昨日はそんなに調子は悪くなかった。
しかし、夜の何時頃だっただろうか、お気に入りの肘掛けつき座椅子に座って、DSでゲームをしていたところ、急にしんどくなってきた。いつの間にかうつらうつら寝てしまっていたような気がする。
寝室に行って倒れこむように布団に潜り込んだ。妻が少し驚いたようで「大丈夫?」と聞いてくるのだが、大丈夫なのか大丈夫でないのか、自分でもわからない。妻が寝る前の薬を持ってきてくれて、それを飲んでそのまま泥のように寝た。泥って寝るのかなあ。
朝は8時頃に普通に起きれた。特にしんどくはない。昨日に突然来たあの疲れというか、だるさというか、不調はなんだったのだろう。そう思って朝の時間を過ごしているうちに、11時頃だっただろうか、また急にしんどくなり、そのまま布団へ。2時間くらい寝ただろうか。妻に起こされて、少ししんどいが起きて昼食を食べた。なんなんだろう、この「何もしてないのに急にしんどくなる」というのは。いつもとパターンが違う。
そして、今日の昼からずっと頭の中がぼんやりしている。気がつくと、頭の中はまた過去のことを思い出して、
「あのときの自分はなぜあんなことを・・・」
「あのときのあの人はいったい何を・・・」
「あのときに自分がああしていれば今頃は・・・」
などと考えている自分がいる。楽しい思い出に浸っているわけではない。自分の過去のことで、心にずっと引っかかっているようなものがいくつもある。しかし、普段ならそんなことは記憶の奥深くに眠っているのだが、なぜか自分の心が郷愁モードに入った時に、「懐かしむ」のではなく、こういう「ずっとひっかかっていたこと」が気になりだす。なぜかわからないが、勝手に頭に浮かんできて離れないのだ。
「あのときの自分に会って直接聞いてみたい」
「あのときのあの人に会って、直接話がしたい」
「あのときに戻って、別の選択肢を選びたい」
などと、非現実的な願望に頭が支配されている。
つい先日、友だちとメールを何回かやり取りして、自分がいかに過去の出来事に執着しているのかが少しわかった。しかし、わかったところですぐに自分を変えることは難しい。今日のように、いつの間にか「頭の中にタイムマシン」モードに入っていることがやはりある。
思えば、今のような境遇になる以前の自分はこんなことはなかった、というわけではない。昔から自分はぽっかり心に穴が開いた時、よく「あのときは・・・」モードに入っていた。これは性格というか、「心の癖」なのだろう。今の現実がつらくて明るい未来が見えてこない、ということが、その「心の癖」に拍車をかけている。
自分を変えることができるのは自分しかいない。過去は変えることができないが、未来は変えることができる。だから、過去のことにとらわれずに、これから先のことについて、自分は何をすればいいのか、自分はどうあるべきなのか、現実世界の自分自身と対峙しなければならない。
それでも、「心の癖」はすぐには変わらない。気がつくと、「あのときにああしていた自分の姿」が存在するパラレルワールドを頭の中に描いている。空想癖は昔からだ。
コメント
自分に都合の良い妄想に耽るというコトは、考えようによってはまるで健全な行為なんじゃないですかねえ。至って普通のことじゃないかという気がします。希望を持つという心のエンジンが冷え切っていないことを意味すると捉えれば、むしろ好ましい兆候ですよ。状況は最悪じゃあない。
古賀さん、コメントありがとうございます。
「自分に都合の良い妄想」というのが未来のことについてなら、自分としてはポジティブだと思うのですが、今さら過ぎ去った過去のことについて、「もしあのとき~だったら」ということを考えてしまうのは、どうしてもネガティブな心の働きだと自分では思ってしまうのです。
まあ、過去も全く振り返らずに、ただ途方に暮れているだけよりかは、ましのような気もします。そういった意味では、確かにエンジンは冷えきってるわけでもなさそうです。
もうちょっと前向きな妄想?に浸るように努力してみます。