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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は20:30に眠剤をもらって、その後「道は開ける」を少し読んだ後、21:00前には寝た。寝付きはよかった。途中目を覚ますと3:30だった。連続睡眠時間の最高記録かもしれない。その後もう一度寝て目を覚ますと、もう5:00前だった。気がつくと、冷えないようにと履いていた靴下が一足脱げている。なんでだろう、無意識に片方だけ脱いだのかな、と思いつつ足もとを探すがない。なぜか枕元にあった。自分でも???である。とりあえず靴下を履いてトレーナーを羽織り、ホールに出てくる。ホールは窓が多く、喫煙所はその隅にあるので、この時間帯はとても冷える。9月でこんなに冷えるんだったら、冬になったらどうなるんだろう?

主婦のIさんと話をした。昨日Iさんの、3歳か4歳くらいの娘さんが来ていて、私が「お子さんですか?」と尋ねたときに、その子が「こんにちはー!」と初対面の私に元気よく挨拶した、ということがあった。それで「明るくていい娘さんですね」と言ったら「ああなったのは最近なんですよ」と今までにあったことを話してくれた。

Iさんはアルコール依存症で、子供が2歳半の頃まで殴る蹴るの児童虐待を繰り返していたらしい。それを自分でもやめようと思って公共の相談所に相談したそうだ。ある日、子供がジュースをこぼしたときに、いつもなら怒っていたところを、怒らずに「ふきんで拭く?ティッシュで拭く?」と聞いてみると、子供は不思議そうな顔をして「じゃあ、ティッシュで拭く」と言って拭いた後、「ママ、怒らないの?」と聞いてきたらしい。その子はそれまで自分の感情を抑圧して生きてきたのだった。そのうち「ママ、あのときはどうして怒ったの?」と子供は自分が怒られたことに対して一つ一つ聞いてくるようになり、それが3ヶ月くらい続いたそうだ。「ママは変わったらしい」そう感じても、子供は用心深く、すぐには信用しない。その後、その子は一度赤ちゃん返りを起こし、はいはいをしたり「ママ、おっぱい」と言って吸いついてきたり、自分の人生をはじめからやりなおしたそうだ。それと同時にIさん自身も虐待をしないように相談を続け、虐待をしないようになっていた。そして今のように明るい子供に変わったそうだ。「娘と一緒に成長してます」Iさんは笑っていた。この子供はあやうくACになるところだった。救いだったのは、彼女の夫がおっとりしていて、ワーカホリックでもなかったことだと言う。父親が家庭をかえりみなかったり、母親を責めたりすると、そのツケはますます子供にまわってきてしまう。「小学2年生前だから、やり直しは大丈夫ですよ」相談員が言ったそうだ。「小学2年生」というのは一つの分かれ目らしく、それを過ぎると子供は自分を変えたくない、そう思うようになるらしい。

最近は子供の育て方がわからない親が増えてると言う。親がアルコール依存症でなくとも、子供を虐待したり親が不仲だったりすると子供はACになってしまう。と言って過剰な愛情をそそぎ込んでもACになってしまう。難しいものだ。

う~ん、なんだか熱っぽい。今日は友達と遊びに行く予定なのに。この病院の近くの公園へ来てバーベキューをやる予定なのだ。全部で7人も集まるし、遠くからはるばる来てくれる人もいる。なんでこんなときに限って風邪をひくのだろう。それにしても、一昨日から風邪薬を飲んでうがいもして養生しているというのに、なんで治らないのか。鼻水まで出てきやがったコンチクショウ。ここでぬるま湯のような生活を送っていると、却って抵抗力が落ちてしまっているような気がする。しばらく元気が出そうな明るいCDを聞いて休むことにする。念のため、使い捨てマスクを一枚看護婦にお願いしてもらった。市販のものとだいぶ形が違う。いかにも「病院用」という感じだけど、まあいいか。

8:20頃、看護婦に体温計を借りて熱を計ってみる。げ、36.9℃。ちとやばい。う~ん、でも看護婦の話だと、花もきれいでとてもいい公園らしいし、遠くから大勢来てくれるし、出ていかないわけにはいかない。幸いにも病院から近い。調子が悪くなったら、みんなには悪いけど途中で帰ることにして、とりあえず行くことにしよう。11:00頃に車で迎えに来てくれるので、それまでは体を休めよう。

