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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は21:00前にもう眠気がきた。これは入院してはじめてだ。このチャンスにベッドに潜りこみ、眠りに入る。目が覚めると0:30。相変わらずこのくらいの時間に目が覚める。でもまた眠れそうだったのでそのまま寝る。今度は2:00過ぎに目が覚め、また眠れるかな、と思って寝ようとしたが、今度は眠れない。2:45に追加眠剤をもらって飲んだところ、ようやく眠れて4:45起床。少し頭がぼんやりしているが、「どうでっか?」「まあ、ぼちぼちでんな」というところだ。

暖かいものが飲みたいのでコーヒーを入れようとしたら、ポットに水を入れたばかりでまだ沸いてない。Tさんがポットの前でお湯が沸くのを待っていたので、隣に座って同じく待つ。その間Tさんと話をした。彼女は今は鬱と拒食症だが、過食のときの癖で、ものを食べるとすぐに吐いてしまい、ほとんど病院の食事を食べてない。カロリーメイトの缶やウィダー・イン・ゼリーなどの流動栄養食で栄養分を補っているが、体力がとても落ちているそうで、すぐに立ちくらみが起こるらしい。リストカットはもう何回もやって、病院に入ってもやったらしいが、その前は自殺未遂も2回したという。大量に薬を飲む、いわゆるODというやつである。本当に死のうとしてやったらしい。「でも、睡眠薬じゃ何百錠も飲まないと死なないんだよ」と、「完全自殺マニュアル」が発売されて話題になった頃に興味本位で読んだときの知識でしゃべると、「うん、だから完全自殺マニュアルに書いてある、死にやすい薬を飲むの」とこたえた。びっくりした。私は学生時代に興味本位で読んだだけだったが、本当に「自殺の手段を知るため」に読んで実行する人が、やはりいたのだ。病院では薬は服用ごとに一回分を手渡され、看護婦の目に見えるところで飲まなくてはならないので、ODをやる心配はない。「でも退院したらまたやっちゃうかも」そう言うので「じゃあ、病院みたいに薬を親に預かってもらって、飲むときだけ渡してもらったら?」そう言うと、「自分で買いに行っちゃうの」そこまでやってしまうものなのか。私は自殺未遂は、発作的に歩道橋から飛び降りようとしたことがあるくらいで、基本的に自殺願望はないので、そこまでして死にたい、という人の気持ちはやっぱりわからない。同じ鬱でも、自分より悪化した人の心理は自分でもわからないのだから、うつ病でない人にとって、うつ病を理解するのはやはり難しいだろう。

起床時間になり、洗面所にいくと、またTさんがいて、ドライヤーを使っていた。「それ、自分のドライヤー?」「そうだよ」「それは取り上げられないの?」「うん、首はつらないから」自殺願望でも、どんな方法でもいいから自殺したいというわけではないらしい。首を吊る人の場合は、電気コードのついたドライヤーをはじめ、ひも類は全部取り上げられる。

テレビで天気予報をやっている。いや、NHKだから「気象情報」だ。民放は「天気予報」と言ってるが、NHKは何年か前からか「気象情報」と言っている。なんだか言い逃れっぽいニュアンスを感じる。台風が上陸しそうだ。火曜から水曜にかけてが危ない。やだなあ、買い物くらい行きたかったのに、三段式のよれよれの折りたたみ傘しか持ってきてない。台風のときは外へ出なければいいが、普通の雨のときでも三段式の折りたたみでは、ちょっと風がふくとすぐに曲がってしまうし、小さいので必ず肩が濡れてしまう。外泊時にちゃんとした傘を取ってこようかと思ったが、退院時に持って帰るのも面倒だ。駅前の100円ショップに、割と使えそうなちゃんとした傘が売ってるらしいので、それを買って使い捨てにでもするか。それはともかく、縦走に行っている仲間が心配だ。

