいい方にでることもあるが、もちろん悪い方に出ることも多々ある。

掃除で思い出したが、清水義範のエッセイでこういうのがあった。「筆者が子供の頃、新しい洗剤が発売されたというので買ってきて、それで電球を拭いたらものすごくピカピカになって、みんな喜んだ。でも、筆者はそのときふと、『これはつまり、新しい汚れが発明されたのだ』と思ったそうだ。つまり、電球はだんだん汚れていくが、それまでの洗剤で拭いてもどうしても落ちないものは、汚れというより、そう、年代を経て出てくる渋みみたいなもの、と思っていたのが、新しい洗剤の登場によって、そういうものは全て『汚れ』と認識されるようになってしまった」というものだ。新しいものがどんどん発明、開発される今日この頃、同時に新しい「汚れ」もどんどん生産されているかもしれない。

「日経オープンシステム」の「実践!セキュアなWebプログラミング」という連載記事を読もうとすると、第1回と第2回の分を掲載した号が手元にない。会社の人にメールして、コピーを送ってもらうようにお願いし、とりあえず第3回から読み始める。セキュリティに関しては私もかなり関心を持っていて、秋にも試験を受けるが、「試験勉強」としてやろうとすると、どうしても身構えてしまうので、こういう雑誌の連載記事なんかで、おもしろく読みながら情報収集したり知識を獲得していく方が近道かもしれない。

昼食前に、看護実習生が企画した「ボーリング大会」の説明があった。館内放送から説明まで、全部実習生がやっていた。とても緊張しているようだ。ボーリングと言っても、ボーリング場にいくわけでなく、この病棟のホールで、1.5Lのペットボトルをピンにして、何かのボールにを使ってやるそうだ。何のボールかは知らないが、ピン球でないことだけは確かだろう。残念だが開催日の明日は、私は外出なので参加できない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の記事を2回分読んだ。う~ん、おもしろい。セキュリティ対策をどうプログラムに組み込んだらよいか、丁寧に解説してある。ASPやJAVAのサンプルコードも載っていて、それを追いかけて解析するのも楽しい。他人の書いたプログラムを読んで解析するのが楽しい、という感覚がなければ、この業界の変化の速さに対応し、ついていくのは無理だろう。もうすぐ風呂の順番が回ってくるけど、それまでにもう1回分読めるかな?

ホールへ出ていくと、貿易センタービルに1機目の飛行機が激突した瞬間の映像がテレビで流れていた。テロリストのやり方にもほどがある。いきなり民間人を何百人も巻き添えにして死に至らしめるなんて、何を考えているのだろう。テロリストの根底にあるものはなんなのだろうか。そういう「攻撃的な性格をはらんだ排他的な思想」も、私が嫌悪する「排他的な宗教」と何ら変わりはない。精神的な病気を抱えた人間なんて、ぜんぜんまともだよ。彼らの方がよっぽど狂っている。

入浴後、テレビを見ていると株価も1万円を割っている。おいおい、経済もめちゃくちゃだよ。これから先どうなるんだろう。うちの会社でも安否が確認されていない人がいる。社内も混乱しているに違いない。「世界」という「地域社会」の中で、「一部のテロリスト」という「問題児」を社会全体がどう扱うのだろうか。バスジャックをした少年のように、精神鑑定を受けたり法によって裁かれたり、ということを行うためには、「世界」を包み込むメタレベルの「立法」「行政」「司法」が必要だろう。今は国連がそれを担っているのか。それにしても、こんなに大変なことが起こっているのに、何もできない自分が悔しい。「うつ病なんかで入院している場合じゃない!」そう思ってもどうしようもない。

