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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

自殺未遂の記録

2012年11月13日

自殺未遂をした。

まさか自分が、まさかの自分が、

自殺未遂をした。

今までさんざん「自分は自殺はしない」とこの日記にも書いてきたし、「もう死にたい」と不安定になったうつ病仲間にも「絶対に死んだら駄目だ」と言ってきた。

そんな自分が、

自殺未遂をした。

発端は約1ヶ月半ほど前のこと。
自分にとって非常にショッキングなことが起こった。いや、起こったというよりショッキングな話を聞いてしまった。それは自分にとって、あまりにも残酷な現実だった。
それ以来、自分の精神状態はおかしくなってしまった。極めて情緒不安定になり、感情の起伏が激しくなった。
自分はそれを、なんとか自分の理性で必死に抑えようとしてきた。

1ヶ月くらいはそれで何とか抑えられてきた。「乗り越えた」と思った矢先、自分の中で何かがはじけたようになり、自分は「急にキレる人」になってしまった。

誰にも相談できなかった。妻にも相談できなかった。それは、妻の口から語られた、妻自身の過去に関することだったから。

キレる度合いが激しくなり、自分が何を言ったか覚えてないほどの暴言を吐くほどまでになった。手が出そうにもなり、身の危険を感じた妻は実家に避難した。

一人ぼっちになった自分は何をどうしていいかわからなくなってしまい、かなり深い鬱の闇に沈んでいった。

そして、

今まで飲み残して余っていた薬
中止になったり変更になって不要になった薬
頓服として処方された薬

それらを全部小鉢に開け、なんのためらいもなく、何回かに分けて一気に飲み込んだ。大量服薬、いわゆるOD(オーバードーズ)というやつである。

自分の記憶は、薬を飲んでいる途中までしかないのだが、妻の話では、私は妻に電話をかけて、

「これが最後の電話になると思う。
今までありがとう。
薬ってなかなかきかないものだな」

と言ったらしい。

妻が急いで戻ってきて自分を発見し、救急車を呼んだ。
搬送先の病院で、空になった薬の束を医師がひと目見て、「相当やばい薬を飲んでるな・・・」と言ったそうだ。「夫は助かりますか」妻が医師に聞いた。3人の医師は、3人とも「命の保証はできません」と口にした。

 

およそ18時間後、自分は覚醒した。

口の中に2本の大きな管が入っていて、激痛と耐え難い苦しみが自分を襲った。
必死にもがいたが、両手足は拘束されていた。

それからしばらくして、地獄から解放された。ICUで胃洗浄と解毒処置を受けていたらしい。

「なぜ自分は死ななかったのだろう」

という思いと、

「なんであんな馬鹿な真似をしたのだろう」

という思いが交錯した。

意識を取り戻した自分に、誰かが話しかけた。

「お名前は?」
「○○○○です」
「生年月日は?」
「昭和○○年○月○○日です」
「ここはどこかわかりますか?」
「病院・・・・ですよね」
「なぜ自分がここにいるかわかりますか?」
「・・・・・薬をたくさん飲みました」

その後、誰かが「意識レベルはホニャララですね」と言ったが、ホニャララの部分は覚えていない。

その後、私はICUから救急病棟へ移された。
前後関係はよく覚えてないが、精神科の医師2人と、救急病棟の医師たち(5人くらい)と話をした。

精神科の医師には、今までのことを洗いざらい喋った。

救急病棟の医師とはどういう話をしたかは覚えていない。ただ、妻が持ってきた私のお薬手帳によって、毎日自分が服用している薬のデータは把握していたようで、医師たちの断片的な会話は覚えている。

「こんなにたくさんの薬を毎日飲んでるなんて」
「まるで毎日がプチODですね」
「トリプタノールの致死量ってどれくらいでしたっけ」
その後、ぼんやりしていた頭は次第にはっきりしてきた。だが、私が胃洗浄の後の解毒治療を受けている最中に目が覚めて、激しく暴れようとしたためか、それに加えて薬の影響なのか、全身が痛くて寝返りも打てなかった。特に左肩と首の右後ろ辺りがかなり痛かった。

次の日、主治医が私の入院診療計画について説明してくれた。病名としては「急性薬物中毒」、症状としては「意識障害」であり、意識が正常になれば退院、というものであった。実はその時点で私の意識は回復していた。だから本来ならもう1日くらいで退院できるはずなのだが、前述した肩と首の痛みと、薬の一部が気管に入ってしまって肺炎を起こしていたため、退院はその治療が終わってから、ということになった。

その日の夕方、妻の姉が来てくれた。自分は今まで誰にも話せなかった自分の思いを話した。義姉は私の手を握って「うんうん」と聞いてくれた。話を聞いてもらったおかげて、かなり気が楽になった。

なぜあんな馬鹿な真似をしたのだろうか。自分でも全くわからなかった。その答えを教えてくれたのは、意外にも経理のお姉さんだった。

自殺未遂では健康保険が使えない、と以前聞いたことがあった。当然高額医療費の制度も使えない。いったいどれだけの請求が来るのだろうか。それが今度は不安になった。私は看護師に「自殺未遂って健康保険が使えないんですよね」と尋ねた。看護師も詳しいことはあまり詳しくないらしく、「あとで経理の人に聞いてみます」と言われた。

翌日、経理のお姉さんが病室まで来てくれて、説明してくれた。

「患者様はご家族の方が高額医療費の標準負担減額認定証を出されているので、食事代等も含めて窓口負担は5万円くらいになるかと思います」

私はきょとんとした。

「あの・・・、確か自殺未遂では健康保険は使えないと聞いていたのですが」
「はい、普通はそうなのですが、患者様の場合はうつ病で精神科に通院していらっしゃるので、自殺未遂は病気の症状として扱われます。そういうわけで、健康保険は通常通り適用されます」
そうだったのか。
うつ病の最も恐ろしい症状「希死念慮」が悪魔の正体だったのか。
10何年もうつ病(厳密には躁鬱病)患者をやっていながら、すっかり忘れていた。だからあの時にはわけがわからなくなって、あんな愚行を犯してしまったのだ。

「自分は大丈夫」
「自分は死んだりしない」

そう思っていても、いつ何時悪魔が忍び寄るかもしれない。改めて「鬱」の恐ろしさを知った。

ちなみに私が飲んだ薬は以下のとおり。全部あわせて400錠近い。空のシートを数えた数字なので、実際はこれよりも少ないと思うが、それでもかなりの数だ。

デパス 1mg 20錠
デゾラム 0.5mg 84錠
レスリン 25mg 14錠
レスリン 50mg 20錠
ジプレキサ 2.5mg 10錠
レクサプロ 10mg 10錠
炭酸リチウム 100mg 10錠
メデタックス 2mg 30錠
リピトール 10mg 30錠
バレリン 10mg 40錠
トリプタノール 25mg 72錠
PZC 2mg 50錠

薬の山

なぜこれだけ飲んでも死ななかったのか。それは、まっさきに駆けつけてくれた妻のお陰である。だから、声を大にして言いたい。

うつ病の方々は、「自分は大丈夫」なんて過信してはいけない。悩みがあっても「誰に相談したところで解決しない」などと思わず、ただ話を聞いてもらうだけで楽になるものだ。

ご家族、ご友人にうつ病の方がいらっしゃる方々は、彼(彼女)の様子に異変が生じたら、できるだけ一人にしないで、そして悩みを一人で抱え込ませないように、できるだけ話を聞いてあげて欲しい。

それだけで助かる命もあるのだから。

自殺未遂の記録
自殺未遂の記録(補足1)
自殺未遂の記録(補足2)
自殺未遂の記録(補足3)