TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日は4ヶ月ぶりのリカバリー系のプログラムだった。なんだか懐かしい。いや、あまり懐かしいではいけないんだけどな。このプログラムというかツールは常に自分とともにいなくてはならないのだ。今日の参加者は4人。今までは8人だったのだが、密対策のために減らしたらしい。このプログラムの参加者も、前は希望者が用紙に名前を書いて早いものがちで申し込み、という形だったのだが、今回は4月に予定されていた分が流れたので、そこに参加申し込みしていた人に個別に連絡が来た。

本来なら4月から3月までで1クールのこのクラス、今日から新しいクールが始まるので本来ならまず「これはそもそもなんぞや?」というところから始まるはずなのだが、今日のメンバーはベテラン揃いだったのでそんなものはすっ飛ばし、前半は対応プランとキーコンセプトに関するディスカッションをやり、休憩を挟んで後半はいきなりワークをやった。「自分の道具」を片っ端から大きめの付箋にマジックで書いていく。そしてそれぞれについて、その道具を使うとどういう気分になるか、オノマトペで表現する。「オノマトペで」というのは新しい。そしてさらに、それらがそれぞれどのキーコンセプトに結びついているかを書く。「希望の感覚」「主体性」「学び」「サポート」「自己権利擁護」である。

各自がいくつも、多い人は10個近くそれを書いて、全員の分を模造紙に貼ってあれこれ見て回る。実に人それぞれで、他の人が書いたのを見るのはおもしろい。そしてみんなが「これはどういうこと?」と思ったものは書いた本人に説明してもらう。私の場合「水をたくさん飲む」と「ブログを書く(吐き出す)」について聞かれた。

「水を飲む」については、いつ頃からか忘れたが、薬の副作用だかなんだかわからないが、とにかくのどが渇くようになって、とりあえず水ばっかりがぶがぶ飲んでいたら疲れが抜けることがあり、逆にこまめに水分補給をしていれば疲れにくくなるということがわかった。それ以来水をたくさん飲むようにしている。これは自分の経験則で、医者に話しても「なぜでしょうね?」と言われる。そういう話をしたら、「それは「学び」ですね」と言われた。おおそうか、そうであった。これは時間がなくてどのキーコンセプトに当てはめたらいいか考えてなかったが、まさに自分で体得したものこそが「学び」なんだった。ちなみにこれのオノマトペは「さらさら」。

「ブログを書く(吐き出す)」はもうちょっと複雑だ。

自分にとって「書く」という行為は、自分の中の、なんとなく「もやもや」としたものを言語化するという行為である。人間、何かわからない形の見えないもの、正体の分からないもの、得体の知れないものに対しては漠然とした恐怖心を抱くものである。「もやもや」はまさにそれであるが、それをなんとか言語化して目に見える形にしてやれば、それは「具体的な形を持った何か」になり、具体的なものに対しては具体的な対策を立てられる。論理的にものごとを考えられる。だから、文章を書いて自分の中のもやもやを吐き出すというのは不安を軽減することになり、それが「希望の感覚」につながっている、ということになる。ちょっと無理やりだが、そういうことにしている。もうちょっと簡潔に書けば「書くと頭が整理されてすっきりする」ということだ。うん、最初からそう書けばいい。

それから、このブログは最近では匿名としており、新しく知り合った人には教えないことにしているが、昔は友達や知り合いに公開していたので今でも読んでくれている人は読んでいる。私がここでぼやいたり困ったなあと書いたりすると、LINEでアドバイスをくれたりする。これは立派な「サポート」である。

さらに、そのサポートをヒントに自分で試行錯誤したりして新しいことを発見したりする。この前の「太極拳はけっこうきついがおもしろい」といったことなどであり、それは「学び」になる。これは自分の道具箱に追加した。

そして、自分はこのブログを2001年から書いていて、ずっと自分から情報発信を続けてきた。誰に強制されたわけでもない。そしてときどき過去の記事を読み返して、「他人の他人である自分」を観察し続けてきた。これは立派な「主体性」だと思っている。記事数は4,950を突破したと話したらみんな驚いていた。

ところで、これのオノマトペがどうしても思い浮かばなかった。書いたあとの気分としては「スッキリ」なのだが、これはオノマトペではない。「もやもや」の反対なのだが、どうしても浮かばなかったから「not もやもや」と書いておいたら、ちょっとうけた。「いや、これはわかりやすいですよ」とファシリテーターに言われた。

まあそんなこんなで、久しぶりのプログラムは終わった。人数が少ないと1人の話せる時間が多く取れるので、それはそれで楽しい。みんな意識高い系のベテランで、作業所と違ってハイレベルな会話ができるのも楽しい。

といったところで、またコロナが嫌な感じになってきた。来月からはやるのかな・・・。


コメントする

メールアドレスは公開されません

*は必須項目です