「実践!セキュアなWebプログラミング」の最終回を読んだ。目から鱗である。こんなセキュリティホールがあるのか、むちゃむちゃやばいではないか。しかもクラックするサンプルコードまでご丁寧についている。この記事を読んですぐに対策を施す企業はいいのだが、そうでない場合はとてもやばい。悪意のある読者がこれを読めば、すぐにクラッカーになれてしまうからだ。こういう記事の危険性を改めて感じる。テレビでもよくスリや泥棒の手口を示してその対策方法を紹介していたりするが、あれも「悪事の手口を公開する」という危険性をはらんでいる点では同じだろう。しかし、スリや泥棒なら被害を受けるのはせいぜい数人から数十人程度だが、インターネットにおいてセキュリティホールをクラッカーに攻撃された場合、その被害者の人数は計り知れない。ところで、新しく発見したベッドの機能を使って座椅子に座っているような体勢でこれらの記事を読んでみたところ、「パラマウント楽(手動)」だったことを申し添えておく。

夕方、リラックス体操を行う。最近は自分で少し改良を加えた。この体操は「体を伸ばしながら、伸びている部分に意識を集中」して、それに慣れると瞑想状態に入るそうなのだが、どうしても私はやりながらいろんなことを考えてしまう癖があり、なかなか意識を集中できない。それで、自律訓練法で「右手が重た~い、右手が重た~い」という自己暗示をかけるのと同様に、たとえば左足が伸びてるときは「左足が伸びてる。左足が伸びてる」と心の中で繰り返すことにした。雑念は完璧には追い払えないが、前よりも意識が伸びている部分に集中できている気がする。続けていくと、効果が現れるかもしれない。

日経バイトの記事をふむふむと読んだあと、連絡会の司会を務める。今のところは標準語で通しているが、はたして最終日の日曜日はどうしようかな。まあ、それは追いといて、昼間は自分の好きな、というか仕事にも関係あるコンピュータ関係の本を読んだので、夜は「心」に関する書物を読もう。例の宗教関係の本を読み進める。まあ、いいことは書いてあるのだが、あいかわらず「神」の存在をことさら強調する理由がわからない。また、何度も何度も同じことを違う言い回しで書いていて、とても冗長に思える。う~ん、これがマインドコントロールの技の一つなのか?

夜、喫煙所でまたACの話。最近この手の話題が多い。中年女性のKさんは自分のことを喋り出すと止まらないが、しゃべることが一つの精神安定剤になっているのだろうし、経験談や自分の主治医に言われたことなど、参考になることもあるので、じっと耳を傾ける。その中の「私は昔から理屈っぽかった。でも、世の中『理屈じゃない』こともたくさんあることがやっとわかってきたの」という言葉に「私も理屈っぽいけど、理屈じゃ割り切れないことは、これは『法則』だと思うようにしてますよ」と私が言うと、「なるほど」と納得してくれた。「『マーフィーの法則』なんかおもしろいですよ」「それ知らない」ということなので、明日家に帰ったときに、「マーフィーの法則」を取ってくることにした。自分でも改めて読み返したい。

20:00になって眠剤を飲む。やっと明日は主治医が病院に来るが、果たして外出予定の私とスケジュールがあうかな?まあ、気長に行こう。

昨日もよく眠れた。20:00に眠剤を飲んだ後は、日記の推敲をしてすぐに就寝し、3:00頃までは眠っていた。その後は何回も目が覚めたので、5時前くらいにホールへ出ていくと、もうかなりの人数が喫煙所で喋っている。昨日入ってきたおばさん、すごい大声でしゃべっている。いや、大声じゃなくて普通の声なのだが、まだ夜なのでみんなひそひそ喋っているのに、自分一人普通の声で喋っている。たまりかねて看護婦が注意に来た。

OさんやTさんが、看護士のNさんからショックなことを言われた経験を話す。だから二人はNさんに好印象を持ってない。私はNさんはいい人だと思っていたので、話を聞いて「そんなこと言う人だったのか」という反面、Nさんが自分に重なって見える。本人は悪気はないのだろう。むしろ、冗談で言ったことが、自分の思惑とは違って相手を傷つけてしまっていた、そういうことは誰にでもあるだろう。本当の善人とか本当の悪人なんて存在しない。Oさんにそう言うと、でも彼女は彼のその一言で彼を嫌いになってしまったらしい。もっと寛大な心を持てればいいのだが、心の病気で入院している彼女にその余裕はない。

