今日はやっとNさんが出社してくれた。いろいろと聞きたいことがあったので助かった。NさんもYさんもいないうちにどんどん仕事が舞い込んできて、自分なりに進めていたのだが、判断に困るところがいくつかあったのだ。
しかし、Nさんも判断しかねる、という案件がいくつかあった。最終的にはリーダーであるYさんの判断になるというが、Yさんは明日までお休み。しかしユーザは急いでいて、10月頭にでもサービスインしたいという。
しかたがないので、お休み中のYさんの携帯に連絡し、判断を仰いだ。結局ユーザには「こういう条件ならOKだけど、現実的には無理だから実質NGです」と答えることになった。
同じようなケースで、別のユーザで困っている人がいた。それもYさんの判断にしたがうと、「NGです」ということになるのだが、向こうはそれでは非常に困る。困ると言われても、決まりは決まりですから守ってください、と立場上言わざるを得ない。
こういうのが私は苦手なのである。相手が困っているのがわかっていながら、でも立場上相手の困ることを要請しないといけないし、はっきりそれを伝えないといけない。自分が言われたら「そんなこと急に言われたって無茶だよ〜。全くお役所仕事なんだから」と思うに決まっているのに、だからそんなこと言いたくないのに、あくまでも仕事として立場上、言いたくないことを言わなければならない。
実は、そういうのが自分の中で一番のストレスになるのだ。しかし、そういうストレスを解消する方法を最近発見した。それは、頭の中で、できればエアー振り付けで、こうとなえるのだ。
「でもそんなの関係ねー、でもそんなの関係ねー、でもそんなの関係ねー、
はいおっぱっぴー、ちんとんしゃんてんとん、ちんとんしゃんてんとん」
どこかで聞いたようなフレーズかも知れないが、それは置いておいて、最近はまっているこのフレーズをふと頭の中でそれを唱えたら、不思議と気が楽になったのだ。なぜだろう。自分なりに分析してみた。
まず「そんなの関係ねー」というフレーズ。このぶっきらぼうさがいい。自分の感情をいちいち仕事に持ち込んでいたら、自分の神経がもたない。仕事は仕事と割り切って、ユーザが困ろうがなんだろうが「そんなの関係ねー」と突き放す、それを自分に言い聞かせるのだ。
そして、そのフレーズを3回繰り返すのもポイントの1つ。オウム真理教が事件を起こしたときに、信者を洗脳するときに使ったというフレーズ
「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」
これも短時間のうちに3回繰り返すことによって、潜在意識の中に滑り込ませる効果があったのではないかと推測している。それと同じことで、3回繰り返すことによって自分をより納得させているのではないか。
そしてその後のどうでもいいようなお祭りのようなフレーズ。これをとなえると、なんだか自分がストレスに感じていることがばかばかしくなって、本当にどうでもよくなってくるのだ。それで、「ま、いいや」という心境に落ち着く。
ばかばかしいと思っているものから学ぶこともあると感じる秋の夜であった。でも明日はまだ30℃の予報。でもそんなの関係ねー!
コメント
いいねぇ^^
きっとかれがきいたら泣いて喜ぶ
そうかもねえ。
笑いを提供していることは当然だろうけど、
こんなところで救われている人がいるとは
よもや思ってはいないだろうなあ。
水着で踊ってる人?
ほんとにまじめなんだなーと思いました。
お客さんと上(組織とか上司とか)との板挟み、私も悩みました。まあほんまにお役所仕事やからしゃーないやん(=法律に則らないといけない)っていうのもあったし。でも、震災のときは法律もマニュアルもないし、本当に文字通り死ぬ思いでした。普段はそれも給料のうちと思ってました。できないことは(たとえ自分の意に反しても)できないと断る、それも仕事のひとつだと。
う〜ん、まじめ、なのかなあ。
まじめかもしれないけど、こういうストレスを感じるのは、まじめだから、というのは関係ないような気がします。
どちらかと言うと、気が弱いというか押しが弱いというか、う〜ん自分で言うとあれだけど人に優しすぎるというか、同情しすぎるというか、ともかく「ビジネスライクに徹しきれない、仕事人としての自分の甘さ」という気がするんですよね〜。
もちろんいじわるで言ってるのではなくて、とは言え規則で決まっているから杓子定規に言ってるのではなくて、そのユーザのケースでは、そのままだとセキュリティ的に危なくて他のユーザが迷惑を被る可能性があり、そういうことを何とか説明しているのですが、結果的には向こうにとっては数十万円の負担がかかることを要請しているので、でもそんな予算とってないから、と言われて、「そこは上の人と相談してなんとかしてください」と言うしかない自分自身にストレスを感じてしまうんですよね〜。
震災の時は本当に大変そうだったね。そう言えば真っ先によねきょんの安否を確認した記憶がある。確か被災地のど真ん中くらいに住んでたんだっけ。よくぞ神戸はあれから復興したものだと思います。よねきょんとか、たくさんの人が力を合わせてがんばったんだろうなあ。