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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

久々にデイケアに参加した。と言っても、最後に少し顔を出してミーティングと掃除をしただけだ。その後3週間ぶりにカウンセリングがあった。

昨日は「明日こそデイケアに行くぞ」と気合を入れて寝た。そして今日はまた朝5時頃起きて、そのときも「今日こそデイケアに行くぞ」と気合を入れていた。にもかかわらず、また横になってしまって、また寝てしまって、そしてまた夜が明けると動けなかったのはなぜだろうか。「今日も無理なのか」「どうしようもないなあ」そんなことを考えつつ、目覚めたら昼だった。12時半頃、なんとかトイレに立った。そしてそのとき「今なら動けるかも」という感覚を覚え、急いでしたくして外に出た。行ってしまえばこっちのものだ。なんとか病院までたどり着いてみせる。そう思って病院まで行った。行くだけでばてばてだった。

カウンセリングでは、日記をつけ始めたこと、それを自分で読み返してみて、動けない、デイケアに行けない日にはいくつかのパターンがあることに気付いたこと、彼女からの電話でスイッチが切り替わったように行ける日があったこと、思い切って一日休みにすると次の日に行けたこと、そんなことをとりとめもなく話した。

カウンセラーと自分との間で禅問答のようなやり取りが行われる。自分の心探しが始まる。毎度のことながら、かなり消耗する。これは自分にとってかなりきつい。カウンセラーから直接指摘されたこともあったが、自分で導き出した一つのキーワード、それは今まで何度も出てきたが、やはり「焦り」ということ。

今は「デイケアに行く」というのはmustではなくbetter、つまり会社と違って「行かなければならない」ものではなく「行った方がよい」レベルのものであるのに、行けないことに執着してしまい、悪循環に陥っている。

思い切って「今日は休み」と決めて休んだら次の日行けたこと、彼女から電話がかかってきて話したら気持ちが切り替わったこと、これを成功例とし、それを自分の持ち札として選択する、それでダメなら「今日は行かない」という選択をすればいいだけ。「日記には『行けなかった』でなく、『行かなかった』と書いてください」そんなことを言われた。

それにしても、そのカウンセリングの後、自宅まで1時間以上かけて戻るのはきつかった。


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