いったん部屋へ戻ってもう少し休み、再びホールへ出ていて目覚めのコーヒーをいれて飲む。Tさんが泣いている。「せっかく仲良くなったのに、お別れなんて」どうやら、昨日入ったおばさんと同室で仲良くなれたのに、そのおばさんはもう別の病棟に移るのか、と思いきや、やはり同室のおばあさんのいびきがうるさいため、別の部屋に移るだけらしい。それだけでわんわん泣くなんて、やっぱり繊細な人なんだ。

台風が来ている。今も外は雨風が強く、これから暴風雨圏内に入ってきそうだ。今日1日がヤマだろう。外出予定の木曜日の天気が気になる。この台風はもう行ってしまっているのでそれは大丈夫だろうが、次の台風が来ているという。ただの雨だったらいいけど、台風はやだなあ。プロトレックで現在の気圧を見ると983ヘクトパスカル。やはりかなり低い。プロトレックは気圧の推移をグラフ表示してくれるが、昨夜から今朝にかけて急下降している。

はじめて「意見箱」に投書してみた。ここには、病院や医師、看護婦に対する意見や苦情などを入れる意見箱が設置してあるのだ。もちろん匿名である。私が書いた内容は、ここの看護婦は、環境を改善しようと思って患者が提案することをに耳を貸してくれない、というものである。例として、私が他人の洗濯物を濡らしてしまったときに「洗濯機が空であることを確認してからコインを入れてください」という貼り紙をしてはどうか、という提案をしたのに無視されたこと、それから、薬を待つ行列がいつも長いが、それは看護婦が患者に薬を渡すときに、その患者の薬を探し出すのに時間がかかってるからで、はじめから五十音順に並べておけばいいのに、という二つをあげた。さあ、何か反応があるか、変化があるか楽しみだ。意見箱は毎週一回、婦長がチェックするそうだ。それにしても雨風の音が激しい。本格的に台風が襲ってきた。

作業棟にチャリ漕ぎに行く準備をして、その前に一服しようと思って喫煙所に出てきた。と、いきなり電気もテレビも消えた。停電だ。あらら~、こりゃだめだ。作業棟のエアロバイクも電源が入らないと使えないな~。いくつかの電灯はついていて、その直後にナースステーションの電気はついた。これらは非常電源で通電するようになっているようだ。と思っていたら、5分くらいしてから停電は復旧して電気がついた。よかった、これでチャリ漕ぎもできる、と思いきや「玄関の前や廊下がかなり水浸しになっていて危ないので、みなさん病棟から出ないでください」とのお達し。「作業棟へ行くのも無理ですか?」と尋ねると「作業棟へも行かないでください」だとさ。「本日の外出・外泊もすべて中止します」との放送が入った。まあ、こういう日もあるさ。おてんとさまには逆らえない。「急に暇になっちゃったなあ。本でも読むか。晴耕雨読だよね」と言うと、「お、プラス思考ですね」と言われた。うん、プラス思考に考えられる癖がだんだんついてきている。いい傾向だ。

その後、「ただ今の停電は、地域の故障により電力会社で切った停電で、また停電があるかもしれないのでご了承ください」との館内放送が入った。続けて「外来診療も中止します」との放送。通院患者もこの台風じゃ大変だろうに。でも、やっとの思いで来たのに「休診です」と言われた人は、さぞかしかわいそうに。

自分のベッドで本でも読もうと「こころの処方箋」を広げるが、隣のベッドでHさんと、別室のEさんがぺちゃくちゃ話をしていて集中できない。耳栓をするが、こんなに隣でしゃべられていては効き目がない。すぐ隣のベッドで本を読んでいる人がいる、ということに気がついてないのかな。まあ、私も以前に同じようなことをやってしまったので、ここはひとまず退散し、耳栓をつけたままホールに行く。

