筒井康隆「誰にもわかるハイデガー」読了。ハイデガーの「存在と時間」という本を、超ざっくりと解説するという内容。原著はめちゃくちゃ難解で、例えばこんな感じなんですね、と引用が出てくるのだが読んでも何を書いているかさっぱりわからない。
現存在は、他の存在者のあいだで出来(しゅったい)するにすぎない一つの存在者ではない。現存在が存在的に際立っているのは、むしろ、この存在者にはおのれの存在においてこの存在自身へとかかわりゆくということが問題であることによってなのである。だが、そうだとすれば、現存在のこうした存在機構には、現存在がおのれの存在においてこの存在へと態度をとる或る存在関係をもっているということ、このことが属している。しかもこのことは、これはこれで、現存在が、なんらかの仕方で表立っておのれの存在においておのれを了解しているということにほかならない。この存在者に固有なのは、おのれの存在とともに、またおのれの存在をつうじて、この存在がおのれ自身に開示されているということである。存在了解内容はそれ自身現存在の一つの存在規定性なのである。現存在が存在的に際立っているということは、現存在が存在論的に存在しているということによる。
こういうのを、一般の人を前にして講演会で噛み砕いて解説した内容を書き起こしたのがこの本。それでもちょっと難しい。筒井康隆自身も解説していながら「ここのところはちょっと僕もよくわからないんですけど」とか言ってたりする。とにかく「存在と時間」という本は難解らしい。読んでてまあ言いたいことはわかるけど「で?」ということが多い。結局哲学ってのは死の恐怖を克服するために出てくるものなのか。逃げてはいかんとな。死から目を背けるのは頽落(堕落)だと。人はやがて来る死を受け入れることによって良心的になる。本当かなあ。