眠剤を変えた効果だろうか。随分よく眠れたような気がする。21:00の消灯後、4:00前に目が覚めるまで、1回か2回、目が覚めただろうか覚えてない。1回くらい目が覚めて時間を確認した覚えはあるが、よく覚えていない。それだけよく眠れていたのだろう。
ホールへ出ていくと、TさんとIさんしかいない。全館の冷房が9月5日で切れてしまったため、窓を開けていたら今度は少し寒い。Iさんは鼻をすすっている。Tさんは自分と同じ病院からここを紹介されてきたのだが、そこの先生について「突き放したようなものの言い方するよね」と意見が一致。Tさんは何度もぶっ倒れて点滴をうけたが、そのうち「点滴依存症」にもなりかけたそうだ。それがないと不安だ、それがないと正常な自分を保てない、「それ」に該当するものは、どんなものだってありうる。
話しているとあくびが出てきた。充分睡眠をとったつもりだったが、まだ眠気が残っているのか?そう思ってもう一度病室に戻り、横になる。
朝食後もなんだかだるい。「眠い」のでなく「だるい」のだ。肌寒いので長袖を着てベッドに横になる。と、S君が「いっこく堂のビデオ見てもいいですか」と聞いてきたので一緒に見る。いっこく堂は本当にすごいと思う。今までの腹話術界では「絶対に無理」と言われていた口唇破裂音「バ行、パ行、マ行」を、口を動かさずに発音するのだから。いっこく堂は、「不可能」にあえて挑戦し、5年かけて独自の方法でそれを腹話術で発音する技術を会得したという。「不可能」に挑戦するという勇気は賞賛に値するだろう。単なる一劇団員から、「腹話術師」への転向。そして、それで食べていくための、まさに自分の人生をかけ、自分を追い込んでの努力の積み重ね。それは並大抵の努力ではなかったはずだ。
しばらくビデオを見ていると、いつも無表情でテレビを見ているP君がテレビのあたりをうろちょろしていた。と思ったら、ホール中のいすを動かしてぎいぎい音を立てだした。彼もまた一言も喋らない人だ。我々は、テレビを見たいことを彼がアピールしているのだと判断し、ビデオを止めてその場を去った。P君はその後だまってテレビを見ていた。
今日はずっとだらだらしている。元々土日は何の予定はないので暇なのだが、外出、外泊している人も多く、閑散としている。私もベッドでだらだら本を読む。
昼過ぎもだらだら。S君がいない。聞くところによると、急に外出したそうだ。外出届は一日前に出さないといけない。緊急で外出するときには医者、それも主治医の許可が必要だ。今日は土曜日なので当直しかいない。よく外出許可が出たものだ。よっぽど急な用事だったのか、と思っていたら、Tさんが「別に用事なんかないよ。急に外へ出たくなっただけよ」そう言っている。「看護婦には嘘をついて届けを出したのよ。帰ってきたら、なんて嘘をついたのか聞いてやろ」本当なのだろうか。
カラオケの音が聞こえている。ああ、CDを聞きながら少し寝ていたら、もうカラオケの時間になっている。S君もいないし、Eさんもいないし、今日は人が少ないなと思っていたら、2人の声が交代で聞こえてくる。2人でやってるのかな?ちょっと参加してこようかなぁ。でも、今日は別の病棟から新しめのディスクは借りてきてないしなあ。
ちょいとホールへ出て行ってみた。なんだ、4人くらいはいるじゃないか。他の病棟からディスクも借りてきているじゃないか。とりあえず、オフコースの「さよなら」を歌わせてもらう。順番待ちまで煙草を吸おうと喫煙所に行くとMちゃんが一人で座っている。元気なさそうだ。「元気、なさそうだね」「うん」、「いつも部屋では何してるの」「泣いてるか寝てる」そんなものなのか。他に気を紛らわすものはないのだろうか。「またやっちゃった」絆創膏が彼女の腕に貼られている。「部屋でやったの」「うん」彼女はまだまだ落ち着いていない。ここへ戻ってきた昨日はずっと元気に見えた。が、一晩寝たらもうこれだ。やはり大丈夫なのだろうか。心配はつきない。一曲歌ったが、だるいのでまた病室へ戻ってきた。夕方になったら散歩にでも行ってオカリナを吹こう。そう思いながら、CDを聞きながらまた横になる。