ホールの自分の席に座って本を読むが、やはりホールもいろんな人がしゃべったりしてるので、集中できない。と思ったらまた停電だ。やはり電力会社が切ったのか。暗いので、もう読書どころではないなあと思ったら、風呂場の入り口の所の非常灯がついている。しかも南側に窓があり、かなり明るい。そこへ行ってしばらく本を読む。うん、なかなか快適だ。お先真っ暗と思っていても、探せば灯りはあるもんだ。

本を読んでいると、なんだかホールがあわただしい。この病棟は古いので、海側の部屋やホールの窓を閉めていても、たてつけが悪く、すきまから雨が吹き込んできているのだ。みんな大慌てで、看護婦や患者、看護実習生も総出で、窓の隙間にタオルや新聞紙をつめたりする。バケツを持ってきて、タオルをつたって浸みてきた水が溜まるようにする。こういう非常時に人を観察しているとおもしろい。やたらうろうろしているけど、実は何もしていない人。「昼御飯ちゃんと来るのかなあ」とただ食事の心配をしている人。ああしろこうしろとうるさいが自分は何もしない人(こういう人も必要だと思うが)。そして作業を手伝いながらそれとなくマンウォッチングをしてる人。自分のことだが。

今度の停電は長い。どうしたのであろうか。機械の故障を修理しているのだろうか。もう1時間半くらい続いている。今回も電力会社が切ったのだと思うが、いつになると復旧するのだろう。私はホールの浸水対策が一段落してから、また風呂場の入り口の場所でしばらく本を読んでいたが、みんなが喫煙所に集まってラジオで台風情報を聞いているようなので、そこに行ってみた。だが、電池が弱いのかラジオの出力が弱いのか、よく聞き取れない。そこで私が自分のラジオを持って来てスイッチを入れると、結構大きな音が出たのでしばらくそれを聞くが、台風によって影響の出ている交通機関の情報は放送しているのに、なかなか台風自体の情報が流れない。と思ったら通常のニュースに移ってしまったので、ラジオは切ってしまった。

昼食はちゃんと運ばれてきた。よかったよかった。ここは1階ではないので、厨房から病棟までは何とか運べても、その後はエレベータで運ぶ。その食事運搬用のエレベータは非常電源では動かなかったらしいが、どうやって運んだのかな。人力かな。何にせよ、「食事」は重要なので、そこも非常電源で動けばいいのにねえ、何とかならないのかしら。私でなく、婦長の言葉である。別に急にオカマになったわけではない。

14:00頃、ホールに行ってみる。まだ停電は続いている。ちょうど病院の自警団(?)ぽい人が何人か来て、婦長さんと一緒に雨漏りのする窓などをチェックしていた。ついでなので「いつまで停電が続くのか、病院側から電力会社に問い合わせたりしたのでしょうか」と聞いてみたら「この停電は電力会社が切ったものではなく、病院側が非常電源にすべて切り替え、病棟を一つずつチェックしながら通常電源に切り替えている」ということらしい。うちの病棟は端っこだから復旧が遅かったのかな。「もう復旧作業に入りますから」それを聞いて安心した。人間、なにか辛いこととかしんどいことがあっても、それが「いつまで続く」ということがわかっていれば、案外不安は感じないものだが、「いつまで続くかわからない」場合は極端に不安が増す。軍隊の行進も、「いつまで歩くか知らされていないとものすごく疲れるが、あと1時間などとわかると元気が出てくる」そうだ。山登りなんかは、自分で地図を見ながら現在地を確認しながら登っているので、そういう不安は一切感じない。