今日は晴れているのでお洗濯。ここの洗濯機は100円を入れて、ふたをしめてスイッチを押すとまず30秒間浴槽を洗浄し、その後タイマーが動き出して、そこで洗濯物と洗剤を入れる。だが今日、私は大失敗をしてしまった。浴槽の洗浄が終わってふたを開けたら、なんと他の人の洗濯物が入っていたのだ。洗濯が終わって取りに来てなかったらしい。あちゃ~やっちゃったと言う私の隣にいたKさんが、「あ~やっちゃたね」と言って、一緒にしぼるのを手伝ってくれた。Kさんも同じことをやったことがあるらしい。シャツやズボンからして、どうもP君の洗濯物らしい。P君に謝って、ちゃんとしぼったから、と言うと「うん」答えた。彼とはほとんどしゃべったことはない。彼は何の病気か知らないが、いつも無表情で、ほとんど誰とも会話をしないのだ。

朝食後、7:30になるのを待っていつもの丘に行ってオカリナを吹く。今日はいい天気で日差しがきついが、風が吹いているので気持ちがいい。洗濯が終了していたので中庭に干しに行く。今日はよく乾くだろう。

さっき洗濯で迷惑をかけてしまったP君が畳のところに座ってぼ~っとしている。看護婦さんが「P君、大丈夫?元気?」と聞いても全く動かず何も答えない。だが、私が「P君大丈夫かい?」と話しかけた瞬間、走って逃げて行ってしまった。彼に嫌われてしまったのか、ひどく精神状態を乱してしまったのだろうか。

私は看護婦に一部始終を話し、相談した。「私はP君の病気は知らないけど、私はP君にどう接すればいいのでしょうか」看護婦さんは、「話はわかりました。普通にしてくれていていいです」と言ってくれた。だが気になる。私自身、他の人が気にしないようなことが気になったりするたちであり、病気でもあるので、彼に対してもどう接すればいいのか非常に悩むのだが、本当に「普通にして」いていいのだろうか。

昨日、私が仕事がうまくいかなくてストレスを溜めていったことを書いたが、実はちょうどその頃、趣味でもストレスを抱えていた。所属していた合唱団の練習がつまらなかったのである。指揮者の指導方法に疑問を抱いていたのだ。練習中の注意が発声に関する指摘ばかりで、それもその頃私が個人レッスンを受けていたボイストレーナーとのやり方と反するものだった。誉めるということもしない。叱られてばかりだった。歌い手が楽しく歌えるような練習ではなく、歌い手の音楽性を向上させるような練習でもない。練習中はひたすら苦痛だった。練習後にみんなで食事に行っておしゃべりするのが楽しみで、それだけのために練習に行っていたようなものだ。

だが、私がヴォーカルアンサンブル活動を始め、アメリカのプロのヴォーカルアンサンブルグループを講師に招いて2泊3日で実施された講習会に参加したりしているうちに、こちらの方がだんぜん面白いと思い、私はその合唱団をやめた。やめたこと自体は別にかまわないと思ったが、やめ方がまずかった。仕事で正月も実家に帰れず、仕事のストレスでうつ病の前兆が起こりはじめ、すでにおかしくなりかけていた私は、合唱団のメンバーに「今の練習なんてぜんぜんおもしろくない。指揮者がだめだ。ヴォーカルアンサンブルは楽しいので、そっちだけにするよ」という内容のメールを送ってしまった。わざわざそんなこと言わずに静かにやめればいいのに、そのために私は合唱団の仲間からものすごく反感を買ってしまい、その結果たくさんの友人を失った。未だにその合唱団の演奏会を聴きに行って、終演後にロビーにいても、みんな私を無視する。自分のまいた種だから仕方がないが、精神的に参っていたとはいて、やってはやらないことをやってしまった。思えば、仲間にずいぶんと不快な思いをさせてしまっただろう、という自責の念は未だに強く、あんなに仲良く遊んでいた友達を裏切ってしまった自分が許せない。あの過ちは二度と繰り返してはいけない。これもまた自分で自分を許せないできごとの一つである。