夕食前だというのに、外出から帰ってきたS君が喫煙所のテーブルに買ってきたお菓子を広げている。最近ここへのチェックが厳しいので、こっそり広げているが、そこまでしなくても、もうすぐ夕食だから連絡会の後にでもすりゃいいのに。あ、今日は土曜日だから連絡会はないや。それはともかく、最近チェックが厳しい。この間までは、喫煙所のテーブルに私物を置きっぱなしにしないでください、くらいだったのに、今は「ここでものを食べないでください」「人に食べ物をあげないでください」もうるさい。まるで動物園の「餌をあげないでください」みたいだ。「アルコール依存症や糖尿病で、食べたくても食べられない人もいるので、お菓子をみんなの前で広げたりすることはダメ」ということらしい。なので、昨日のMちゃんの再入院祝いも、看護婦の体制が薄くなる時間を狙い、看護婦の目を盗んでこっそりやった。なんかだんだん窮屈になってくる。
ずっと借りっぱなしだった本「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の続きを読み始める。「現在うつ病などの治療中で現在の状態が安定していない人は、次を読み進めるのを待ってください」と書いてある。「大きな感情の揺れを伴うので」そう説明があるが、勇気を出して読み進めていった。
「読む」というより「原家族ワーク」という、自分が育った家族「原家族」がいったいどんな家族だったのか、どんな問題があったのか、「機能不全家族」なのか、それを探るために自分の子供の頃の記憶を呼び覚ます「作業」は、とてもつらかった。途中でとても気が滅入ってきて、泣きそうになった。この章の最初に書いてある「原家族ワークに入る前の3つの約束」の一つ「つらくなった無理をしない」にしたがって中断した。自分でも、こんなに昔のことが、次から次へと出てくることに、とても驚いていた。自覚していないトラウマをたくさん抱え込んでいたんではないのか。そう感じた。
自分が思って書き出したこと、それを添え、うちの家族に当てはまる部分にマーキングをして、家に送ろうかと思った。だけど、そうすべきか迷っている。まだ判断するべき時期ではないだろう。それはともかく、「書き出したことは必ず誰かとわかちあってください」とある。いったい誰と分かち合えばいいのだろうか。
気分転換に喫煙所に行って「あの本読んでたら、すごい気が滅入ってきたよ」そう言う。病院の売店にたくさん並んでいる本なので、みんな知ってるのだ。「あの、読んじゃいけないってとこ読んだの」「うん、読むっていうか、自分の子供の頃の記憶をひもといていく作業をやってるとさ、あんなこともあった、こんなこともあったって、何年も忘れていたようなことが次から次へと頭に浮かんできて、それ書いてるたびにだんだん気が滅入ってきてさ」そういう会話をしていると、今日はずっと元気がない無表情のMちゃんがすっと立ち上がって去っていった。彼女の心の傷に何か触れてしまったかもしれない。Yさんは、「読んじゃだめってとこは適当に流して読んじゃったよ。今さら過去がどうのこうの言ってもしょうがないじゃない」確かにそれはそうで、そのことはその本にもちゃんと書いてある。じゃあ、これから僕たちはどうしたらいいんだろう、それはその本の続編にある、と書いてあった。だから、今はつらくとも、時間をかけても、この一冊目を読んでいこう。それはそうとして、急に腹が痛くなってきてトイレに駆け込む。精神的な動揺は体にすぐ現れる。
喫煙所に煙草を吸いに行って、おなかが痛いという話をしたら、何回トイレに行ったかという話題になって、私が「Yさんいつも次の日の分まで書いてますね」と言うと「よく気がついたね。誰が言うだろうと思ってた」と言ってのける。彼は「快食快便」を豪語していて、常に安定しているため、書き忘れをしないように次の日の分を書いているそうだ。「看護婦に言われるかと思ったんだけど、看護婦は言わないんだよ」う~ん、あの表はちゃんとチェックしてるのか?いや、まあチェックしているのだろうけど、彼の場合は次の日の分を書いていても、毎日数字が1なので、特に問題視してなかっただけだろう。それにしてもまたおなかが痛くなってきた。記入した後にまたトイレにいった場合、どうすればいいんだろう?次の日に繰り越すのかな。