戒厳令が解除された。と言うと大袈裟だが、病棟から外に出てもいいというお達しが出た。ただ、まだ外は雨が降っているし、売店も営業してないという。「自販機くらいは使えると思いますよ」そう言う看護婦さんの言葉を信じて自販機へ行くと、「停電なので使えませ~ん」という売店のおばちゃんのお言葉。「全館停電なの。病棟で説明されなかった?」おいおい、説明されてないぞ。私が個人的に聞いてやっと知ったくらいだ。それに、どうもさっきは説明を聞き間違えたようで、まだ病院内はどこも復旧してないようだ。全部のチェックが終わってから復旧されるらしい。やれやれ。まだ雨は降っている。夕方にはあがるだろう。その頃には停電も復旧しているだろうから、自販機で飲み物を買って、どこかでオカリナでも吹こう。ちなみにさっきの「自警団」のような人達は、病院の管理職らしい。それで婦長が「この有様を見てください」と強調してたのか。

15:00にシャワーを浴びようとしたとき、全館放送が入った。「停電の復旧は16:00頃になる見込みです」まだそんなにかかるのか。お湯も出ないかもと思ったら、案の定…あらら出た出た。はて、やっぱガスで沸かしてるのかな。だが、シャワーの水圧が異常に低く、ちょろちょろとしか出ない。ここは非常電源で動いていて、その電圧が低いのかな。

入浴後の私の楽しみの一つが最近増えた。それは「綿棒」である。そう、あの、うどんを作るときにころころ転がす…、そりゃ「麺棒」やっちゅうねん。いやいや、一人ボケつっこみはおいといて、元々耳掻きの好きな私、普段もしょっちゅう愛用している金属製の耳掻きを突っ込んでは耳血を出していたりするが、お風呂上がりは特にこの「綿棒」が気持ちいい。右の耳に突っ込んでそのままぐりぐりやってると、あまりの気持ちよさにそのまま左の耳から出てきそうになる。耳の話で思い出したが、よく女性が「男の人に話しかけても、片方の耳から入って片方の耳へ抜けてしまう」という言い回しをすることがある。これはけっこう知られているが、それに対する男性の反論というのはあまり知られていないようだ。「女の人に話しかけると、両方の耳から入って口に抜けてしまう」というものなのだが。

16:00過ぎ、そろそろ復旧する頃だと思っているところに、また全館放送。「停電の復旧は16:40頃になる見込みです」おいおい、また延びるのか。まあここは文句を言わずに、復旧する方も全力でやっているのだろうから、見えないところで頑張っている人達に「頑張って」とエールを送ることにしよう。ただ、病棟から外に出られるのが17:00までなので、それまでに自販機に行って飲料を買いたいなあ、そう言うとKさんが「売店は営業再開してるよ。でも、レジが使えないから手書きでやってて、店内には2人までしか入れないらしいけど」お、それはいいこと聞いた。さっそく売店に行くと、もう閉まりかけていた。「まだやってますか?」と聞くと「暗くて周りが見えないから、もう閉めるところだよ」「ジュース一本だけ買いたいんですけど」「ああいいよ」てなわけで滑り込みセーフでゲットできた。

夕方、雨があがったのでグランドへ言って、久々に歌を歌った。Tちゃんに借りたカシューナッツ、ではなくて歌集を持ち出すのは、Mちゃんの転院騒動の際に「今日の日はさようなら」を歌ったとき以来だ。グランドで一人で歌っていると、一人の若者が近くに寄ってきて、歌い終わると「お上手ですね」と誉めてくれた。「ええ、一応合唱団に入ってるので」と言ってから、続けて「今日はすごかったですねえ」「ええ、一日停電していましたねえ」というような会話の後、「どちらの病棟ですか」と聞いたところ「あ、私は作業療法士の実習に来てるんですよ」とのこと。この病院にはよく実習生がくるもんだ。でも、今日はどの病棟も外出禁止だったので、作業棟には誰も行っていないはず。「今日は実習にならなかったでしょう」と聞くと、「ええ、一日中暇でした」そりゃそうだろう。聞けばちょっと離れた県の大学から2ヶ月間の実習に来ていて、今は病院内の施設に寝泊まりしているらしい。そこから朝の8:30頃に作業棟へ来るだけで、びしょびしょになってしまったとか。まあ、そりゃそうだわな。そういうときこそゴアテックスのレインウェアが役に立つのだが、そんなもの普通の人は持ってないか。