昼飯を食べたらなんだか眠くなってしまった。昼に寝ると夜眠れなくなるので、できるだけ眠らないようにしようと思っているが、30分くらいの昼寝をするのはかえってよい、と聞く。しばしベッドに横になる。そのままうとうとして、気がつけば13:45。毎週土日は13:30から15:00までカラオケタイムなので、やってるかと思ってホールに行ったがやっていない。今日はなしなのかな、と思い部屋に戻って「山と渓谷」を読む。今月の特集は「e-登山」読んでみると、私も知らなかったソフトとかあって結構便利そうだ。私はデジタルムービーは持ってるがデジカメは持ってない。昔から写真を撮るという習慣がないので持ってないのだ。デジタルムービーは、自分がクライミングをやっているところを撮ってもらって、後から自分で見て研究するために買った。だが、今ではすっかり山行のお供となり、毎回の山行で写した映像からピックアップして、山岳会のHPにアップしている。最近のDVは小さくてとても便利だ。私は山に登るとき、大きめのウェストポーチを愛用しているが、その中にすっぽり収まる。機種はキヤノンのIXY DV。どの機種にしようかお店で迷ったとき、機能的にはどのメーカーのも同じようだったので「世界最小再軽量」ということで選んだ。山に持って行くには少しでも小さいほうがよい。

GPSも以前は誤差が大きくて山ではあまり使いものにならなかったが、2000年5月の米国防総省のSA解除で誤差が10メートル前後となり、かなり精度があがったので、持っているとかなり役に立ちそうだ。だが、GPSに頼った登山はおもしろくない。やはり自分で地図を読んでルートファインディングするところにおもしろみがある。でも、いざという時のために持っておくのも悪くはないかもしれない。最悪の場合、無線機とGPSさえ持っていれば、遭難しても無線で現在地の経度と緯度を伝えることによって、迅速な救助を得られるのではないか。

14:30頃ホールに行くと、今ごろカラオケの準備をしている。いつも仕切役の二人が二人とも寝ていたのだ。時間は15:00までなので30分しかないが、看護婦さんのはからいで15:30までさせてもらった。

その後、16:00の服薬を待って、いつもの丘へ歌を歌いに行く。歌集を1から順番にせめるのはやめて、ぱらぱらと見て気にいった曲を歌った。40分くらい歌って、ついでに洗濯物を取り込んで帰ってきたら、けっこう足が蚊にさされていた。

ところで今日の昼に「カラオケやってるかな?」と思ってホールに行ったときに、やってなくて、じゃあ煙草でも一服しようか、と思ったときに、喫煙所に誰もいなかったので、吸わずに戻ってきた。ここに来て煙草の本数が増えてしまったなあと思っていて、それは暇だから、と思っていたのだが、それだけでなく、そこで仲間と「おしゃべり」ができるからだということに気づいた。煙草を吸わない人は、別にどこに集まるというわけでもないが、吸う人は自然と喫煙所に集まってくる。そしてそこに一つのコミュニティが生まれる。その「仲間意識」ができていたのだ。私は煙草を吸いたいという理由だけでなく、そのコミュニティに加わるために喫煙所に行っているのだ、ということに気づいた。基本的には私は寂しがりやなのだろう。

夜、高校時代の部活仲間のIが面会に来てくれた。近くに住んでながら実はなかなか会う機会がなく、会ったのは去年の忘年会以来だった。彼も私と同じく最近山を歩いていて、山の話を含めていろいろな話題で盛り上がった。小さな観用植物を持ってきてくれた。「観用植物を一つ持って行こうと思っているけど、根っこのある植物は『根付く』と言ってお見舞いには適さないと奥さんに言われた。お前はそういうこと気にするか?」とわざわざ事前に連絡をくれていたのだが、そんなこと一向に気にしないのでお言葉に甘えた。Tちゃんが持ってきてくれた花がそろそろしおれてきた頃なので、入れ替わりにちょうどいい。やはり緑がそばにあると心がなごむ。

2日風呂に入ってないので頭がかゆい。20:00の服薬後、洗面所で頭を洗う。ちゃんとお湯も出る。どうせ長い入院になるだろうと思って、入院前にばっさり切ってきたので洗うのはとても楽だ。ドライヤーを使わなくてもすぐに乾く。でも、さすがに2週間を過ぎたので少し伸びてきたかな。

着替えて洗面して、いつものパターン。これから消灯まで本日最後のおしゃべりを楽しむことにしよう。


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