9:00前に自販機に飲料を買いに行き、そのままオカリナを吹きに海の見える丘に行った。先客がいたので山の方へまわってグランドで吹いた。外の方が、風は多少あるものの日が照っていて暖かい。この格好だとかえって暑いくらいだ。そこでコンサートで吹く曲を通して練習する。ただ曲を練習するだけでなく、聴衆の前で緊張しないで吹けるようにも練習しておかなくてはならない。考えてみれば、私はコンサートに本当に「ソロ」で出るのははじめてなのだ。生えている草たちを聴取に見立てて、その前で演奏してみる。「聴衆がいる」と思っただけで緊張してきた。これを続けていけば、緊張しないで演奏できるようになるかな?逆に本番のときに、聴衆を草だと思って吹ければいつも通りの演奏ができるかもしれない。聴いてくれている人にはちょっと失礼かもしれないが。

熱を下げるために、朝からじゃんじゃん水を飲みまくる。そのため30分おきくらいにトイレにいっている。散歩から戻ってきたらイソジンでうがいもする。念のためイソジンとコップも外出時に持っていこう。出発まで時間がある。「道は開ける」を読み進めることにしよう。

N氏が病院に着いたことを知らせる電話を受け、出発した。今日はN夫妻はもうすぐ3歳になる息子さんを連れてきていた。公園の入り口で電車で来た他のメンバーと待ち合わせ、公園を歩いていった。残念ながら一人は来る途中で気分が悪くなって帰ってしまったそうだ。

かなり広い公園で、とても整備されていてきれいだった。朝とはうってかわってとてもいい天気で、長袖のシャツを脱いで半袖のTシャツ一枚になっても暑かった。早朝との気温差がかなりある。それにしても子供は元気いっぱいだ。一瞬たりとも目を離していられない。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、何にでも興味津々という感じだ。我々はときどきなので、こうやって一緒になって遊んであげられるが、親は毎日のことなので、さぞかしくたびれるに違いない。これくらいの子供は、会う度にその成長ぶりに驚かされる。物理的に大きくなったというだけでなく、いつの間にか語彙も増えていろんなことをしゃべるし、アルファベットまで読めるようになっていることに驚嘆した。まだ3歳にもならないのに。

昼はレストランのバーベキューのコースをあらかじめ予約してあって、久々にうまい肉を堪能した。ところでバーベキューと焼き肉の違いがいまいちわからんが、外でやると「バーベキュー」と言うのだろうか。飲み放題だったが、私はビールを最初に一口だけ飲んで、あとはウーロン茶を3杯飲んだ。暑いのでウーロン茶も何杯でもいける。

公園は大勢の人でにぎわっていた。3連休の最後で天気もいいせいだろう。だが、私にはその人混みはストレスになった。みんなと一緒に遊んだり、豊かな自然を目にするのはストレス発散になるのだが、まあ「ふたつよいことさてないものよ」ということだろう。

コスモス畑があるというので、そろそろ咲いている頃かな、とみんな楽しみにしていたが、遠くから見たコスモス畑はほんのちょっとしか咲いてなかった。一分か二分咲きというところか。みんな「え~、残念」と言っていて、私も最初はそう思った。

が、近づいてよく見ると、咲いている花はちゃんとある。そしてそれはとても美しい。一つ一つの花は色も形も微妙に違って、それぞれ楽しめる。そして、これら一本一本の花は、すべてそれぞれが生きている。他の花が咲いてないからこそ、自分をじっくり見てもらえるのだ。満開だったら、この一本にはみんなさほど注目しないだろう。

そして思った。「満開を期待していたら、この状況はがっかりかもしれないが、一本でも咲いていたらラッキーと思っていたのなら、この状況はとても嬉しいはずだ」そう、いつでも満開を期待すると、満開以外の状態はすべて「残念」な結果に終わる。同じ状況でもこころがけ一つでずいぶん違うはずだ。そう思った。これからは「満開」を期待せずに行こう。何事においても。

ずいぶん広い公園で、昼食を挟んで端から端まで歩いただけで、かなり時間がかかった。電車組とは解散し、私は車で病院に送ってもらった。N夫妻は帰り際、またコーヒーとミルク、それにハウスミカンを差し入れてくれた。本当にいい人たちだ。

病棟に戻ると、疲れがどっと出てきて、夕方の服薬後から夕食まで爆睡していた。暑い中を結構歩いたという肉体的な疲労と、かなりの人混みの中を歩いたという精神的な疲労両方あったようだ。

夜になっても結構暑い。半袖のTシャツでもいいくらいだ。夜中から朝方にかけてまた冷えるんだろうな。特にこの病室は窓が北向きなので寒くなる。今日からはカーテンを閉めて寝ることにしよう。


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