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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

自殺未遂の記録(補足2)

2013年4月3日

自殺未遂の記録
自殺未遂の記録(補足1)

の続きである。今度は私が自殺未遂をするまでの記録をもう少し詳しく書くことにする。

最初の記録では、自分がおかしくなって手が出そうになったとき、「妻は実家に避難した」と書いたのだが、実は妻が家出をしたのはこのときがはじめてではない。

その前にも、自分がおかしくなってキレたとき、妻も怒って家出をし、実家に帰ってしまったことがあった。家出と言っても、妻の実家までは徒歩10分くらいである。私は妻が出て行ってから我に返り、急に「どうしよう、どうしよう」と慌てふためき、ちょっとしてから妻に「帰ってきて」と電話した。

妻は母親にいきさつを説明して泣いていたらしい。妻が私に告白した内容は、妻の家族すら知らないことだったのだが、そのときはじめて話したそうだった。しばらく実家にいるつもりだった妻は、あっさりと「帰ってきて」と言われて拍子抜けしたらしい。そして妻は帰ってきて、私はまたしても妻に土下座して謝った。妻のプチ家出は1時間も経たずに終わった。

しかし、自分がおかしくなってキレるのはだんだんエスカレートしていった。そしてある夜、また自分がおかしくなりそうなのを感じて、今度はやばい、手が出るかもしれない、と思った。そして妻に「逃げて」と言った。自分から「手が出るかもしれないから逃げて」と言ったのだ。いつでも出ていけるように準備していた妻は、すぐに出て行った。そして自分はうずくまって自分の感情を必死に押し殺し、そのまま夜が明けた。

翌日、一人ぼっちになった自分は、昼過ぎに「寂しい。どうしたらいい?」とメールした。妻からは「わからない。でもまた同じことを繰り返すだけだと思う」との返事が来た。その時点で自分の思考は極めて異常な状態であった。「じゃあ、俺が死ぬしかないんだね」と返事をした。脅かすためでもなく、慌てさせるためでもなく、本気でそう書いた。

自殺ってのは発作的にするようなイメージがあったが、そんな感じではなかった。自分の中では極めて冷静に、いや大まじめに、と言ったほうがいいだろうか、どうやって死のうか考えた。そこで、余っている薬を全部いったん皿にあけ、「下手に砕いたりしたら、全部飲む前に中途半端に意識を失うかもしれないから、そのまま一気に飲んだ方が確実だろう」などと極めて冷静に考えていた。

そして、「そうそう遺書を書かなきゃ」と思ってレポート用紙を一枚取り、極めて冷静に遺書を書いた。「極めて冷静に」そのようなことをしてしまう、鬱の恐ろしさ。そして何のためらいもなく、大量の薬を口に流し込んだ。自分の記憶は薬を飲んでいる途中までしかない。

最初の記録にも書いたが、大量に薬をのんだあと、自分では覚えてないのだが、妻に電話して「これが最後の電話になると思う」と言ったらしい。

これが自殺未遂に至るまでの経緯である。

ここから先のことは、また改めて記すことにし、本稿はここまでにしておく。

自殺未遂の記録
自殺未遂の記録(補足1)
自殺未遂の記録(補足2)
自殺未遂の記録(補足3)