「こころの処方箋」を読み終えた。うん、とてもおもしろかった。谷川俊太郎の解説もよかった。これは「こころの病」を持っている人でなくても、誰にでも薦めたい良書だ。自分にとって「これはためになる」という箇所には赤線を引いて、赤線を引いた章は目次に丸をつけておいた。読み返したい本の一つになったが、全部を読み返す暇がなくても、この部分だけは読み返そう。ところで読んでいる途中で気がついたが、以前書いた、宗教関係の本を薦めてくれた(送ってきたのはその家族が勝手に、であるが)知り合いの医者が、もう一冊お薦めしたい本がある、と書いていたその本があったのだが、それがまさにこの本だった。まったくの偶然で、私は外出したときに立ち寄った本屋でたまたま見つけたので買っておいたのだが、その医者には「お薦めいただいた本、買って読んでみました。とてもいい本をご紹介いただき、ありがとうございました」と返事を出しておこう。

それにしても、入院生活は暇かと思っていたら、とても忙しい。まだまだ読みたい本が山積みになっている。アダルト・チルドレン関係の本や会社から送られてきたコンピュータ関係の雑誌が多数。コンピュータ関係の雑誌は「読まなければ」という義務感でなくて、自分が好きで読んでるものなので、暇があったら読みたいのだが、今まではなかなか暇がないか、あっても調子が悪くて寝ていた。今日は調子がよくて暇だったので、日経コンピュータの記事にも目を通せたし、「こころの処方箋」も読み終えることができた。そうそう、例の宗教関係の本も、一通りは目を通してみようかな。まだ半分くらいで止まっている。それはそうと、10月に情報処理技術者試験があるので、その勉強をしようと思っていたのに、それも全く進んでいない。これからはそれを優先させよう。もちろん、自分の心の問題を解決させ、自分を変えるための活動や読書などの方が優先だが、それだけをやらなければいけない、ということもないだろう。この業界は進歩が激しい。勉強は私がスムーズに社会復帰、というより今の職場に復帰するためには欠かせない。これを利用して、普通に働いている人よりもたくさん勉強して試験に受かってやる。見てろよ~、だてに休んでるわけじゃぁないんだ。

夜はまた卓球。最近また夜の卓球ができるようになって嬉しい。みんなもレベルがあがってきて、白熱した試合が繰り広げられる。最後には看護士のIさんまで混じってた。おかげで、「これくらいにしておこう」と思っていったん汗を拭いてシャツを取り替えたのに、せっかくIさんが出てきたので一戦交えて、また汗をかいてしまった。もう遅いから、シャツは取り替えずに、体が冷めたらパジャマに着替えよう。

20:00になって就寝前の服薬。アトピーの薬も忘れずに飲む。実は、つい昨日までずっと飲むのを忘れていたのだ。普段は自分で意識して飲んでいて、アトピーの薬を飲み忘れるなんてことはなかったのに、ここに入って「薬の時間ですよ~」と言われてから薬を手渡されて飲むようになって、「自分で薬を飲まないといけない」という意識が薄くなってしまったような気がする。これも広義では一つの「マインド・コントロール」に入るのではないだろうか。な~んちって、そんなたいそうなものではないか。でも、「他人が決めたスケジュールにしたがって行動」していくと、主体性がなくなっていくのは確かのようだ。他のことに関しても、そうならないように、常に主体性を持って行動しなくては。とか考えつつ、そろそろ体も冷めてきたのでパジャマに着替えるかな。それにしても、今日は読書もできたし好きな雑誌も読めたし歌も歌えたし卓球で汗も流せたし、とてもバランスの取れた充実した一日だった。台風さまさまかもしれない。